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スレッドNo.5332

感想と評 3/7~3/10 ご投稿分 三浦志郎 3/16

1 森山 遼さん 「裏側のないそれ」 3/7

冒頭、唐突ながら抜き書きします。

僕は君から逃れたいが/そうすると僕もいなくなる/僕は知っているらしいのだが/君を使って/
僕は/生きているようなのだ

上記部分が、この詩の最も肝であり重要であり解釈の助けになると考えられるからです。
人間の性格・心情・行動は実に多面体であります。その局面、局面に応じて”僕の中にもう一人の(あるいは多数の?)僕がいる“。極端に言ってしまうと、そういった主旨の作品と言えます。
そういった「君」への分析そして接し方、折り合いの付け方が全篇で表現されています。最後は微笑ましくていいですね。佳作を。

アフターアワーズ。
現状、これでいいと思いますが、ちょっとしたことを―。
「僕・君・それ」―いわゆる人称代名詞が多い場合です。小説ではさほど気になりませんが、小説以上に一語一語に芸術性が求められる詩において、これらが多いのは少し気になるところです。なるべく(意味を損なわない程度に)省略や言い換えを検討したいところです。僕の場合、仕上げの段階で人称量を最終チェックします。多ければ当然、省略を考えます。時によっては文体を換えることもあります。あと、これは好みの件ですが、僕の中で(連分けしてもいいかも?)の考えが浮かんだのですが、ひとマス空けが多いので、連分けすると、かえって散漫な印象になるかもしれない。今のようにギュッと詰まってたほうがいいのかもしれない。このあたり微妙ですな。参考までに。


2 津田古星さん 「家守」 3/7

擬人化・現実性・ストーリー性、三拍子揃って楽しく読ませて頂きました。
場面はふたつ。

① 女が風呂に入りに来たが湯舟の中にヤモリがいるのに驚き、男を呼びに「あなた、取ってよぉ~!」。ヤモリのいた風呂など気持ち悪いから、やむなくシャワーのみ。
② (「金属の箱の中」がやや不明なるも)おそらく台所の流しの排水口に落ちたと思われる。

まずは、風呂場に台所、日常ありがちな場所をセットしヤモリを落としたのは上手いですね。
その詳細な様子も面白く書けていてとても良いです。
やっぱり最後が重要ですね。ヤモリは文字通り「家守」。縁起物ですね。そういった風習に基づいた家守の思案です。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
「ヤモリ君、勝手にヒトの家に入って来た君を助けてくれたんだから、まあ、幸運を授けてやってくださいな」


3 上原有栖さん 「羽化」 3/7

ヤモリの次が揚羽蝶。
(父親ではなく)「お父さん」と呼びましょう。いいお父さんですね。ふと見た羽化の様子を息子さんに伝えたくなったのでしょう。その一部始終が克明に語られます。豊富な知識と丹念な調べが感じられました。非常に勉強になりました。非常なリスクを抱え短い命でありながらも自立してゆく揚羽蝶の生き方に触発され、息子さんのことを思い手紙を認める。気遣いに溢れたものです。なかなか感動的で、上記したように、いいお父さんです。心情的に感動した裏側で、詩の技法的なことを、客観的に考えています。もちろん揚羽蝶の件と息子さんの事は充分比喩的に繋がっているのですが、揚羽蝶の筆力が非常に盛んで、作者の意図がこちらにあったような気がしないでもない。
両者はそれぞれ独立してひとつの詩になれるほどのものが接続されています。もちろん、すんなり読めるのですが、この詩作品を人間に喩えた場合、わずかに、ほんの数%、居心地が悪い気がするわけです。そんな製作背景が少し気になった次第です。佳作一歩前で。


4 上田一眞さん 「父の背中」 3/8

まず「1」です。昭和三十七年を現在形として書かれています。たまたま父と入った風呂で見つけた傷跡。何気ない始まり方ですが、少し暗雲が垂れ込むかのようです。そんなムードを反映してか、「1」の終連。一滴の雫がもたらす記憶の幕開け、このあたりの書き方は上手いですね。
「2」。昭和三十七年を起点として遡ること五年、すなわち昭和三十二年。母(実母?)とサナトリウムに見舞いに行きます。「お父ちゃんの顔を/よく見ておきなさいね」と「病状は重篤で/命の灯火は揺らいでいた」を読むと死の影がつきまといます。父は生還しますが、この当時は危なかった、ということでしょう。
「3」。父の病の行方と前途を憂う母の姿が描かれて終わります。沈鬱さがあります。

さて、この詩、ちょっと疑問が残ります。「1」はともかくとして、さらに幼い歳の「2、3」で、これだけ鮮明な記憶と大人びた筆致をするかどうかの疑問です。原因のひとつに「1」の主格「僕」です。
これは昭和三十七年を現在形に置いたような書き方なので、以降に無理が来ている気がします。
やはり現在の上田さんの回想にしたほうが話は通っていきそうです。つまり「身体が小さかった私とはいえ」「私の脳髄に」のように2カ所だけ換えれば、話はまずまず通って行きます。同じように「3」も「僕→私」に換えます。そうすれば、現在の上田さんが書いているのだから大人びた筆致は全然問題なくなります。ただ、「2、3」、「1」より幼い年齢でこれだけ克明な記憶が残っているかどうかの疑問は残るわけです。まあ、それはいいでしょう。あとは「1」と「2、3」の関係性です。もちろん父の病気繋がりで繋がっているのですが、―言葉で言うのは難しいのですが―、なんと言いますか、両者の持つ筆致、トーン、場面、ニュアンス、etcが微妙に噛み合わない気がするんですよね。策としては、もうひと単元(ex「4」)設けて、タイトルに向けて、もう一度、父の背中に(父の病後に)、戻ってきたほうがいいように思います。物語を循環させるといいでしょう。今回は時制の扱いの難しさがあったようです。
今回は佳作一歩半前で。

アフターアワーズ。
僕もうっかりしてましたが、過去作にも、時制についてこういった症状がなかったかどうか、チェックをお勧めします。


5 こすもすさん 「時間と気動車」  3/8

今回から評価が入ります。
気動車とは、平たく言えばディーゼル車のことですね。「一両だけ」とか擬音とも関係しているかもしれないです。主旨はおおむね理解できますが、もう一台、オレンジ色が出て来るところがよくわからないですね。「やがて~~見えなくなった」だから、まあ、いいでしょう(笑)。この詩を人間(あるいは一個人)と時間との関係と読んでも構わないでしょうが、僕はもっと大きいものをイメージしてもいいような気がします。たとえば時間という線路があって、それを動かしているのは、人知をはるかに超えた偉大な存在の「何か」です。そうでないと「前世紀 今世紀 来世紀」といった言葉はなかなか出てこない。ざっくり言うと、まあ「時間の神様」みたいなものでもいいんですがね。
擬音はごくフツーなんですが、どこか可愛く響きます。ついでに言うと、この詩、どこか可愛いのです。余地を見て佳作二歩前からでお願い致します。


6 相野零次さん 「大事な人」 3/9

まずは、この圧倒的な筆力に驚きます。それだけでも「佳作です」……というわけにもいかないので、読んでいきます。まず2つのエッセンスを挙げることができるでしょう。そして主人公は2つの概念の違いを意識し、違うからこそ一致させたいと願うわけです。以下のように……。

① 「君」
② 「大事な人」

① は出会う前は「不特定多数、匿名性のある誰か」。
第一段階……出会って初めて、他の誰でもない、指を差して「君のことだよ」と特定できる。
第二段階……お互い心を耕し合って
最終段階……①=②になる。
*ここでポイントになるのは相手である「君」も同様の精神作業をすることが条件になることです。

この主人公は、上記のような流れを重々認識して書いています。ところがまだ「①=②」の人は現れない、そこでこの詩のわけです。大変失礼ですが、繰り言や堂堂巡りが多く”閉じた考え“なんです。しかしヘンな言い方になりますが、かえって逆にそれらが、この詩の読ませ所であり、個性なのかもしれない。これは一種の”褒め“に近い。そんな紆余曲折を経ながらも、この詩は案外、事の真理を言っています。少し長くなりますがピックアップしてみます。

〇君と仲良くすることでだんだん大事な人に近づいていくんだ、そうだ。君を大事にすることによって君と大事な人は近づいていく。やがて一緒になる、そうすると僕も君も大事な人も同じように幸せになる。
〇大事な人には何度か巡り合っているんだ、でもそれが君にはならなかったんだ。
〇僕を大事な人かもしれないって思ってくれる人が必要なんだ。僕が君にとって大事な人かもしれないって思わせなくちゃいけないんだ。
〇甘えているうちは大事な人にも見捨てられるんだ。

これらは事の本質を見事に言い当てていると思うわけです。逆に言えば、これらを主軸に据え、
詩文を少し整理整頓・省力化することも可能でしょう。粘り強く考え書いてくれて、甘め佳作を。

アフターアワーズ。
時折、差し出される場面描写がなかなかよかったです。特に自転車シーンですね。


7 静間安夫さん 「書斎」 3/10

まずは枝葉から。興味深い点がありました。「東京駅10番線・熱海行・6:30発、戸塚駅まで40分」―これ、調べましたが、全て事実なんです。そういうところから浮かび上がって来るのは、この詩が(実話かフィクションか?)といったことです。たとえフィクションであっても、調べればこのようには書けるんです。けれども、戸塚駅は両方向とも「てくてく線路ぎわを15分」歩けるので、このリアルさ、実話かもしれない。失礼しました。これは詩の本質には関係ないので、脇に置いといて……。

さて、本題です。昨今の車内はスマホいじりが主流で読書する人、本当に減りました。毎日1時間20分、けっこうな読書量になります。よほどの本好き。書斎になぞらえるのも無理はない、さしづめ”動く書斎“とでも申しましょうか。たまたま読んでいた小説が今の静間さんの職業の厳しさ、辛さと、ダブルイメージ的に連想されます。ここが読みどころ。もちろん戦争時と今とでは状況は全く違うのですが、底流するものに共通点はある。そんな思いの静間さんです。「戸塚駅で降りずに/それこそ小田原でも熱海でも大垣でも」―これ、ある、ある!ありました!(海でも眺めてのんびりしたい)―「ここではないどこか」はいい言葉ですね。気分を実によく表しています。そこにはやはり葛藤があって、まずは世間的なこと、いやそれ以上に自分を繋ぎとめるための読書という行いでしょう。
どうやら結論が出たようですな。このあたりがこの詩の華でしょう。最終連も印象的。小説主人公と自分とのダブルイメージでしょう。この詩に流れる気分は共感度高そう。佳作を。

アフターアワーズ。
大垣で思い出しました。昔、東海道線で夜11:30頃大垣までの普通電車がありました、夜を込めて走るヤツです。飲んで帰ったりすると、(いっそ、大垣まで行ってやろうか!)と思ったこともありました。


8 荒木章太郎さん 「猫の目と檸檬の光」 3/10

はい、この詩は初連と6連がくせ者であります(笑)。ここにある現代的抽象的難解的隠喩的修辞的連が何を示唆し読み手がどう反応し、どう遇するか、なんです。僕はわからないので仕方がないです。そのままにしておきましょう。ただ少しコメントするならば、ここは荒木さんの真骨頂かもしれない。
他の連で感知できることは、自己の精神論・行動論、あるいは「世代の」と置き換えてもいいかもしれない。そしてそこにまとわりつくのは忸怩たる思いではないでしょうか。そしてこの精神の影は前作「いの中の蛙」で僕が感じた精神性と、当たらずとも遠からず、の気が僕はしてます。
ところで、くだんの難解な初連と(6連含む)最後部分は呼応している。ポイントになるのは……
「路面電車が眠る→路面電車が走り始める」 「波打ち際で瞼閉じれば→波打ち際で瞼を開ければ」などは、静から動へ、閉塞から展開へ。何ごとかが動いていくのを感じます。猫の解釈も難しいのですが、ほぼ全篇で随伴するところを見ると、あるいは盟友などの象徴とも取れそう。
最後の朝を、気だるいものと取るか、前向きなものと取るかは読み手それぞれに任せましょう。
僕は?……と言えば、せっかく「走り始める」んだもん。後者で取りたいですね(笑)。佳作ですね。


9 白猫の夜さん 「価値観」 3/10

喫茶店とか飲み屋さんで久し振りに会ったのでしょうか。久し振りに会ったのだから旧交を温め合うのが自然で、「変わらないなあ」とでも言ってしみじみするのが人情なんですが、これまた“ずいぶんな”人ですねえ。対して2連目の後半は実に“大人対応”です。机ひっくり返して席を蹴立てて帰ってもよかったのに(笑)。まあ、それは冗談ですが……。作者さんにおいて、デフォルメ・アンド・フィクションも含みながらも似たようなことがあったのかもしれない。
単純に言ってしまうとタイトル通り「価値観」の違いで、物別れといったところなのですが、主人公は自分の生き方が嫌いじゃないようです。従って、こういった人と付き合う必要はさらさらございません。ただ、ちょっと残念なのは、この人、ちょっと気弱というか、おとなしいというか……。行間からもそれが伝わってきます。終連の場面は悲しくも印象的。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
タイトルはちょっと硬いですね。行間の雰囲気に合わせて、少しソフトにしてもいいでしょう。
フレーズタイトルなんかもアリかも。あと、その場面としての具体事例を軽く描いてもいいでしょう。


評のおわりに。

早いもので三月も半ばに入ります。そろそろ虫たちも動き出す頃。
けれど、僕は恐くてさわれない(汗、涙、笑)。家守も 蛹も 幼虫もー。
では、また。

編集・削除(編集済: 2025年03月16日 20:27)

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