批評です 4/22〜4/24までのご投稿分の評です。 滝本政博
批評です 4/22〜4/24までのご投稿分の評です。 滝本政博
夢現カテーテル 松本福広
ユーモアがあるのがいいです。最初の連で夜勤明けの僕は寝てしまい、最終連で目をさます。その間、夢の中という構成です。
話はカラフルに描写され、それが魅力なのですが、まとまりに欠ける面もありこれからの課題でしょうか。手乗りクジラなどでてきて笑いましたが、やはり唐突だといえましょう。
カテーテルについては大きな手術後の導尿に使われるくらいの知識しかありませんので、まず調べてみました。
カテーテル
定義的には「体内に挿入して、検査や治療などを行うための柔らかい細い管」です。体内に入れる事が基本であり、体外につながれる「回路」、「チューブ」、「ライン」等とは分けて使われます。
素材はナイロン、シリコン、テフロンなどの高分子化合物が中心で、太さ1~10mm程度、長さ数cmから2m近くまで、用途、目的によって形状も色々です。
圧や流量の測定、血液・体液の採取や排出、更には検査、治療を行うために「カテーテル」は欠かせない道具であり、全ての診療科で使用されているといっても過言ではないでしょう。
特に近年では外科手術をしなくて済む「カテーテル治療」と呼ばれる分野が大きく発展してきました。
作品では、これは点滴のことをいっているのではと、思う部分もありました。
あと、詰が甘い部分がいくつか見受けられます。一例をあげれば、
<星ひとつない空に
ひとつ浮かぶ満月にカテーテル挿せば
月から排出された瞬きが星屑になる
寂しかった三日月に友だちできたね>
満月がいつのまにか三日月になっていますが、説明不足でよくわかりません。
いろいろ書きましたが、また読ませてください。
末端 津田古星
佳作とします。
社会派の詩ですね。
原発及びその事故について、このような視点から書かれた詩はないのじゃないかな。きわめてユニークな作品だとおもいます。
毎日ただ忙しく過ぎて行く生活。みんな大急ぎで事務的に片づけていた仕事。
わたしは結婚して退社、28年後テレビで知ることになる水蒸気爆発の映像。わたしは当時のことを思い出します。自分は何をしていたのか。
日常の中に隠れていたものが、剝き出しになる怖い瞬間が描かれます。
誰も責任を負わない、その仕組みは怖いと思いました。
現代社会に向ける批評的なテーマが取り上げられていますが、けして理屈っぽくなく、誰でも巻き込まれる日常生活の実感として取りあげられます。そういった意味では親しみやすく知的な作品だと思います。
最終行の<人に関わらない仕事なんてないのだ>
は、人間が社会的な存在であることを表していて、この詩のデーマに迫るものだとおもいます。
落雷 天
まず
「落雷は落ちた」という文章ですが、一行に「落」という字が二回でてきます。「雷が落ちた」でいいじゃないかな。雷は落ちるものですし、また、このフレーズは繰り返し出てくるので違和感がありました。
雷は大きな厄災の比喩と読めます。
戦争などの爆撃を暗に表現しているとも考えられます。
説明はありませんが十分に読み取れます。
雷が落ちた後は人々の混乱が自分も含めてユーモラスに。戯画化されて描かれます。
そして
<さらに落雷は落ちる
さらに落雷は落ちる
さらに落雷は落ちる>
の三連発。
最終連は空白の行を沢山とつて、
数年後
「みなさま、大変なニュースです!」
となりますが、
あまり効果がないというか、意味がよくとれませんでした。厄災がつづくということでしょうか?
つまり、サスペンスのクライマックスを意図されて書かれたのなら、弱いかなとおもいます。
最近、わたしは「空から何かが」という詩をかきました。参考になればとおもいます。
空から何かが降ってくる
あるいは 何もかもが
ピアノが 自転車が 印刷機が 不協和音が
重機が タイヤが ディーゼルエンジンが
大きな音を立てて地面が揺れる
アンティークのタイプライターがレジスターが
家具が 安楽椅子が 机が降ってくる
洗濯機や冷蔵庫 大量の食器が
震えながらそれを見ている
火の玉やガラスや煙や痛みや死が降り注ぐ
世界のどこかで(部分)
恋愛ごっこ 喜太郎
恋愛詩は最近あまり書かれなくなったと聞きます。
でも、愛について思い、考え、悲しみ、苦しまない人がいるでしょうか。願望や希望、感情をなにかの形で表現したいと思うなら書き続けるべきでしょう。そういう意味で喜太郎さんの恋愛詩を応援しています。そこには若さの苦しみ、柔らかで感じやすい心があります。
恋する人は感受性が豊かです。書かずにいられない気持ちが大切なのです。
不器用でうまく人を愛せなかった思い出が私にもあり、ほだされながら読みました。
喪失の感覚とお礼の気持ちが上手く表現されています。
失ったものを書くことは詩の大切な詩の役割だと年を経たいま思います。
佳作一歩手前といたします。
この詩にジャック・プレヴェールの「バルバラ」の一節を送ります。
思い出してよ バルバラ
忘れないでおくれ
あのしめやかな しあわせな雨を
しあわせなおまえの顔に
しあわせなあの町にふっていた雨を
誕生日 谷口文章
はじめての方なので感想となります。
本の旅人 メッセージ 統合失調症 図書館は笑う という小見出しのあとに、それぞれに文章が綴られるスタイルで、面白いなと感じました。
一つずつ見てゆきましょう。
本の旅人
これから始まる詩全体への宣言ともいえる「文章」です。
「文章」と名付ける、とご自分のペンネームにも言及されています。
メッセージ
文中に手塚治虫の「新宝島」が言及されます。谷口さんはお年を召した方なのでしょうか。若い時代には、その若い心が詩を必要としますし、年を重ねてみると自分の経験した人生のなかから思うことも多く文字に留めたたくもなりますね。
統合失調症
病気を詩人の感覚でとらえたものだと解釈いたしましたが、少し分かりにくいと感じました。
図書館は笑う
この小見出しはいかしてますね。
ヘルダーリンは統合失調症で苦しんだ詩人ですね。作者はシンパシーを感じているのでしょうか?
ものを生み出すことは苦しみをともないます。
「母体の胎盤から産み落とされた世界」という表現が効果的ですね。
そして「ふみあきはぶんしょう」で終わるこの詩は、表現者の誕生を歌ったものだと感じました。
他の詩も読んでみたいです。また書いてください。
壁を越えて こすもす
力強い詩です。
一つの詩は一つのテーマを追うことで、意味を深め、その世界を広げなければなりません。その意味でこの作品は横道にそれることなくよく出来ていると思います。
発展、展開する過程、構造がシンプルで美しいです。
言葉で思考してゆくスタイルがわりと自在に感じられました。
<あきらめという風に負けない柳のような心を持ちたい
劣等感という岩をすり抜ける水のような心を持ちたい>
はいいフレーズですね。
壁を超えて――ついつい日常に流されて忘れがちな思い、真っすぐな気持ちで書かれていて心が洗われます。
自分の心のなかが、確かに自分の言葉で書かれていると感じられるのでした。
少し甘めの佳作とします。
椅子 荒木章太郎
本当に毎日、疲れてしまうので、ゆったりと椅子に座ってくつろぎたいですね。
作中、「くつろいでサイダーが飲める」というのがよかったです。サイダーがね。わたしも酒が飲めないのでコーラがいいな。
十一行の短詩です。
詩は凝縮され、圧縮された文学ともいわれます。短詩となればなおハードルが上がります。言葉に神経を通わせ、選び、検討して、一番ふさわしいものを探しあてる。そうした努力によって、作品はいっそう高められるでしょう。さまざまに考え抜いて、お互いによりよい作品を作ってゆきましょう。
椅子についての詩ということでは、ギルヴィックの「三面記事」というのがあります。参考になるかな?
それは古びた木材
しずかに坐っていて
森林のことは忘れている――
そしておれの悔恨も
力尽きたかたちだ。(部分)