4/1〜4/3 ご投稿分の感想と評です 荻座利守
この度、レギュラー評者を務めることとなりました。よろしくお願いします。
なお、作者の方々が伝えたかったこととは異なった捉え方をしているかもしれませんが、その場合はそのような受け取り方もあるのだと思っていただければ幸いです。
4/1 「光の方へ」 朝霧綾めさん
今回は初めてとなりますので、感想のみとさせていただきます。
生きてゆくことに伴う苦しみの中に、何か小さな光を見いだしたとき、その光の美しさには形容しがたいものがあるのでしょうね。
でも苦しみの中にあるときは自分の殻に閉じこもってしまい、その美しさに気づくのに少し時間がかかるのかもしれません。3連目の、
「『やめてよ』
私が言う
いらだった声で」
というところに、その様子うまく表されています。
そしてそのすぐ後の
「でも小さくて細いあなたの手が
少しかわいそうになって後悔する」
というところに、自分の痛みの経験から他者の痛みを読み取る、共感の兆しが描かれているところも、繊細な心情が描かれていていいと思います。
さらに6連目の、
「ああ そうだった
あなたは目が見えなくて
耳が聞こえない」
というところに、何か大切なものへの気づきが示されていて、そこから詩が明るい方向へと向かってゆきます。
その構成はスムーズで、とても読みやすいと感じました。
ただ、春の光が「目が見えなくて耳が聞こえない」のに「だから全部知っている」というところが、個人的には何かしっくりこなかったのですが、よく考えてみれば、目が見えなくて耳が聞こえないからこそ、その時が来れば誰にでも平等に訪れるのかもしれません。
それと同時に、これは殻に閉じこもっていた自分自身の投影であるような感じもしました。
この逆説的な表現はなかなか微妙なところで、ここを読んでしっくりくる人とそうでない人と分かれるのではないかと、そんな気がしました。
でも、「冬があるからこそ春がある」みたいな月並みな表現を採らなかったことが、この詩をより美しくしているとも言えると思います。
全体的に、つらい時期を耐えてきたものを見守っているような、春らしい優しく暖かな感じのする詩です。
また書いてください。
4/3 「メモリー」 相野零次さん
冒頭の「忘れることは考えることと繋がっている/たぶん人は考えながら忘れている」というところは、普段あまり考えない視点ですね。そう言われれば確かにそのとおりだと思います。
この導入の仕方は、なかなかインパクトがあっていいと思います。
実際、私たちは周囲の情報のすべてを記憶するわけではなく、思考によって重要な情報に注意を向け、重要でない情報を意識的に無視して忘れていしまうという、「選択的忘却」と呼ばれる現象があるそうです。冒頭の2行は、それについての実感を表したものなのでしょう。
ただ、冒頭にインパクトがあった分、その後の展開にやや物足りなさをも感じてしましました。
参考までに、前作の「喜怒哀楽」と、前々作の「挨拶」を拝読しました。それらの作品は抒情豊かに描かれているのに対し、今回の作品はそれらに比べて抒情的な要素も訴求的な要素も少なく、全体的に「弱い」ように感じました。
例えば、末尾の「今日を忘れずに/明日へ繋がるように生きている」というところに、今日という一日を大切にしたいという思いも感じられますので、そこを譬喩や対比のような表現を用いて深めてみるのもいいのではないでしょうか。
また2連目にも、例えばコンピューターのメモリーとストレージや、古代の遺跡や図書館といったような譬喩を用いる余地があるようにも感じられました。
あるいは、思考と忘却との関連という、多くの人が普段あまり考えない視点から切り込んでいるのですから、忘却による既存の枠組みにとらわれない創造性の発露、などといったような、忘れることのポジティブな側面にも触れてみたら、それが一つのアクセントになるのではないかな、とも思いました。
少々手厳しいことを書いてしましましたが、相野さんは高いポテンシャルをお持ちだと思いますので、それを生かしていただきたいと思います。
思考と忘却、今日を明日へと繋げる、といった視点はとてもいいと思いますので、さらにそれを深めて、また書いてみてください。
今回については、佳作三歩手前ということにしたいと思います。
4/3 「嫉妬」 喜太郎さん
友人の一人として普通に接していたのに、自分の特別な人になってほしいと言ったために、その関係がおかしくなってしまう、という経験をした人は少なくないと思います。そのように比較的よくあるシチュエーションなのですが、結末の意外性が面白いですね。
全体的に譬喩や対句といった技法が最小限に抑えられているようで、そのことがかえって、心の底からほとばしる感情の激しさを表しているようにも感じました。
まず、冒頭の「本当の僕はどっちなんだ?」というところが、自分自身に驚き戸惑っている様子をダイレクトに表しています。
また、「君」を天使に、「僕」を悪魔に喩えて対比させているところは、自分の心の醜さへの慚愧の念が示されているようです。
さらに、「笑顔で許し続ければ良いんだよ」というところで「許す」という言葉を使っているところが巧みですね。客観的に観れば「君」は何も罪を犯してはいません。それでも「僕」だけを見つめていないことが罪であるように思えてしまうことが、嫉妬という感情の醜さであり、悪魔に喩えられる所以なのでしょう。その醜さに耐えて「許す」辛さが、「心を切り刻んで偽りの心を作り出し」という表現にうまく表されています。
そして、末尾の「翼の無くなった天使の背中には僕と同じ黒い羽が生えていた」という結末は、自分の発した悪が、他者の中に潜んでいた悪をも目覚めさせ発露させてしまった、というふうに受け取りました。そこに人間の普遍的な業や原罪のようなものが表されているようにも感じました。
ただ、タイトルでもある「嫉妬」という感情の中に秘められた、支配欲や独占欲といった暗い欲望への表現をもう少し入れた方が、悪魔や黒い羽の譬喩がより生きてくるようにも思いました。
でも、ストレートな感情の表現と、以外な結末が組み合わさっている面白い詩だと思います。
今回は、やや厳し目に佳作一歩手前としたいと思います。
次の作品に期待しています。
4/3 「静寂の地平線」 温泉郷さん
幻想的で美しい詩ですね。夜明け前の静けさがありありと伝わってきます。
無粋なことを言えば、流れ星が後方の流れ星を持つかのように減速することはあまり考えられませんので、ここでの二つの流れ星は何かの象徴だと考えられるでしょう。
白と青の二つの流れ星は友人のようでもあり、親子のようでもあるように思えます。一方の流れ星の青という色は、若さや幼さを表しているようにも感じられました。そして流れ星の光とは生命力、あるいは優しさの象徴でしょうか。
一方、「夜明け前の空は澄んで/星々は動かない」という静的な表現と、動的な流れ星との対比も、詩の雰囲気に良いコントラストをもたらしていると思います。この部分は、何か大きな変化の前兆を表しているのでしょうか。それとも、二つの流れ星を見守っている様子を表しているのでしょうか。
この二つの流れ星の動きや光のやりとりについては、この社会や世界に優しさや思いやりが満ちて、いたるところでそれがやりとりされることへの願いが込められていのではないかと、個人的にはそんなふうにも感じました。
この作品では全体的に、譬喩や対句、反復などの技法は用いられていないようですが、二つの流れ星や、タイトルの「静寂の地平線」が何らかの譬喩となっているようでもあり、またあまり技法に凝りすぎると、この詩の幻想的で静謐な雰囲気が損なわれてしまう可能性もあるので、それはそれでいいとも思います。
それでも一つだけ気になったのは、5連目の「キラリと輝くと」という表現なのですが、この表現はやや月並みな感じがするので、例えば「一瞬の閃光を顕わすと」みたいな表現にしてみてはどうかとも思いました。しかしこれも個人的な感覚によるものであり、感じ方は人それぞれなので、必ずしも変えた方がいいというものでもありません。
ですから、特に大きな改善点らしきものは見当たりません。
最後に、この詩は人により様々な受け取り方ができるでしょうが、個人的には、末尾の「夜明けが近い」というところから、この「静寂の地平線」とは、やはり優しさのあふれる未来への希望を表しているかのように感じられました。
今回は佳作としたいと思います。