MENU
1,312,182

スレッドNo.5535

ある作曲家へ  静間安夫

なぜ、あなたは
祖国に残る道を
選んだのですか?

若くして
名声を得たあなたなら
きっと亡命を
選ぶこともできたでしょう

新しい国で
自由な国で
何の気兼ねもなく
腕を振るって
作りたい曲を
作ることもできたろうに

それでも
なぜ、あなたは
あえて困難な道を
選んだのでしょう?

猜疑心に満ちた独裁者と
狡猾な秘密警察に監視され
友人、家族までが
密告者になるような国―
収容所に送り込む人数の
数値目標がきまっている、
そんな国なのに

それでも、あなたは
祖国に残る道を
選びました
なぜなのでしょう?

作曲の方針に執拗に
干渉されるだけでなく
その出来栄えが
たった一度でも
「反革命的」と批判されれば
収容所送りではすまない―
粛清の恐怖が
待ち構えていたはずなのに

そればかりではない―
敵国の軍隊に包囲され
飢餓に苦しみ
砲弾が降り注ぐ街に
あなたの仕事場はあったのです

そのうえ、
後世の人々の
あなたに対する評価は
毀誉褒貶相半ばする状態です

なぜなら
あなたの音楽が
良くも悪くも
独裁政権に利用されたことで
「非人間的な体制に迎合した」
という汚名を
かぶらざるを得なかったから…

これもみな
あなたが祖国にとどまって
作曲を続けたゆえのこと―
その決断の真意を聞くことは
永遠にかないません
あなたがすでに
鬼籍に入った今となっては…

それにもかかわらず
あなたが残した膨大な作品に
ひたすら耳を傾け
虚心に向き合うとき
その答えが自ずから
明らかになるように思われます

もちろん
言葉で言い表すのは難しい
しかし、例えば
あの壮大で悲愴なシンフォニーを聴くとき
あなたの祖国の
広大で果てしない大地と
そこに暮らす不屈の人々が
自然に脳裏に浮かび
それとともに
描かれた対象への
深い愛着が感じられるのです

いや、
必ずしもそれだけではない―
注意深い聴き手なら
きっと気がつくでしょう
あなたの作品は
祖国の人々の
矛盾し分裂する精神の有り様を
そのまま映し出したものであるということを

「哄笑と憂鬱」あるいは
「聖性と卑俗」という
両極の間を激しく揺れ動く
パトスの表現であるということを

そして、あなたは
こうした民族の特質を
何よりも自分自身が
色濃く受け継いでいる、と
自覚していたのでしょう

だからこそ
自分の芸術は
祖国と切り離しては
成立しない―
祖国にとどまり
人々と運命を共にする以外に
選択肢はない―
そう考えたのではありませんか?

それゆえに
あなたの曲の
どのフレーズをとっても
どのテーマをとっても
その時代の苛酷な切迫した空気を
反映した表現であるだけでなく
深刻な矛盾と分裂を
内面に抱え込んだ人の
屈折したメッセージでもあるのです

ですから
あなたの作品を聴くときには
用心が必要です―
一見、権力者にすり寄り
賛美しているかのような曲が
その実
当の権力者を揶揄し
嘲笑しているかもしれないから

それどころか
独裁者への賛歌を演奏した、
その直後の一節で
打って変わって
懐に拳銃をしのばせた
反逆者の暗い情熱を口ずさむ―
この対照にこそ
あなたの音楽はあるのです

仮に
あなたが祖国を離れ
自由の国へ亡命し
安定した生活を送っていたら
こうした複雑で捉え難い作品は
決して生まれなかったでしょう

まさにその捉え難さのゆえに
あなたの芸術は
危機の時代の類まれな証言に
なり得たのです

「自らが求める音楽と体制が求める音楽との
 乖離に葛藤した悲劇の作曲家」

これが後世の批評家が
あなたに対して持っている
最大公約数的な見方です

しかし、わたしならこう書くでしょう―

「時代の混迷と矛盾を身をもって生き、ひとりの国民として
 祖国の運命を音楽で表現した不世出の作曲家」と。

編集・削除(編集済: 2025年04月21日 10:18)

ロケットBBS

Page Top