イデオロギー 静間安夫
近ごろ
わたしの評判は
すこぶる悪いらしい
かつてのわたしは
社会の変革を夢みる
人間たちの間で
絶大な人気を誇っていたのに…
人気を失ったどころではない
前世紀に起きた
人類史上最悪の悲劇をはじめ
数々の殺戮の
陰の主犯とさえ言われる始末だ
わたしの罪状を告発した
人間たちによれば
わたしは時代と場所で
様々に姿を変えて
多くの純粋な若者たちを誘惑し
あるひとつの思想に染め上げ
戦争と死に駆り立てた、
というのだ
わたし、すなわちイデオロギーとは
あるときは宗教思想であり
あるときは政治思想であり
あるときは革命思想であり
さらには
頑迷な人種主義や排他主義に
容易に転化するような
あらゆる不寛容な思想を含む、
というのだ
黙って聞いていれば
よくもそこまで
言われたものだ
たしかに
わたしの名のもとに語られる
幾多の思想は
いずれも大義をかかげ
その旗のもとに団結することを呼びかけ
理想社会の実現のために
捨て石となることを求めている
「この大義は永遠絶対のものであり
たとえ、今、実現できなくても
いつの日か将来の世代で
必ず実現できる!
だから、きみたちの死は
決して無駄にはならない」
この手の論法で
死を美化してきた、
と言われれば
あながち否定できない
ただ
よく考えてほしい
わたしは
いかなる思想の形をとろうとも
何らかのユートピアのイメージと
その実現に至る道筋を
示そうとしているに過ぎない
もともと
わたしの目的は
人間の解放と救済であり
その出発点では
人の命を軽視する
いかなる意図も含んではいない
にもかかわらず
いざ人間たちが
わたしの作った雛形にのっとり
実践の段階に進んだとたん
最初にあった新鮮さが失われ
腐敗し始めるのはなぜだろう?
人間たちの中で
少数の者が
わたしを権力維持の装置、
いや、単なる道具に
変えてしまったからではないのか?
内部抗争を勝ち抜き
権力を手にした者が
反対派を弾圧し
組織の団結を図るため
「思想への忠誠」を
「自分への忠誠」に
巧みに置き換えたからではないのか?
その瞬間から
当初の思想は次第に変容し
しまいには
似ても似つかないものに
変わり果てるのだ
若者たちは
いつの間にか
自発的に運動に参加するのではなく
異端と呼ばれるのを怖れるあまり
強いられるままに
死地に向かわざるを得なくなる…
この事態は
わたしが意図したものとは程遠い
しかし、こんな具合に
いかにわたしが弁明しようとも
人間たちの間に蔓延している
「反イデオロギー」の気分は
しばらく拭い去るのが
難しそうだ
だが わたしは断言する
それも一時のことだと
なぜなら
人間たちは
決して癒すことのできない
病を持っているから
その病とは
自らの生に意味を求めること
―人間たちにとって、もともと
無意味な生は耐えがたいのだ
こうして
いつかは必ず死すべき人間が
おのれの生に
意味を与えようとすれば
最後には
永遠絶対の―少なくともそう思われる―理念に
奉仕することに辿り着く
限りある生を不滅の価値に
結び付けようとする、その志向は
やがて世界がいっそう混迷を増し
大きな危機に直面するとき
あらためて大きなうねりとなって
押し寄せるだろう
わたしはここに予言する―
わたしの時代が再び到来することを
しかし
そのことが人間たちに
幸福をもたらすのかどうか?
答えは、神のみぞ知る、だ