評、1/31~2/3、ご投稿分。 島 秀生
今日も終日不在にするので、こりゃ水曜になっちゃうかな?と思ってたんですが、なんとか滑り込みました。
お待たせしました。
●akkoさん「いま 着いたから・・」
なるほど。
最後は、ない電話を待ってるんですね。ご主人の現世への帰国を待っているかのようです。
海外出張の息子さんとの混同が生じるのは、ご主人もやはり海外出張が多い人だったから、なんですね。それじゃあ、重なってしまうのも無理はない。(もしかしたら、お二人とも同じ会社にお勤めなのかも。だったら余計にですね。)
私は国内だけど、海外じゃないけれど、やたらに出張ばかりさせられていた時期があったので、「いま 着いたから・・」を、奥さんに言う時の気持ち、すごくわかるな。安全を知らせるだけでなく、愛情の籠ったひとことだったと思いますよ。
読む人にとって、息子さんからご主人に変わる、詩行の境目が若干わかりにくいかもしれないんです。
終連は、最後の行だけでなく、終連の最初の言葉から、もうご主人の言葉に変わっています。3行ともこちら側の話ですね。だから、
いつものように 成田からの電話 早くください
が、ひと繋がりのもので、それをリピードする形で、
早く あなた
が、あります。
そういう意味では、「早くください」と「早く あなた」は
行を変えた方が伝わりやすいでしょうね。そこだけ変えた方がいいと思います。
この詩はそこだけでOKです。あとはちゃんと書けてます。
うむ、切ない錯覚の話でしたね。幻想的な広がりがあるところも良かったし、最後の、ない電話を待つところも良かった。
うむ、これはakkoさん的に、名作&代表作入りです。とてもよく書けている。
●まるまるさん「日本は 私は この先を」
おお、しっかり書けてるじゃありませんか!!
PFASや原発に対する批判部分も的を射ていると感じるし、そこへの批判ばかりでなく、自身を省みて反省を書いてる部分もあるのがいい。
そして、
一主婦の
私のやっていることの
拡大版が今の日本
と、大胆に両者を繋いで見せてくれてるところが、度肝を抜きます。
たしかに、こういう切り口で見せてもらうと、両者には共通点が多々ありますね。
キーワードは、「本気が足りない」。たしかにそうかも(……私もドキリとするものが)。
うむ、今回の詩はナルホドでした。
結論だけ言わずに、丁寧に思考を積み上げて書いてきたところも、納得ある作になった要因だと思います。今後もこの感じで丁寧に。
名作&代表作入りを。
●白猫の夜さん「共依存」
クロアゲハが、黒い燕尾の男の子になって現れてくるところの幻想的シーンがいいですね。私はそこが一番良かった。
詩全体の言いたいことも、なんとなくわかりました。
初連は、左腕や右のお腹があるから、いじめられてる感じに見えるのだけど、首から上は無傷だし、2行目は左脛???
左脛ばかり「あおたんまみれ」というのが、よくわからなかった。脛ばかりとなると転んでるのかな?ともなってしまうのだが……。
たぶん、初連のことが原因となって、次の展開に行く話になるんだと思うので、初連で表したい意図は、もうちょっとだけ明瞭にわかるようにした方がいいと思う。
「共依存」というと、ある程度以上の期間、それが常態化しているという要素があるので、このタイトルはちょっと違うと思う。専門用語や特定の定義を持つ言葉の使用は慎重に。
このクロアゲハは、依存というより、死神のごとく誘ってる感じを持ちました。それにこの主人公が惹かれていった感じに読めました。
(案外と、アスファルトに張り付いた死骸を拾って、ちゃんと葬ってあげたら、燕尾服の男の子の影は消えたりして……。)
終連は、どっちかというと、我に返って欲しかったですけどね。頭の中で思う概念の死と、実際の生身の強烈な痛みを伴う死は違うから。車に轢かれそうになった時の恐怖の実感、そこを肌身で感じて、我に返ってほしかったけどな。これは個人的感想ですが。
まあ、言いたいところのことはわかるし、多少はあるけど、ストーリーとしては成立してるので、努力賞も含め、秀作を。
●温泉郷さん「軌跡」
うーーん、後半はいいんだよねえー、後半は、失った家族や、貧困や紛争地、いろいろな国の子供の顔が見えてきて、しっかりテーマ性があっていいシーンになっているのですが、
最初の、オレンジの放物線でできているという架空の水槽の想定が、説明はしてくれているので想像図は描けるのだけど、自分がこれまで経験して見たものとの近似性を置きにくいので、頭ではわかっても、どうしても映像がアバウトになる。
いえば、キャンバスが白とは言えないアバウト色なので、その前で行なわれている後半の行動もくっきり見えない、という感じ。
もっといえば、いろんな顔が見えるとこも幻想であり架空なわけだから、架空の水槽の上に架空を重ねている感じになるので、ぼやける。
思うに、そもそも架空の上に架空を重ねて何かを見せるということ自体、なかなかに難しいことなので、えらく難しいところに足を踏み入れてるなあというのが感慨です。
これ、たぶん作者的には水槽のモデルとなったものがはっきり見えてるんでしょうね。でもそれが、こっちにまでちゃんと見えるように伝わってないんだと思う。
解決策といっても難しいのですが、やっぱり前半の水槽の説明で、喩えを入れて、どんな感じのものであるという想像図をもう少し完成させから、子供の話に行く、ということになるでしょうけど、
例えば、子供の見方に行く前に、父はどんなふうに見えているかをまず書くと喩えになるし、子供はそれとは違うものが見えていた、という展開でもいいのではないでしょうか? 一例ですが。
人物の描き方自体は上手で、いいお話なので、もうちょい改善をお願いしたい。
おまけの秀作プラスくらいで。
●秋さやかさん「空」
放課後のチャイムがなって、みんながわっと遊具に行く、解放感とウキウキ感がよく描かれています。子供の頃って、ブランコを大きく漕いで空中に浮き上がると、空に届くんじゃないか、くらいの別世界感があったような気がします。あの感情も童心ならではものであったのでしょうね。
3連の、
せっかちに号令を言い終えると
は、小学校の頃の、一日の最後の挨拶のことですね。(私の低学年の頃は、「先生さよなら、皆さんさよなら」でした。今は違うんだろうなあー)
遊具なんですが、今は(危ないからと)なくなっている公算が高い遊具が、さりげなく含まれていて、遊ぶシーンは、作者の回想にすり替わって、描かれているようです。
序盤の詩の入り方からすると、現在の話のような感じがして読み進んだのですが、もしかしたら、そもそもこの詩全体が回想なのかもしれませんね。(前作の続編で書かれたものだとすれば、あり得ますね)
また、少しうがった見方をすると、それらの遊具がなくなったことに対する小さな反逆の意志を示した詩であるかもしれません。
今は放課後のチャイムがなっても、みんながわっと遊具に行くなんて光景はないんだろうから、やっぱりこの詩全体が、回想とみた方がよさそうです。前の詩で、塾じゃなくて、みんなのところに行きたかったという光景が、きっとこれなんでしょうね。
なお、全体が回想ということになると、詩の出だしで少し動詞の過去形とか入れた方がいいと思います。
最後のブランコのところ、ちょっと気になります。無難にこれでいいのでは???
ランドセルを放り投げ
身軽になった体は
なにも恐れず
いきおいよく
回旋塔を
まわしてまわして
風を起こす
ブランコを
大きく大きく漕いで
飛び込んでいく
自分だけの
空へ
一考してみて下さい。
文体がキレイなのは、さすがです。秀作プラスを。
●人と庸さん「意志の手」
画家の東山魁夷が、雪にすっぱり埋もれているススキが、雪が融けるとまたしゃんと立ち上がっているしなやかさに感動し、自分もススキのようにありたいという意の文章を残しています。
また、晩秋の夕陽に照らされてるススキの群生が銀色に照り返している景色もキレイですよね。ススキって描きようによって、とてもいい素材になってくれる気がします。
詩なんですけど、このテーマ性への視線向け方はいいと思うのだけど、いかんせん概要的すぎます。このままではちょっと話がアバウトすぎてツライです。
なにか具体的なものを思わせてから、まとめとしてこの詩が終連に来る感じに、例えば3連構成で、前2連になにか具体的に思わせるもの・考えさせるものを置いてから、終連にこれが来る感じで、バランスが取れると思います。
その方向で考え直してみてもらえると、ありがたいです。
これは受け取り側の感じ方の話なんですけど、長い詩の場合、途中、少々ミスがあっても、比率としてたいしたことないので、わりと許されるんですよ。逆に短い詩であればあるほど、比率として、一つのミスも許されない感じになっていくんで、却って難しいのですよ。短い詩の方がシビアになるんです。
なので、私はあまり早いうちから短い詩を書くことを勧めていません。たまに飛び抜けた感性でもって飛び越えて行く人がいますけど、そういう人は極めて例外的です。最低限、3連構成で書かれることを勧めたいです。
なので、この作品は一歩前とさせて頂きます。
人と庸さんは文体自体はキレイな人なのだから、もっと自信もってガンガン書かれても、大丈夫ですよ。
●津田古星さん「2月のチョコレート」
(1) と(2)で、両方向から書いてるのはおもしろいですね。
言うと、(1)はリアルな思い出に近いもので、(2)は今おもう想像ですが、両方向から描いたこの大仕掛けはたいへん意欲的で、評価できます。(2)もまずまず書けています。秀作プラスとしましょう。
(1)についていえば、フツウ、学生生活何年間かのあいだに、何人かにチョコレートあげたことある、っていうのがフツウなので、でもこれ読むと、作者の一途さが、逆によくわかりました。
(2)では、チョコレートを送ったその男の、現在の家庭の様子が映し出されるわけですが、一人称についてもその男が「私」ということになります。
このポジションチェンジを理解するのに、読む方としてはちょっと時間がほしい。間合いがほしい。
なので初連は、そこまで行かないで、「妻が食卓を整えながら言う」までで、いったん止めて、以下は連分けしましょう。そこでいったん止めて、場面を読者に理解させた方がいい。
次に終連の「困った」の意を読者に理解させるために、現・2連のラストはちょっとしつこめに行った方がいいと思います。そのあたりから下、やってみます。
「うん」と言ったきり黙っていると
「住所が分かるんだったら、ホワイトデーにこの土地の名産品でも送ってあげたら?」と言い
「でも、その人のことを好きだったんなら送らないほうがいい」と付け加えた
私は困った
何十年も経ってからお返しを送るのはおかしいし
送らなければ 妻にその女性への気持ちを見透かされる
チョコレートには本当はメッセージがついていた
好きですとひと言
意中の人にそう言われ
私は照れくさかったから
手紙の追伸にありがとうとしか書けなかったんだ
それぞれの心情をもうちょっとだけ強調ぎみに、これくらい書いてもいいかな、と思いました。
一考してみて下さい。
●相野零次さん「うずくまる男」
情景・心情ににぐっと深く入り込めていて、集中力を持って描けています。
架空の想定ですが、これはこれでワールドが完成してるので、評価します。
名作を。
作品は作品として評価した上で、ちょっと1点知っててほしいのは、この想定は現実にはまずないと思います。家具などの家財がなくなるとしたら、そこに至る前の金策として、自分で家財を売っぱらって金に換えた時でしょうね。
価値があるのは1番に土地、2番目に家なので、(昔々はわかりませんが)いま借金のカタ話になると、家ごとなくす。土地ごとなくす、というのが常ですね。それらを差し押さえられるので、本人や家族は(家財を残したままの)家から出て行くことなるのがフツウです。
あと、もしも家財だけ差し押さえられる可能性があるとすれば、離婚争議の時ぐらいでしょうね(それら家財は、配偶者側の所有物だということで)。
本当に破産話を書きたいのであれば、そこらあたりを勉強する必要がありますが、それよりもこの詩は孤独感や、全ての人から裏切られた失望から立ち直ろうとする姿をこそ描いてる作品と思えるので、「空っぽの部屋が存在する」場面を、この想定ではなく、別の想定に変える方向で一考されたら、よりベターな作になるかなと思います。
話の最初から「非現実的」が見えると、最初から作り話だなと思って読まれてしまうので、あんまり良くない。そこは避けたいとこです。
●上田一眞さん「森」
ついこのあいだのことですが、今まで一度も思い出したこともないと思える昔の出来事をふっと思い出して、それが自分でも物凄くすごく意外で、不思議で、こんなことを思い出すようになったのも歳のせいなのかなと思いました。
「歳がいくと、昔のことばかり思い出す」と、これまでの人生の中で、何人かの年寄りから聞かされてきましたが、ホントだったんだなあーと、今更ながらに思いました。ちょっと自分にその兆候を感じました。不思議ですけど、これも人間の体の神秘がなせるワザなのかもしれません。
なので、昔のことを思い出してしまうことを、そんなに責めなくてもいいんじゃないですかね。歳いくと、体質的に(脳内ホルモン的に???)そうなっちゃうもののようですよ。
詩なんですが、この、方向を見失って迷い込んだような森の中での行動と焚き火は、上田さんなら本当にやりそうで、想像で書いたものとばかり言えないな、本当の話かもしれないなと、思いながら読みました。
2連の表現は一見キレイなんですけど、ちょっと不自然があります。たとえば光線のように漏れた光が射しているところに雪が落ちてきてるか、自身が真上を見上げている時に、ある角度のものが光る感じになるはず。
もうひと工夫、細かい部分まで立ち入って書く必要があるように思います。
そのあとの3、4、5連は良いので、2連をもうちょっとちゃんと書いたら、もっと良くなると思います。
「2.火焔」の立ち上がり。ミスはないしキレイなんですけど、火をつけるのが上手な上田さんは、なんの抵抗もなく、身の丈の焰が上がるとこまで、しゃらりっと書いちゃうんですけど、焰が上がるとこまで、もうちょっとゆっくりいった方がいいです。
着火の瞬間や、小さな火が大きくなるところも書いた方がいいです。
字下げのところ、いいですね。幻想的でステキです。
そのあとの、自身の情念を追い詰めるように追求していくとこもいいですね。
終連だけ、「そして」以降は連を分けましょうか。
最後の解釈は読者にお任せ、ですが、焰の中に飛び込んでしまいそうな勢いです。そんな想像をさせる、思い切ったラストです。
うむ、いいでしょう。名作を。
指摘したところ、一考願ったら、もう一個上までいけると思います。
●松本福広さん「Autumn dome」
都心のイチョウ並木って、邪魔にならんように、結構、枝をはらってしまってあるんで葉が少ないけど、山の方にあるイチョウって、枝をはらわずに結構好き放題に伸ばしてあるんで、、木一本あたりの葉っぱ量も凄いです。この並木は木が大きいから余計すごいことになってるだろうなと想像つきます。
秩父「ミューズパーク」の写真も少し見ましたが、秋の紅葉といっても、モミジの木の紅葉が多いところって、実は京都以外にはそんなにないんです。たいていは別の木の紅葉なので。でもここ、大きなモミジの木が結構あるんで驚いた。秩父恐るべし。この大きなモミジの木を見ても、イチョウも同様に大きな木があるんだろうな、ということは容易に想像つきます。ここ全部、木がデカイんでしょうね。
美しい景色を写真におさめるのは、無理ですよ(キッパリ)。でも松本さんはカメラの腕に覚えがあるようだから、なんとかしたかったんでしょうね。
そのあとのスノードームのアイデアが良かったです。
ところでこの詩は、ワザとやってるんだろうか。なんでそんなわかりにくい行分けをするんだろう?
普段は神様に例えられる風や日光も
今だけは添え物になる
今ひととき眼前に広がる秋の夢を
とじこめるよう写真にとおさめる
私の撮影技術のせいなのだろう
静止した写真は
感じているものを
望んだようには写しきれなかった
太陽の七色のまばたきも
そよ風が描く1/fの揺らぎを
絵画で例えるようなタッチも
黄金色の蝶たちで賑わう秋の祝祭を
一葉の世界に表現できなかった
スノードームのように閉じ込められたら……
秋がみせる夢のさなかに
束の間ドームの水に沈んでいたようだった
地面に落ちた銀杏の葉が
秋が終わるまでの時間を刻んでいた
これって、こういうこと、ですかね???
なんか行分け、連分けが不思議なことになってるんで、修飾関係や、センテンスの切れ目が、ものすごくわかりにくいんです。慌てて書いたのかな???
秩父がいいとこだって教えてくれたのは良かったし、スノードームのアイデアのとこも良かったんですが、なんでこんなにもつれた書き方をされてるのか、ちょっと意図がわからない。「わかりにくい」以外の効果は、なんにも生んでいないと感じる。
うーーん、おいしい要素がいくつかある詩なんですが、この行分けがちょっと足引っ張ってる気がするんで。現状、半歩前とします。
まあ、ちょっと直してもらったら、即、改善すると思うんですが……。