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スレッドNo.5097

1月21日(火)~ 1月23日(木) ご投稿分、評と感想です。  (青島江里)

◎1月21日(火)~ 1月23日(木) ご投稿分、評と感想です。

☆ 虹蜺(こうげい)  樺里ゆうさん

 虹蜺(こうげい)……。普段はあまり耳にしない虹 の漢語表現。虹を雄雌の二匹の龍に見立てるなんて、それ自体が詩的ですよね。

一連目。この言葉を更に輝かせるようなステージ。出雲の空の登場。とても神秘的なイメージに包まれました。単に「出雲の空にふたつの大きな虹がかかりました」としてしまったら、それまでなのですが「出雲の空は よく虹がかかる」という始まり方にしたところは、読み手を「どうしてなのかな?」という気持ちにさせてくれ、もっと次が読みたいなと思わせてくれました。「そうか、不安定な天気が多いからなんだ!」「ん?一日に三度も、四度も虹がかかる時があるんだ!」と、通常ではあまりない天候に驚かされたり、自分の中で新しい発見に巡り合えた気持ちにさせてもらえました。

神秘的というイメージがからのスタートでしたが、二連目になって更に「天気雨」という、これもまた神秘的に輪をかけるような言葉が登場しました。その中にかかっている大きな虹!それも二つ!実際に見たわけではないのに、この詩のステージの中にいる読み手の私は、すごいなぁという気持ちでいっぱいにさせられました。

その後に内容転換。大きな虹がどういうものかという解説のような連になりますね。このままだと解説っぽい連になって、下手するとここだけが浮いてしまう確率が高くなってくるのですが「大学時代の時代に聞いた講義が/頭に浮かんだ」と結びつけているところが、暮らしの一部として結びつくことができ、隠し味のようになっていて、この連が浮いてしまわなかったのでよかったです。あと、とても細かいことをいうなら「頭に浮かんだ」のは、どういう風に浮かんだのか、例えば「ふと」なのか、じわじわと、或いは、ぼんやりと「頭に浮かんできた」ものなのか、副詞などの使用で詩の周辺の様子をより一層、鮮明にさせることもできるので、必要であればぴったりのものを考えてみてくださいね。

最後の方の四行もよかったです。
果たしてこの思いつきが正しいのか
わたしにはもう調べようもないのだけれど

そうだったら いいな
そういうことにしておきたい 今は

古代中国の人たちの気持ちになって持論を発していますが、それは明確と証明できないことを綴ってくれています。正直、自分にはわからないと言って、その後、そうだったらいいのにとなって、そういうふうに思いたいな……「今は」と余白を持たせているところ。重ねて虹がゆっくり消えてゆくような余韻のような雰囲気を、個人的には味わうことができました。「これはこうだ!」とはっきりしてしまうのではなく、ぼんやりとしたもの、そしてまたいつか会えるかも、わかるかもしれないという雰囲気を残していく表現、やわらかい読後感を与えてもらえました。佳作を。



☆「赤い実がひとつ」  森山 遼さん

秋の木の実の様子を描いてくれたのですね。赤い実にも黄色い実にもそれぞれに、人でいう、一生のようなものがあるっていう、こまやかなところに視点をあわせているところには、作者さんの「自然が好き」という気持ちを感じました。

さて、この詩の一番の注目する点は、各連の二行目の「落ちて落ちて」など、同じ言葉を繰り返すところだと思いました。繰り返すことでリズム感が生まれるのですが、せっかくですから、通常に使われるようなワードを重ねるだけではなく、オノマトペなどを使って、個性を出してみるのも楽しいのではないかと感じました。そして、このオノマトペも通常に使われるような「キラキラ」などではなく、自分で想像したものを使ってみるなど。中原中也さんの詩にでてくる「ゆあーん、ゆよーん」のような。きっと、読み手に想像する世界を膨らませてくれるのではないかと思いました。ほんと、せっかくなので、作者さん自身が一番に楽しむくらいの気持ちでもいいかと思いました。読み手によっては、意味わかんないなど思う人もでてきたりするかもしれませんが、学校の学年末テストで進級が関係するというわけでもないのですから、ノビノビと楽しんでみてください。個人的には、四連目までは、それぞれの連の二行目のところに独自のオノマトペを重ねて、最終連の「みんなみんな秋の中」の次の「きれいにきれいに」の分はオノマトペではなく、似たような言葉を重ねて変化をつけたいかなぁと。例えば、秋の醍醐味と言えば夕暮れ。「ゆうやけこやけに」にするかなぁと。想像するだけでも楽しくなりました。森山さんもゆっくり楽しんでみてください。今回は佳作三歩手前で。



☆あの日の二人  ふわり座さん

幼馴染の女の子を一途に思い続ける「僕」について綴ってくれている作品。「人生最後の時を君に見守られながら迎える」という表現から、真剣に好きなんだなぁっていう気持ちが伝わってきました。

それでは、気になったところを。二連目の途中の「一番最後」ですが、重ね言葉になっているので「一番後」もしくは「最後の最後」にする方がよいと思いました。あとは、今回は単独で一文になるあとに、ひとマス空けて一文を続ける方法をとられていることについて感じたことをお伝えしますね。改行については特に絶対こうしないといけないという規定はないのですが、空白をあけてくれているのですが、個人的にはところどころ読みづらい箇所があったので、区切りのしやすくできそうなところは、整理する方法もありかなとも思いました。例えば・・・・・・

僕と君は幼馴染 でも不思議と二人の仲は
今でも新鮮なままだ だからなのか
まだ君を手に入れたという明確な実感がない

僕と君は幼馴染だけど
不思議と二人の仲は今でも新鮮なまま
だからなのか
まだ君を手に入れたという明確な実感がない

別件になりますが……「雨上がりに朝陽が差し虹がかかったなら」→「雨上がりに朝陽が差して虹がかかったなら」という感じで、「て」をいれてあげると「差し虹」って何?となることを防げそうです。以上、これらに関しては個人それぞれなので、あくまで参考の一つとしてお伝えしますね。あとは、最後の方の「あの日幼馴染になった二人の笑顔は」部分なのですが、こちらの表現が、私の方ではっきり把握できなかったかなぁ。「あの日幼馴染になった」ですが、幼馴染というのは昔からの長い付き合いによってなるので、「あの日」急になったわけではないので、別の意味を伝えてくれようとしてくれているのだろうとは思いました。考えた結果「幼い頃にかえった笑顔」ということなのかなと、思ったりしました。それとも、恋人同士になれる可能性のあった二人が、それぞれの夢のために、幼馴染のままでそれぞれの道をゆくということなのか。とも思ったりしました。であれば、「あの日、幼馴染の関係に戻った」になるのかなとも考えたりしました。こちらも、今よりわかりやすい表現があれば、変更されてもいいのかなと思いました。

全体的に拝見して、好きな方への想いということで、書きたいことがいっぱいあったのだろうなと思いました。①幼馴染の君について寄せてきた思いについて②二人、或いは自身についての約束について③君の夢、僕の夢について④僕の君に対する誓いについて…等々、なかなかのボリュームです。なので、どうしても全体的に長い作品になってしまうので、できたら、コレだ!という内容を幾つかに絞って書いていかれると、今以上に凝縮された、そして、深堀できる作品になっていくと思いました。例えば作中の「いつかの約束」とはいったいどういう約束だったのかという詳細がみえてきたり、二人のそれぞれの夢がどういうものだったのかということが、具体的にみえてきたり。そのようなことも期待できそうです。


この作品で一番心に残った表現は「子供の頃から僕が前を走っていた/少し後ろで君が背中を支えてくれてたね」でした。君の人柄を感じさせてくれました。決して出しゃばらず、それでいてしっかりと背中から僕を支えてあげる献身的な人柄。また、幼馴染ということで、幼い頃、電車ごっこをして笑っているかわいい姿も彷彿させてくれました。仲良しの笑い声が響いてきそうな明るい一行でした。幼馴染の君を思う僕のまっすぐな気持ちが作中の端から端まで溢れる作品。今回は佳作三歩手前で。



☆魚類博士の誕生  温泉郷さん

タイトルだけを拝見して、どのような内容の作品になるのだろうか?と、想像の全然つかない作品でした。「石のネコ」と「魚類博士の誕生」のワードの結びつきなんて、なかなか想像つかないなぁって。どんな展開になるの?と興味をそそられました。

一連目なのですが、ちょっと舌を噛んでしまいそうな羅列になっているかなぁと、個人的には思ってしまいました。一旦、切ってしまったらどうでしょうか?例えば、
大きな頭の石のネコが
石の本を読んでいる
その傍らで並ぶ
コートを着た人たち

そのままでも行けなくはないかと思うのですが、石のネコが石の本を読んでいるのか、それとも石の本をコートを着ている人が読んでいるのか、一瞬、混乱してしまったのです。なぜかというと、これがスタートの行だったからです。「大きな頭の石のネコ」というワードから、リアルな内容か、或いはファンタジー系な内容か、石のネコと石の本が同じ石像か何かであるというところまで、想像が追い付かなかったのが要因だったのかなと、読後、思いました。

一連目の末行の「石のネコの固い読書」と言う表現は、石の固さと性格の頑固な感じがほどよく合わさっていて、堅物な猫の像のイメージが勝手に浮かんできました。

二連目以降の展開がとても魅力的でした。子供の純粋な気持ちがいきいきと表現されていて、愛らしさが満開でした。

子どもは石のページを
めくろうとするけれど開けない

ああ
次のページには何があるのだろう?
どんな魚がいるのだろう?

図書館から飛び出して
石のネコと並んで座り
一緒に図鑑を見る

大人には思いつきそうにもない、子供の気持ちが眩しかったです。石のネコと同じ世界の人になってゆくのがよくわかる展開でした。気難しく考え込んでいる石のネコに答えを教えてあげようとしているかのような、子供の所作、魚類図鑑を借りてきて一緒に読むだけではなく、教えてあげようとしているようにも思えるところも魅力的でした。

最終連のワードの「次のページ」ですが、読み手にいくつかの意味を想像させてくれました。一つ目は、子供が頭の中で想像しながら、石のネコと会話している様子。二つ目は、石のネコが、子供に対して感じた思いの想像。「君、なかなかやるじゃないか。将来は魚類博士だ!」というような意味。三つめは、先ほどの石のネコの言葉は、石のネコに代弁してもらっている、子供に対する、付き添いの親の気持ち。「このすごいわ。将来は魚類博士かも!」など、おそらく、作者さんが書き込んでいる本来のこと以上に、色々と想像の世界を広げてくれた展開でした。ストレートに、ほのぼのした気持ちにさせていただきました。今回は、ふんわりあまめの佳作を。

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あっという間に一月もすぎて二月です。寒さもいよいよピーク。
今週は数年に一度の寒波がやってくるかもという天気予報が。
行き先、どうぞあたたかく、ご安全に。

みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。

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