◎2月18日(火)~ 2月20日(木)ご投稿分、評と感想です。 (青島江里)
◎2月18日(火)~ 2月20日(木)ご投稿分、評と感想です。
☆五分前の世界 上原有栖さん
時間というものは刻々と過ぎてゆきますよね。しかも待ってくれないですよね。過ぎてしまうとすぐに過去になっちゃうんですよね。五分過ぎればもう過去の世界、タイトル通り、五分前の世界になっちゃいますね。五分前に呼び出しですか。話があるから校舎裏に来てって言われるなんて、かなり意味深ですね。なんだか読み手の私もドキドキしてしまいました。
一連目。「五分前」の事項について三点書かれていますが、時間軸について、少し躓いてしまいました。「校舎裏に呼び出し」はリアルに起きていることですよね。「三段重ねのアイスを買ってもらった」のもリアルに起きていることかな?それとも別々の三つの例えの中の一つとしてなのかな?仮に、校舎裏に呼び出された時に、三段重ねのアイスを買ってもらっていたとなると、五分前に同時に起こることは考えられないので、野球のシーンはリアルにあったことでなく「例え」になるのかな?ということについてです。野球のシーンが気持ちの「例え」なら「五分前/それは/まるで」にするとわかりやすいのではないかと思いました。
作中の中での「三段重ねのアイスクリーム」は、過ぎていく時間の表現の立役者として、とてもよい役目を果たしていると思いました。どんどん溶けてゆくアイスは、時間が過ぎてしまうと、落ちてしまうかもしれないというドキドキ感、砂時計のような細やかな時間を示してくれるようなものを、作中にもたらしてくれると感じました。そして重ねて例えている野球のシーン。これもかなり迫って来る緊張感を表現するのに、とてもよい効能を示していると思いました。
最終連。どっちに転んだのかは読み手の想像におまかせという着地。最後の最後までドキドキ感を与えたままに完結という場面も、中途半端にならず、すっきりと読み終えることができました。最後の一行、時間についてきっぱりと言い切る「時間は進む 戻ることはもうできない」は納得の一行。その通りのことをきっぱりと言いきってしまうことで、更に緊張感が上がりました。
書きたいことが、無駄なくきちんと整理されている作品。時間についての例えについても、言葉のからくりがもたらすようなもの感じさせてくれる作品でした。
☆色 樺里ゆうさん
特別なところであっても、そうでなくても、私たちが暮らしている景色というものは、何とも言えない美しい色を見せてくれますね。
人間の記憶と言うのは、何もかも100パーセント記憶できるというものではないので、この景色を忘れたくないという思いを叶えるには別の手段を持って記憶を繋げることが必要となってきますね。ある人は写真を撮るかもしれない。ある人は絵をかいて残すかもしれない。作者さんは言葉を持ってその記憶を保とうとしましたね。詩を書くことが好きな人間にとって、自然な行為なのでしょうね。そこからも、作者さんの言葉愛のようなものを感じることができました。
景色の例えも、作者さん独自の感性が伝わってきました。「レモン味のドロップを散らしたような」→レモン色としないところがオリジナルですね。レモン味とすることで酸っぱいような、切ないような気持ちにもさせてくれるところがよかったです。たった一文字で随分と読み手に与える感覚がちがってくるものだなぁと思いました。他にも「ターコイズブルーを 暗く 暗くしていくと」→とても暗いターコイズブルーとするよりも数倍わかりやすいですね。「暗く、暗く」と表現することで、微調整していくような繊細な色の表現が、これもまた印象に残りました。
「夕焼けを写し取った水たまりの」→水たまりに夕焼けが映っているのではなく、水たまりが夕焼けを写し取っているのだという表現は、水たまりがまるで生きているようで、どことなく自然の息吹を感じさせてくれました。
十二月の放課後 誰もいない廊下の窓から差し込んでいた
うす黄色の日差し
まぶしいのに 目が離せなくて
息をひそめて 見つめていた
こちらの連もかなり印象的でした。うす黄色の日差しと言う表現はどこにでもある感じがするのですが、「まぶしいのに 目が離せなくて」とすることで、冬の弱い陽ざしのイメージは一気に消えて、今日だけの特別な力強い日差しのようにも思わせてくれました。
後半では「脳内で必死に言葉を探しながら」「あの色たちを/どうしても言葉にしたかった」「たとえ人間の記憶が/簡単に書き換えられてしまうような/頼りないものだったとしても」「ずっと 覚えていたかった」→目の前で遭遇した美しい景色を言葉で表現してとどめたいという気持ちがはっきりと伝わってきます。人間の記憶の頼りなさを塗り替えてしまうような、作者さんの、言葉の力を信じているというような強い、熱い気持ちがジンジンと読み手にも伝わってきました。
どこにでもある日常の中で、本人だけが遭遇し、感じたもの。それらを自分なりに大切にしてゆきたい。そんな気持ちがたっぷりと込められた作品だと思いました。佳作を。
☆両想い 喜太郎さん
恋愛という内容を念頭に置いて「天秤」と言う言葉を聞くと、たいがい発想するのは、相手の浮気ネタだったりします。つまり「両天秤」という意味合い。しかし、こちらの「天秤」はそれとは全く逆の「天秤」でした。どちらの愛情が深いのかを量る「天秤」でした。発想がとてもユニーク。
発想はとてもユニークでいいのですが、中盤の内容を見ると、「好きが増える」や「好きが大きくて重い」など「好き+量りの単位或いは関連用語」というような言葉の足し算のような表現に頼り切っているようにも思えてしまいました。なので、この足し算に頼らずとも、雰囲気でもわかるような場面の設定や表現を、幾つか増やしていくことが必要なのかなと感じました。
終盤では、愛情の深さの比較だけでなく、思いすぎて相手に負担をかけてしまうような重い好きの意味にまで言及していました。そんな風にならないように気を付けるなんて言ってしまっています。「溢れ出ちゃうんだよ」とまで言ってしまっています。ここまで表現されると「もう、とんでもないくらい好きなんだなぁ、しょうがないなぁ、もう」というところまで、いい意味で読み手を走らせます。右も左も、「私」の景色は視界に無く、ただ真ん中に見える彼女のことばかりなのだと思わされてしまいました。甘ったるすぎることもなく、重すぎることもなく。今回の作品の中でのこのような表現は、この作品の中での一番の良さなのかもしれないって思いました。
ちょっと気の弱さを感じさせる、だけど見守ってあげたくなるような「私」のまじめな心の表現が気持ちに残る作品。今回は佳作二歩手前を。
☆心のつぶやき 埼玉のさっちゃんさん
歌詞のワンフレーズが思い出せないこと、ある、ある、ありますよねぇ。思い出そうとすればするほど、思い出せだせないんですよねぇ。そういう時って。作中のモヤモヤは、そういう感じの心のモヤモヤなんですね。なかなか答えに辿り着けない、足りない心の何かを表現しているようにも感じました。
そうこうしているうちに気がついた椿のつぼみと花の様子。場面転換。その様子を見て「今まで見過ごしてゴメンネ」というところは子供のようでかわいらしかったです。このかわいらしさが、後の行の「素直」にかかってくるのだなと思いました。うまくつながっているのですが「素直になることも必要なのだと感じる」からの「まっすぐ帰宅して感謝の言葉を言おう」は、少し唐突な感じがしました。間に言葉をおいてみるのもよいかなと思いました。たとえば「~必要なのだと感じる/いつも苦労をかけている大切なあの人にも/今日はまっすぐ帰宅して/感謝の言葉を伝えよう」……このような感じで、花にも素直に声をかけて謝ることができたように、大切な人にも素直な気持ちを伝えたいというようなことが大意になるように意識すると、もっとスムーズに繋がるように思いました。
終盤の「玄関のドアを開けたら/歌詞のフレーズを思い出した/ありがとう」ですが、素直になるといいことがあるのだよということを表現してくれているように思いました。もう少し深読みすると、何事も難しくとらえすぎたりすると、見失うものがある、色眼鏡をつけたような心にならぬよう、素直に生きていけたらいいなという願いのようなものも感じました。サラリと最後に言った「ありがとう」は、とっても無垢な子供が放つような響きでした。はたとひらめいた歌詞のフレーズ。この偶然を同時に持ってくるところも、この詩の楽しいところでした。今回は佳作一歩手前で。
☆偉大なる人よ ふわり座さん
タイトルの「偉大なる人よ」の偉大なる人はお父さんのこと。日本人ってシャイなのがそうさせるのか、自分の身内のことを、なかなか偉大だって言い出せないような傾向がありますよね。たとえば、一生懸命家族を支えている妻を、人に紹介するにあたって、旦那さんが「いやぁ~こいつは、ちょっと抜けている奴でして~」など、褒めるどころか照れ隠しみたいに下げてしまうところがあるなぁって思ったりしていました。でも最近の話題の中では大リーガーの大谷選手が妻のことを「僕の美しい妻」と何かではっきりと言っているのを聞きました。その時、アメリカの方でははっきりと、褒めるところはストレートに伝えるんだと思いました。同じような思いを、この作中のタイトルから感じたのです。さっぱりしていて、どこか気持ちのよさを感じました。
二連目の「どうか羽ばたいて」ですが、一連目では父が天国に行くということをしらせていないので「羽ばたいて」だけでは、存命のままの世界で違うことにチャレンジするような、キラキラした意味にも捉えられてしまう可能性も出てくるので「どうか心配しないでください」くらいに抑えてもよいかなと思いました。
三連目の「とても素晴らしいものだった」ですがこのままでもいいといえばいいのですが、素晴らしいと大きな意味に広げてしまうよりは「尊敬」という意味に焦点を当てる方が、より深く父の存在を浮き彫りにできるのではないかと思いました。
六連目からの父と僕との心のやり取りの描写は、とてもよかったです。貯金をはたいでも、僕は見たいと思わせる現地のオーロラへの旅。父の存在の大きさを浮き立たせてくれました。言葉の力、愛情の深さも同時に感じさせてくれました。
オーロラをみることが願ったことを綴る連では、飾らないそのままの感動が素直に綴られていて、好感を持てました。「それはまるで空の支配者のようで/小さな事など全て吹き飛んだ/なんだかプラスのエネルギーが/心と身体に流れ込んだように感じた」……そして、その感情がそのままに父の僕に言いたかったことに繋がったという展開も、空と地に離れて暮らしていても関係のない、親子の絆のような、深い愛情のようなものを感じさせてくれました。
終盤では、父とオーロラの存在が一体化しているように表現されています。流れ的にも、全然、違和感がありませんでした。旅立った父と空のオーロラの一体化、それは、最終連での「顔を上げて歩く」という所作に繋げることに成功していると思いました。
この先も僕は忘れはしないだろう
人間は決して弱い生き物ではないということを
そして大切な人を失っても
悲しみだけではないということを
さあ歩こう
しっかりと顔を上げて
この二連の部分ですが、静かに続いていく想いを強調したいなとするのなら、位置を逆にすると、もっと余情的なものがアップするのではないかなと思いました。リアルな行動の描写ではなく、かたちの見えない心をラストに置くという方法です。あくまで個人的な見解ですが。
どこにいても親子は親子というような心も感じさせてくれた作品でした。
今回は佳作半歩手前を。
☆窯の中の休息 温泉郷さん
お豆腐屋さん。小さい頃、クラスメートの家がお豆腐屋さんを営んでいらっしゃって、私はそこのお豆腐が大好きでした。店の奥には大豆を煮る大きな窯がありました。大きくなってからお店を閉められたのですが、こちらの作品と同じように、ご家族がお二人とも倒れられたとご近所の方にききました。
詩の内容。お豆腐屋さんが閉店されたことから浮かんでくるのは、小売店が大手の企業にのまれてゆくことや、商店街に衰退、親の介護問題などでした。現代社会周辺についての悩みや難点についても考えさせられました。
介護士の資格を取って帰れば自分の親を介護するという旧友さん。心身ともに相当過酷な状況で暮らしているということが伝わってきました。
慣れてしまうと
慣れてしまうんだ
この先に何があるのか
そんなことはもう考えない
この連の言葉に今の社会についての状況が言い尽くされていると思いました。七連目の「今日も明日も~もしかしたら3年後も」という言葉の中にも、同じく、胸の中にずしんと沈んでくる辛さを感じました。
拝読してかなり辛くなる状況の中、読み手の私は、まさかのことで救われました。大豆を煮る窯が息子さんの心を抱擁する役目になるなんて。そして、弱くて泣き崩れてしまいそうになってもおかしくない心を隠してくれる秘密基地のような存在になるなんて。
ただの窯ではないのだ。地元のみんなが知っている老舗の豆腐屋の窯なのだ。湯気が立ち上っていた窯なのだと、生き生きと暮らしていた思い出が立ち込めるような、まるでタイムカプセルになるような存在になっていたなんて。このようなお話を作者さんは聞き逃さず、隅から隅まで言葉で映し出してくれました。この受け取り方や、表現する言葉の一つ一つは、旧友であるからこそ表現できるのだと思いました。付き合いの浅い人間なら、なに窯に入っているのだと嘲笑されてもおかしくないですから。最初の方の連の「お前には一度見せておきたかった」の言葉がこのシーンで輝きました。
最終連の「お前も~天井だけが見えるんだ」がひときわ、作者さんと旧友さんの友情の深さを感じさせてくれました。「天井だけが見えるんだ」のひとことにこめられたもの。それは、二人にしかわからない深いものがあると思わせてくれました。このような友情の表現もあるのだと感じさせてくれた心の作品。佳作を。
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気温20度越えになったと思えば、また真冬の気温に。あったかくなったり、寒くなったりするのは、
この時期にはありがちと思いますが、極端すぎてついていくのがたいへんだなぁと思うこの頃。
外で、丸々とからだを膨らませて過ごす小鳥のたくましさに、元気をもらいました。
みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。