古書 静間安夫
思いがけず
その本を見つけた時の
わたしの心のときめきといったら
とても言葉には言い表せない
前々から
読みたくてたまらなかったけれど
長いこと品切れで
手に入らなかった「元禄快挙録」-
行きつけの古本屋さんの書棚に
突然現れたのだ…
きっと、ごく最近
誰かが売りにきたのだろう
早く読みたくて
矢も楯もたまらず
上・中・下の文庫本三冊を買って
急いでアパートに持ち帰り
今、こうして読みふけっている
もう、上巻を半分くらい
読み終わってしまった
せっかく手に入れた本なのだから
もっと丁寧に時間をかけて
読めばいいのだが
赤穂浪士の世界に
どっぷりはまりこんでしまって
先が読みたくてたまらない!
でも、あまり慌てて読まないで
せめて、気に入った文章には
線を引っ張るくらいはしよう―
そろそろ、赤穂城開城を巡って
内蔵助が類まれな統率力を
発揮し始めたところだし…
なになに、
「理義に明らかなる者に、明快なる決断はある」
か、いい言葉だなぁ…さっそく線を引こう
―あれ、待てよ!
同じ箇所に、もう既に、
色は薄くなっているけれど
鉛筆で線が引かれてるではないか…
そうか、きっとこの本の
前の持ち主が
―いや、もっと前の持ち主かもしれないー
わたしと同じ言葉が気に入って
こうして印をつけたに違いない!
いや、ここだけじゃない
よく見ると、薄くてよくわからなかっただけで
あちこちに線が引いてある…
でも、どうして
そんなに気に入った本を
持ち主は売ってしまったのだろう?
現金が入用だったのか?
それとも、ほかに
よんどころない事情があったのだろうか?
この類の本は、手放したら最後
もう二度と手に入らない…
もし、自分だったら
二の足を踏んだことだろう
だが、かりにその人が
この本を手放してくれなかったら、
こうしてわたしのもとに
たどり着くことはなかったろう
何とも不思議な巡り合わせではないか…
きっと、その人は
わたしと本の好みが一緒で
しかも、わたしが気に入った箇所と
同じ箇所に線を引くような、
いわば似たもの同士に違いない
そうした
全く未知の同好の士と
わたしの間を
古書が取り持ってくれたのだ
いや、こうは考えられないだろうか?
もしかしたらその人は
不承不承この本を手放したのではなく
自分が感動した本を
ほかの誰かに
読んでほしかったのかもしれない
この本が、どこの誰にたどり着くかはわからない
けれども、古本屋さんに引き取られれば
きっと、自分と同じような感性の人が
手に取ってくれるだろう…
そんなふうに考えて
本を旅立たせたのかもしれない
もし、そうなら
古書とは
未知の人から未知の人へ送られる
「投壜通信」ではなかろうか?
その不思議な縁で
結びつけられた人々は、
一見、連判状で団結した
赤穂浪士たちとは異なるようで
その実、お互いに
深く共感し合っていることにかけては
決して引けをとるものではない…
そんなふうに思われるのだ
さぁ、気ままな空想にふけるのは
このくらいにして
先を読み続けることにしよう―
そうして全三巻を読み終えたあと
思い残すことなく
「元禄快挙録」を
旅立たせてやれるよう
じっくり腰を据えて読もう―
内蔵助が同志たちを快挙に導いていった、
精彩を放つ記録を