書斎 静間安夫
「間もなく
10番線から熱海行きが
発車いたします。
ご利用の方はご乗車になってお待ちください」
プラットホームのアナウンスに
急かされながら
今朝も判で押したように
6:30東京駅発の
通勤電車に乗り込む
車内は立錐の余地もない、
というほどではないけれど
いつも発車時刻ぎりぎりに駆け込むので
めったに座れることはない
それでもたいして構わない
片方の手で吊り革につかまって
もう一方の手で文庫本を
開いて読めばいいだけのこと
座れば座ったで
つい うとうとしてしまって
貴重な読書の時間を
無駄にしてしまう…
そんな心配もない
これから戸塚駅までの40分
行き帰りで1時間20分
誰にも邪魔されずに
好きな本を読むことができるのだ
毎日、朝早くから夜遅くまで働いて
休日出勤も当たり前
家にはただ睡眠をとるために帰るようなもの
だから わたしにとって
この車内は いわば
書斎みたいなものだ
さて今朝は
昨日の帰りの
電車の中で読み始めた
短編小説の続きを読もう
大戦中の過酷な軍隊生活に耐えきれず
部隊から脱走しようと
機会を窺っている
兵士の話だったな…
果たして脱走は
成功するのだろうか?
脱走したところで
行く当てもないし
もし捕まって連れ戻されれば
重たい処罰が待っている―
営倉に閉じ込められるくらいなら
まだましで
悪くすると
砲弾が飛び交う
最前線に送られるかもしれない
それでもなお
脱走しようとする気持ちは
身に染みて よくわかる
なぜって このわたしも
「ここではないどこか」に
逃げ出してしまいたい、という誘惑に
毎日のようにかられているから…
上司からは無理難題を押しつけられ
部下からは突き上げられ
顧客からはクレームをつけられ
毎朝毎朝
その日いちにちの成り行きを予想すると
ユウウツになり
このまま戸塚駅で降りずに
それこそ小田原でも熱海でも大垣でも
いや、この世界の果てまで
行けるところまで行ってしまいたい…
そう思わない日はない
それでも、わたしは
きっと今日も踏みとどまって
いつも通りに戸塚駅で降りて
てくてく線路ぎわを15分歩いて
「おはよう」とか「おはようございます」とか
言いながらオフィスに入って
自分の机の前に座るだろう
でも、そうする理由は
「やみくもに逃げ出したところで
何の解決にもならない」とか
「家族のことを考えたら
衝動的な行動はとれない」とか
そんな理性的に考えてのことじゃない
何よりもこうして
好きな本を読む時間が
持てているから―
本を読んでいる間は
いやなことをみんな忘れられるからだ
それだけじゃない
たとえば小説を読んで
登場人物の言葉や行動に
惹き込まれていくうちに
不思議なことに わが身を振り返り
今の自分の有り様を突き放して
「妙に冷静に」
見ることができるようになるからだ
なぜだかはわからないけど…
だから、わたしにとって
本を読むことがどうしても必要だ
現実と折り合いをつけていくために
むかし、どこかで読んだことがある―
ロシアの文豪たちは
聖書や古典を読みながら
シベリアの強制収容所の日々を耐えた、
という話を
もちろん、わたしの場合は
そこまで大げさなものじゃない
一見監獄のように見えても
現代日本の企業社会は
帝政ロシアやソ連の強制収容所に比べれば
まだまだ甘いものだろう
それでも、いつかある日
自暴自棄になって
「ここではないどこか」に向かって
旅立ってしまわないとも限らない
そうならないためにも
こころのバランスを保つためにも
何かの歯止めが必要だ…
おっと、いけない いけない
つい余計な物思いにふけって
大切な読書の時間を無駄にしてしまった
さぁ読みかけの短編の残りを読んでしまおう
果たして
主人公は本当に脱走するのだろうか?
それとも
最後の瞬間に踏みとどまるのだろうか?