我らのボール 温泉郷
台風一過の海岸
大きな波がせり上がっては
浜に広がり
ひいてはまた
せり上がる
せり上がった波の腹は
濃緑の鏡面のように
ツルツルに輝いている
台無しになった旅行
ぼくと弟とK君は
無言で波を見ていた
風はまだ強い
弟がどこからか
少し空気の抜けた
黄色いゴムボールを見つけてきて
せり上がった波の鏡面に投げつけ
崩れる波より先に逃げてきた
ボールは波に飲み込まれて
消えてしまったが
浜に広がった水の中から
また ポツンと現れた
今後はぼくが
ボールを拾って
引いていく水を追い
波がせり上がるのを待って
鏡面に投げつけて逃げた
ボールはやっぱり戻ってきた
野球少年のK君も
早い球を投げつけて逃げた
ボールはやっぱり帰ってきた
弟、ぼく、K君の順に
ボールを波に投げつけては逃げた
その度にボールは帰ってきた
いつしか
黄色のボールは
「我らのボール」と名付けられた
波がせり上がるタイミングは
もう僕らにはお手のものだ
我らのボールは
必ず帰ってくるのだ
弟がK君のように
速い球を投げようとした
ああ!
ボールはわずかに高く
波頭をかすめて後ろへいった
ボールは沖へ沖へと流されていく
弟は泣き出しそうな顔をした
ほくは 弟に何か言いたかったが
何も言わなかった
K君も何も言わなかった
我らのボールは
濃緑の海を沖へと渡っていく
黄色い点が海面を滑り
うねりの影に消えていく
弟はしばらくして
「ごめん」と言った