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スレッドNo.5561

思想詩「集団意識と個人の尊厳1、2、3」

1)国家が権力を自覚し始めた時から、ある意味、全体主義とは必然である。
何故なら、権力構造そのものに多数の全体主義への因子が存在するからだ。
一方で宗教とは、内部統制に分裂を見ることはあれど、共同体であることを一とする、
そして人間の存在意義、人はどうするべきかを常に問う。
人間が群れて行動すると、何処か胡散臭さが付き纏うのは構造的、及び共同体において、集団の利益を第一とするからだ。
札束で風を扇ぐリーダーと働き蜂の群れの例え、要は私は集団が嫌いなのだ。
          ✳
2)傲慢さ、冷徹、目的至上、帰属意識による横柄さ、人間の非道徳的行動とは、ほとんどが集団意識の暴走を元とする。
この面に関しては、性悪説を否定することが難しい。
歴史を省みても、俄然として死体の山が聳え立つばかり、そこに人間の尊厳を見出すことは出来ない。
私のような個人主義者はいう、それ見たことかと、なるほど、科学文明の発達には必要だろう、そして、火薬から核兵器が浮かぶ。
要は、人間の尊厳とは、集団意識ではなく個人に帰する、そうでなければならない。
          ✳
3)人間の尊厳とは、斯くあるべきものではない、決して、そうあってはならない。
何故なら、人間の本質とは自ら考えることにあり、ロボット、或いは労働者、又は組織人間になることではない。
集団意識が正であり、どの集団が正しいかを問うなど、本末転倒そのものである。
人間の尊厳とは、自ら考えることによるアイデンティティの、思う行うに他ならない。
昨今の人間でない人間、暴力、破壊衝動で動く加害者群とは集団意識の犠牲者でもある。
常に集団の声を求め、指示通りに動く、蜂や蟻の如く、或いは暴走する、要は、彼らの哲学は死んでしまったのだ。

編集・削除(編集済: 2025年04月27日 20:02)

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