感想と評 4/18~4/21 ご投稿分 三浦志郎 4/26
1 上原有栖さん 「ペインキラー」 4/18
「~~キラー」というのは、けっこう物騒なものもあるのですが、これは良い方ですね。
念の為、調べたら「鎮痛剤」とありました。前作は「パパ」でしたが、今回はご自身のこと。
これは実体験を基調としながらも、少し誇張やフィクションが入って仕上げた感じがします。
前作にもあったように、仕事が心身にとってハード過ぎる気がします。精神面が大きい気がします。
「錠剤~二粒」「カプセル~一錠」とあるので、二種類飲んでると理解されます。ポイントになるのは、終わり2連という気がします。後輩のセリフです。しかし忖度なく、ずいぶんはっきりと言うものですねえ。自分のコンディションに傾き過ぎ、他者との関係、他者の気持ちに気が回らなくなった、といったところでしょう。その方面にも薬が効くかどうかは、ちょっと疑問ですね。やはりご自身の意識の範疇といった気がします。
佳作一歩前で。
2 こすもすさん 「貨物列車」 4/18
前口上を少し。
トラック輸送と鉄道輸送の活動比率を調べたところ、現在は圧倒的に前者が多いそうです。
で、このことは、この詩の骨子に少なからず関わってくると思うわけです。
それを前提とすると、この詩は3連が最も読みどころ。「コンテナが数えるほどしかなく」や「トラックが列車を追い越してゆく」が代表でしょう。トラックと列車の速度関係は普通、逆のように思えるのですが、何か事情があったのでしょう。いや、それ以上に、この情景は今の輸送界の実態を示唆するに充分のものがあります。それに答えての「時代の流れなのか」「叫んでいるのか~時代に抗うように~」と続きます。ここはよく考えて書き込んでいます。そんな連を他の連は、美しいが少し切ない描写で囲んでいます。それは貨物列車への優しい眼差しのようでもあります。タイトルからすると、書き手も読み手も力強いものを指向するのが、ほぼ定石なのですが、この詩はそうではない、ひとつの哀感です。そこに価値がある。そこを見ておきたい。
別視点を書きます。貨物列車を実際に運転している人は、こんなことを思ってはいない。鼻歌でも歌って、仕事後の酒を楽しみにしているかもしれない。いっぽうで、離れた地点で貨物列車をこのように書いてくれる見知らぬ人―すなわち詩人―がいる事を、ここに記しておいてもいいかもしれない。佳作です。
アフターアワーズ。
過去にも鉄道に関わる作品がありました。このあたり、単に偶然なのか、それとも何かのこだわりがあるのか、少し興味深いところです。
3 詩詠犬さん 「ことば」 4/19
そういえば 「なんとも言えず」と言いながら
「美しい」と言っている
いきなり引用してしまいました。
少し笑えるのですが、これは大まじめに考えないといけない。僕はこの詩で、ここが一番好きなんです。「なんとも言えず」=「言葉にならない・筆舌に尽くしがたし」とするならば、一応言った「美しい」は本当に正しいのか?嘘くさくないのか?表面だけではないのか?詩は検証を始めます。
実はこの詩は花の状態をきっかけとして、言葉の可能性と限界をシンプルな日常性と言葉の中で言い当てているのだと理解しています。これを私見交えて書いてしまうと……
「人間の五感・感性・情緒・インスピレーション>言葉」
後者は前者群に追いつけない。完璧に体現できない。詩はその事を言っている。結果、詩は終連部分の結論に至ります。これもひとつの見識と思うわけです。深い内容を詩詠犬さんらしい言葉で書かれました。 甘め佳作を。
4 静間安夫さん 「ある作曲家へ」 4/21
前口上を少し。
詩論とは別地点において、評者のみならず、読んだ誰もが(この詩の作曲家は誰だろう?)と思うわけです。とりとめがないので、思いつくままに候補者を挙げて調べてみました。
「スメタナ・ドボルザーク・チャイコフスキー・ムソルグスキー・ワーグナー」
どれもピンときません。どうも釈然とせず。そこで、検索方法を変えたら、ショスタコヴィッチがヒットしました。多分、この人のことでしょう。そう思って書きます。違っても気にしません(笑)。
「社会主義体制に翻弄された作曲家」とありました。
まさに、この詩もそれを充分踏まえています。まずは独裁体制下での彼の辛苦が背景に描かれます。具体的にはスターリン政権下での音楽芸術への圧力です。身の危険も感じるほどの。
加えて、地獄のような独ソ戦。このような中での音楽活動は甚大な圧迫を受けます。詩中にもあるように(生きる為には)「体制に迎合した」面もあったでしょう。この付近までが前半。しかし、この詩の本領は後半部。その前兆がすでに初連から4連までに提示されています。「なぜ亡命しなかった?祖国に残ったか?」の疑問。それを受けて後半はその解析、静間さんの詩を通しての推論、考察です。彼の「良くも悪くも我が祖国」―そんな思いが詩によって浮き彫りにされます。単に履歴羅列に留まらず、ひとつの疑問から発して、この人間の持つ表面、裏面にも触れながら、静間さん独自の音楽家像にまで昇華されました。 佳作です。
アフターアワーズ。
冒頭付近の疑問ですが、亡命ではありませんが、ドボルザークが米国を訪問して、あの「新世界」を完成させた故事が、どうも僕の頭から離れずにありました。静間さんにもあったのかもしれません。僕はクラシックは殆ど聴きませんが、この人、ちょっと聴いてみたいと思います。
5 人と庸さん 「関係」 4/21
まずは準備として、吉原幸子「無題(ナンセンス)」を読みました。
そして初連……例えば街中で人と人がすれ違ったとします。相手の名前は知らない。自分の名前も知られない。そんな一瞬の関係の二人。そこから同心円状に広がる世間・社会・世界。広い荒野はそういったもの。マッチ棒幾本は人の象徴。
2連……吉原詩の1フレーズ。ある解説では孤独のありよう、あるいは存在の本質と説明される。
ここでは、この詩の作者が作品の呼び水として引用したと思える。
3連……初連との対比で、名前さえあれば、関係はもちろん、人間や社会に「変化」という一石を投じるだろう。
4連……2連の引用部を下敷きとして、作者は「いる、いない」の本質を、タイトル「関係」にまで広げている。
5連……転じて、此処は具体的事例。一人の人間の死。
6連(1行独立)……生も死も恐怖である。(2連、4連とも関連)
7連……一見美しいが、内実は醜いだけのこの世界。
8連……人と人に芽生えた「関係」によって、この世界は俯瞰すると美しくは見える。いや、希望的観測かもしれないが、実際、美しいのかもしれない。
9連……世間の個々人に向け、作者は何事かを働きかけようとしている。あるいは祈りや願いかもしれない。詳細は評者にとって不明。
10連……評者にとって意味不明。
―と、まあ、こんな感じで読んでいたんですが、「広い荒野にマッチ棒」はシュールな絵画を観るようで、非常に抽象現代詩的効果があります。それでいて、これらは比喩する物が何であるかはわかる仕組みを取っています。「匿名→名前あり」の発展によって関係が始まり世は初めて動き出す、良くも悪くも―。そんなフィーリングを感じています。詩は難解さを提出しながらも「いかようにも読んでもらって構わないです」といった寛容ももたらしています。 佳作を。
評のおわりに。
ある偉大なアーティストの偉大なコンサートに行ってきました。
会場は1万2千人キャパで満席。
いい歳こいて人生観が少し変わりました。
その1。
人は生を受けたからには、よろしく成功すべきであること。(僕はもうとっくに遅いけど、ネ)
その2。
地鳴りのような重低音を積極的かつ好意的に研究すること。
以上です。 では、また。