2025年3月18日~3月20日ご投稿分 評と感想です。 (青島江里)
◎2025年3月18日~3月20日ご投稿分 評と感想です。
☆魔桜(まおう) 松本福広さん
埼玉県幸手市の権現堂堤。埼玉県には、このような美しい場所があるのですね。とてもいいいところですね。続いて、タイトルの「魔桜」。こちらも目を引きますね。意味もなく、太宰治の小説に出てきそうな感じがしました。
三連にわたって、桜は美しく清らかであるイメージがあるものの、それだけではなく、妖艶で危険な香りや空気をもたらす花でもありますよと表現してくれていると伝わってきました。三連ともよく似た系統の言葉や響きの言葉を選択されていて、とても丁寧に書き込まれていると感じました。
気になったところは、三連以降の連でした。最初の三連をうけての「私」の気持ちが綴られている部分になると思うのですが、前の三連の感じと違って、一気に流れが変わっていくように思えました。変わっても大きく問題が生じるというわけではないのですが、どこかしら、一気に思いを流し込んでしまっているようにも捉えられてしまいそうな感じもして、最後の「春るらら」が浮いてしまっているような気にもなりました。書いていることはいい内容だと思ったので、全体的に文体を変えてみたりするのもよいかと思いました。何例かを、私なりに考えて書いてみますね。
桜を愛でて春を歌う
人間の歴史
今の私の視界は
瞬間的なものしか
とらえられず
意味の重なりそうなものや、省略しても意味の通りそうなものを考えて書いてみました。
締めの句点が
見つからない散文を
書かずにいられない
私もいたずらに
乱れるままに
流れるままに
春るらら
終盤ですが「書かずにいられない」の部分が浮いているように思えたので「見つからない散文を」の後に持ってきてみました。こうすると最後の三行が乱れる、流れる、春る……と「る」の響きが三行お揃えになって、綺麗に思えたので、このようにしてみました。以上、ただの一個人の考えですが、何かのお役にたてれば嬉しいです。
桜の妖艶の部分に焦点を当てて、美しく表現してくださった作品。今回は佳作半歩手前を。
☆忘れるな 天さん
初めてのお方ですね。今回は感想を書かせていただきますね。こちらの作品、ご自身の書きたいことが、とてもはっきりしていて、よく整理されて書かれていると思いました。
私が感じたのは、今いるのは先代の命があったからということ。人は色々な命に助けていただきながら生きていることを忘れるなということ。この世のおかしいと思うことや理不尽さ、また、年々歯車が歪んできていると感じてしまいそうな気象変動など、よくわからないことだらけだけど、元気でやっていけるようにという願いなど、勢いよく流れてゆく詩行の流れの間に、勢いよく注ぎ込まれてゆく作者さんの後を生きる世代への思いや叫びを、息をつく暇もなく感じました。
血や体温、熱さで蒸気するような湯気までも感じさせてくれる作品でした。「~しろ」「~するな」という命令形になっているのに、全然説教臭くも威圧感もなく感じられるのは、相手を本気で思いやる気持ちが、詩行に滲み出ているからなのでしょうね。とっても良い意味で人間臭い言葉で溢れている作品になっていると思いました。
☆各駅停車 喜太郎さん
片思いの様子を描いてくれているのですが、なかなか面白いシチュエーションでした。
コンマ何秒の中 僕は毎朝見つけてた
その時だけ頭の中ではスローモーションとなり
見えた喜びと今日もクラスで会える喜びが
僕の一日を有意義にしてくれた
各駅電車を待つ本人が、通り過ぎる準急電車の中の彼女を見て幸せな気持ちになっている。この描写を「コンマ何秒の中」と表現したのはお見事でした。しかも「その時だけはスローモーション」というスピードの対峙した言葉を並べることで、本人の彼女に対する気持ちが浮き彫りにされてゆきます。見えるだけで嬉しいという心の現れも、彼女に対する思いを浮かびあがらせており、純粋な気持ちが感じられました。
きっと追いつく事はない片思いの各駅停車
準急は各停に追いつくことはないという現実を、自分の恋になぞらえています。あきらめにも似た気持ちを読み手にわかりやすく例えてくれました。
作品の所々に散りばめられた春を思わせる単語の数々。「芽生えた告白」「春まだ浅い青空」など、時間に対する期待の念と同時に、季節感を作中に広げてくれています。
ラストは告白が叶って彼女になってくれるというハッピーエンド。ただハッピーエンドを描くだけだったら、ドラマで見かけたことのあるラストになっていたかもしれません。最後の最後がいいですね。
「サクラサク」
よく受験合格に用いられる言葉ですが、言葉からくる、受験現場で飛び上がって喜ぶ様子が、彼女が彼氏に昇格してくれたというシーンとうまく重なって、歓喜の気持ちが突出していました。と、同時に、満開の桜が新学期を思わせてくれ、これから始まる二人の幸せな時間も感じさせてくれました。着地点が作者さん独特で、しかも大きな幸せの余韻を感じさせてくれました。佳作を。
☆はるがきた じじいじじいさん
啓蟄も過ぎて、あたりの緑も増し、春ですね。カレンダー無しでも春ってわかりますね。
森の動物の気持ちになって、春を喜ぶ詩を書いてくださったのですね。
森の動物のみんなが次々に目を覚まし、春を喜んでいるという様子はよくわかりました。ただ、詩の中のすべてが現実のままに綴りすぎているために、あと少し、じじいじじいさんの味付けを試みてもよいかなと感じました。ただ、一から十まで味付けしすぎると、これまた、くどい味付けになってしまうと思うので、もう少し味付け可能な部分をピックアップしてみました。こことここを味付けしたらいいなという箇所を選んでいただいて、更に、更に、じじいじじいさんテイストの優しい春の詩に挑戦してみてください。
※はるがきたからみんなでてきた→どんなことを春だと感じて出てきたのかに注目してみる。
※ゆきがとけてみどりがふえてきた→雪の解ける様子や溶けてみどりが見えてくる様子を作者さんなりの感性で表現してみる。
※みんなはるがきてうれしいね たのしいね→「たのしい」や「うれしい」このワードをそのまま単独で使ってもぜんぜんOKなのですが、どんなふうにうれしいのか、なにがたのしいのか、このワードの周辺に関して、自分なり表現を考えてみる時間を持つことも面白いと思いました。
※これからもりでいっぱいあそべるね→どんなふうに遊んでいるのか、遊びたいのかを短い言葉にまとめて印象付けてみる。動物や自然の様子を、オノマトペなどを使用して表現するのも楽しいかも。
春の喜びを表す作品。この作品には、まだまだ、いろんなたのしさや喜びを表現できる可能性があるので、これだというお味を探しつつ、詩を書くことを楽しんでいただければ嬉しいです。今回は佳作三歩手前で。
☆挨拶 相野零次さん
挨拶は生活にあふれていますね。スマホの時代になってから、あちらこちらで挨拶を交わし合っている姿はずいぶん減った感じがしますが、まだまだ健在ですね。
全体にわたって、人間の一生を綴っている流れになっていますね。人間の喜怒哀楽や、季節感をうまく盛り込んでいますね。
「人間は神様が作った芸術」と「挨拶」
二つの言葉は、並べみているだけでは、何の結びつきもなさそうな言葉ですが、この作品の中で見事に取り込まれていますね。作品の流れと組み立てが綺麗にまとめられているので、ひとつだけの連だけが浮いているなどの違和感もありませんでした。
そのままでも、全く大丈夫なのですが、個人的に、以下の表現の「ならなくちゃならない」と、「演じながら」の部分。
僕たちは人間という芸術にならなくちゃならない
タイトルをつけられなくちゃならない
さまざまなドラマを演じながら
「ならなくちゃいけない」となると、親か誰かにやらされている感が表に出てしまう気がして、生きるって「やらされるってこと」と、読み手に感じさせてしまう気がしたのです。ある意味、「生きる」って、神様が人の姿を与えてくれた魂の自由のような気もするので、「ならなくちゃならない」というよりは「~でありたい」などの自らの意志を意味する表現の方がいいのかなどと思ったりもしました。
「演じて」と言う表現も同じようなことを感じました。「ドラマ」自体は芸術に関係する言葉なのでそのまま用いられたのだと思いますが、やはり、制作されたもののイメージもつくので、「ドラマ」自体の例を外して、舞台などを用い「時の舞台をステップしながら」という感じで、近くで生身の人の息を感じさせてくれるような言葉を探していくのもいいのではないかと思いました。別件になりますが、「こんにちわ」は「こんにちは」の方がいいと思いました。
ラストのまとめ方は、とてもき綺麗でした。人生の終わりを「おやすみなさい」という言葉で表現して静かに詩をまとめられた点、舞台を見てゆっくりカーテンが降りていくような感じ、或いは、映画を見て自然にエンドロールが流れてくるような、とても自然な感じがよかったです。今回はふんわりあまめの佳作を。
☆吠える先生 温泉郷さん
タイトルだけを拝見している時点では、先生が吠える??どういった内容なのだろうかと見当もつきませんでした。
実際に内容の中に入ってみると、何とも言えない切なさがありました。「吠える」というのは、最後の声を振り絞って出されていた声だったのですね。
どうしても先生に会いたい。ひと声でもいいから先生の声を聞きたい。その気持ちを前面に出してしまったことで、大きく後悔している思いがとてつもなく、読み手に伝わってきました。先生の意思で面会制限をしているけれど「ごくごく親しい人」ではなく「どうしても仕事上の連絡が必要な人」として待たなければならないや、要件の電話が最後の電話になってしまったことなどの表現、「先生の最後の数分を奪ってしまった」の思いは、読み手の私も複雑な心境と同時に辛い気持ちになりました。
事実を順番に書かれている中の、その一行一行、ひとことひとことに、隠しきれない作者さんの思いが滲み出ているように思えてなりません。仮に、鉛筆書きでこの詩を紙に書くとしたら、どれだけの筆圧が生じたのだろうか。そんなことまで考えてしまいました。読み終え、改めてタイトルを拝見すると、このタイトルの凄さを感じずにはいられませんでした。佳作を。
☆魂は燃えている ふわり座さん
命には限りがあるからこそ、夢を持って、夢に向かって頑張ろうよ。そこには困難があるけれど、自分の道を見つけ、時には立ち止まり、自分の信じた進路を選択を信じて生き抜こう!
私の元には、このような強い意味合いのメッセージが届きました。とても力強くて、勢いのある作品だと思いました。エネルギーを感じさせる言葉「夢」「魂」「宇宙」「前進」をバランスよく使っています。詩行に躍動を感じさせてくれました。エネルギッシュなところは、とてもよかったのですが、個人的に気になったのは、テーマを少し広げすぎたのではないかというところでした。
登場人物の「僕」の夢は最終連に記された通りで「愛すべきたった一人を見つけ出し/
最後まで守り抜き/何が起こっても愛し続けるという夢」となっています。最終連の「夢」は、おそらく「夢」の最終形態なのだと思いますが、三点を一気に並べて一つの夢として描こうとすることは何も問題はないのですが、「大切な人に巡り合う夢」や「今いる大切な人を守りぬく夢」についてなど、一つに絞って描かれた方がよかったようにも思えました。最終連の三点の夢を最終形態としての着地点にしようとするあまりに、それまでの連に関して、書くことが横にも上にも膨らみすぎてしまっているかなぁというふうに、感じてしまったからです。極端なお話になりますが、例えば、大きくテーマを広げて「戦争反対!世界に平和を!僕は最後まで愛を信じ続ける!この世にいのちの愛の光よ広がれ!」とするのを、少し指しどころを縮小して「戦争は絶対嫌だ!/憎しみ合うより/みんなが泣かずに笑って/光の朝を迎えられる世界がいい!」……どちらも同じようなことを言っているのですが、後の例は指している範囲が若干狭くなっています。このような感じでしょうか。うまく言えなくて申し訳ないですが。
話は変わって、中ほどの連の進路を信号に例えたところは面白かったです。魂が燃えているから金色発進とするところが特に。
一生懸命、熱をもって書かれている作品だと感じました。今回は佳作一歩手前を。
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三寒四温で春本番と言われますが、今年の三月はいったいどうなっているのでしょうか??
六寒二温二熱?? 雹が降ったり、夏日になったり??二月の気温になったりと、
人も周辺の生き物も草木もたいへんな三月でした。早く落ち着いてほしいと思うこの頃でした。
みなさま、今日も一日、おつかれさまでした。