開花 佐々木 礫
僕は最近、自分がどうしようもない悪人であることに気がついた。
そして、その事実に傷つきも動揺もせず、本当は既に知っていたことにも、すぐに気がついた。
***
咲いているよ、ボードレール、悪の華が。
豊かな秋の畑の中に、
神秘の林の奥の広場に、
家の窓辺の花瓶の中に、
やんわりと華開いている。
そして、
晴天の昼間、
天井の無い、
寂れた大きな倉庫の、
コンクリートの床の上。
霞のようでありながら、
目を閉じても消えない黒いツツジが、
「一人にしないで」
と泣いている。
その声に重なるように、
クスクス。
小さな笑い声が聞こえる。
幼き日の僕はそれを見て、
「泣かないで」
と言った。
それは満面の笑みを浮かべ、
「ありがとう」
と静かに言った。
僕の目元から、
ぬるりと頬を伝うもの。
拭った手には、
石油のように黒い水。
ツツジの花弁は砂鉄となって、
隙間風に運ばれて流れて行った。
僕はそれを、今もずっと見ている。
溢れる涙はそのままに、一つの思考が反芻される。
「諦めていい? もう辞めていい?」
、、、何を?
何もかも。
今ある全てにお別れを言って、
虫籠から蝶々を逃がして、
微睡に任せて暗闇に溶けて、
エゴイズムの温浴に浸れたら、
僕はもう。
生は白い絵の具、
色んな色を作るためのもの。
死は黒い絵の具、
モチーフを際立たせるためのもの。
僕を絵画にするとしたなら、
何として描かれたいだろう。
「人は皆、望むようになれる」
その言葉が謳い上げるのは、
僕らが望むものの少なさ。
きっとその一つ。
抗いようのない、
抗う必要もない、
だって、こんなにも美しい快楽。
この頬を伝い落ちる、
黒く、熱く、濃い涙。
僕は「これ」になりたい!
***
十年間、起床自体に苦悩した。
覚醒することは罪なりや?
朝が来る度に僕は拒否した。
カーテンから差し込む朝日から目を背け、
冷めて乾いた朝食の米粒を箸で一粒摘まみ、
死刑執行を引き延ばす囚人ように、
「早くしろ!」
と、いつ背中を押されるかと怯えながら、
のろのろと口に運びよく噛んで食べる。
既に遅刻の登校時間、
車の多い朝の国道沿いの歩道を、
拾った小枝を振り回し、
一人歩いた通学路。
夜が来るたび、窓を少し開け、
「僕を殺せ」
いつか見たホラー映画の化け物に念じた。
そして、大きな顎の灰色の怪物が、
のっそりと部屋に忍び込むのを待った。
僕が望むのは、不動の世界。
友情、性愛、家族、誇り、希望、実存。
その全てが剥製のような死体たる世界。
大勢が屋久島の杉に抱く印象を、
僕は近所の雑木林に抱くようだ。
道端でこと切れた猫の死体。
ベランダで死んだ蝉の死骸。
ああいうものが、大好きだ!
何だかとにかく、
屍たちは動かないが、
生きているものよりも、
神々しい生命力を感じさせる。
、、、僕は不幸か?
まさか!
このハゲタカのような無様さと鋭い目つきのおかげで、
僕は悪から認められ、特異な友情を結ぶことができた。
今日も不正義を振り回し、
正義を旨とする勇敢な戦士と闘った。
「ルールを守り、規範に従え」
彼は言った。
しかし、
僕は、間違った人間を肯定できる、
貴重な才能を持って生まれた。
僕は僕を肯定できる、
素晴らしい資質を持って生まれた。
僕は進歩を、ソファに座り眺めるべき、
映画の一作品として鑑賞する。
社会人戦士候補生の行進中、
「もう歩くのやだ」
隊列の中、土に寝転がる。
正義の戦士は傍に立ち、
「立て。歩け」
と厳しく言った。
僕は寝たまま彼を見上げ、
一つ、試したく言う。
「その怒りは誰のため?」
彼は答える。
「何を言っているか分からない」
そこには怒りさえないようだった。
(うんうん、それでいいんだ)
僕は澄み切った青い空へ視線を戻す。
その時、
正義の戦士は僕を射殺した。
大口径のハンドガン。
僕の頭蓋を吹き飛ばした。
夏の風が吹いたようで、
僕は両目を細め、
ため息をつく。
微睡むこの目は僕のもの。
誰に向ける愛も含まない。
罪を嘆賞するための贅沢な審美眼。
僕は、
この悪の僻地から遠くに住む人々のことを、
知りたいと思わない。
彼らのことは、
既に知っているから。
でも、わざわざ確かめる。
彼らの自我が、
感情の意味を知らないことや、
僕の言葉が、彼らの耳には、
でたらめでしかないことを。
もしかしたら、
彼らは自身の感情を深く知っており、
僕の言葉はすっきりと理解されており、
黒花による救済を必要とした僕の苦悩は、
単なる錯覚の代物であるのかもしれない、
その一葉の可能性を試してみる。
実験の度に僕は死ぬ。
これは延々と続くだろう。
ある昔日に自ら定めた、
絞首刑の日が来るまで、
毎日、誰かに僕を殺させるのだ!