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スレッドNo.5510

感想と評 4/4~4/7ご投稿分 NO2 三浦志郎 4/14 

1 天さん 「晴天行進」 4/4 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

予備知識として過去2作を読ませて頂きました。概観すれば、シリアスの大部分と“くだけ調”の散見が認められました。いわゆる現代詩寄りのかたでしょう。
本作が基調としているのは、上記2種のうち、比較的、後者でしょう。案外、この詩は朝、起きて出勤前を書いたのではないか?と思ったりするわけです。「今日も行きたかったところとは違うところに」とあるから。「降水確率0ぱーせんと」とあるけど、どんより曇って、雨降り無しとしない雰囲気。そんな微妙さもあります。注目したいのは、初連と終連の対句的対応性です。この採用は作り手の心理として、強調したい、(ここを読んでもらいたい)にあると思って、ほぼ間違いない。「夢をみた」「夢を見たい」を介在させて、その時の気分を勢いに乗せたい、そんな心理が窺えるのです。
ところで、大き目の余白の意味は何でしょうね?音楽の話をします。音楽の余白=音の全休止(ブレイク)があると、その曲に「個性・変化・テンション」をもたらします。(奏者にもテンション?)。
それと似た効果と想像されます。あるいは、ここで時間の流れをいったん切る効果。まあ、適材適所で願います。なかなか面白い書き手さんのようです。また書いてみてください。


2 上原有栖さん 「じゃないパパ」 4/4

微笑ましい「作風変え」ですね(微笑)。お子さん目線で書かれていますが、この詩、けっこう情報量もあるのです。早朝出勤。月水金は寝かしつけてから出勤。夜勤もあるのでしょう。

その不規則を、「お疲れさまです」と言いたいですね。この詩はお子さんを介しての自分詩、と同時に自分からお子さんへの愛情詩。その相互の中から生まれたものでしょう。「じゃないパパ」―このネーミングも絶妙でした。この詩に評価など、不粋というもの。感想のみ、そっと書きました。

アフターアワーズ。
「*」コメントに大変好感が持てました。評者にとっては遠く過ぎた時代。とても懐かしい。


3 森山 遼さん 「春がきた」 4/4

冒頭佳作です。
森山さんも難解、シリアスから、こういったものまで、領域が広がりました。
2連。文中の言葉通り、読んでるほうも、うっとりしてきます。「眠気眼」も活きてます、こういうのは、書けそうで、なかなか書けないものです。「ぼくは自我の中心点がふわふわして危うく」―ここもいいですね。明るく軽やかな春にあって「ぼく」には少し痛みがあるようです。
「逃げている」「許している」あるいは幸福と憂いの交錯。そのさじ加減、バランスも見事に詩に溶け込んでいます。
一見、サラリと書いているようですが、自己の心情内奥をよく吟味し言葉として再生しているのがよくわかるのです。大好きな詩ですね。

アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらで―。
「寂しい」「嬉しい」の直接表現は少し考慮の余地を残すかも?4連~6連の主旨が充分伝えていますから。


4 白猫の夜さん 「またね」 4/7

まず「イマジナリーフレンド」を調べてみました。語り手はこの言葉に否定的ですが、僕はどうも、この相手は「~フレンド」のような気がする。それに関連して、この事態を実話とするか、フィクションとするかは、議論の分かれるところでしょうが、それは読み手の自由に委ねられていいと思います。
僕としては「イマジナリーフレンド」心理で書かれた想像、幻想といった立場を採りたいです。つまりフィクションです。
実話としては、あまり信じたくないというのが正直な気持ちで、実話として読むには、3連目まではあまりに悲惨です。詩の本領はそれ以降にあると思いたい。それは「貴女」と世界との関係、「わたし」の「貴女」への愛惜でしょう。
実際の死者にも「再び世界」「再び笑いかけて」「産声」「待っているわ」といった思いは修辞として書けるものですが、僕は、どうも幻想の友人への語りかけのイメージが抜けきらないのです。
タイトル「またね」は恐ろしいほど。実に事態や心情の深みにまで達しています。佳作にします。


評のおわりに。

お待たせ致しました。
4名のかたには、大変ご迷惑をおかけ致しました。
お詫び申し上げます。 では、また。

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