ある丘の想い出ーパスティーシュとしてー 三浦志郎 5/2
いま 憶い出している
少年のころ その丘に行った記憶がある
長い坂をゆっくりと登った
なんという丘だったかは忘れた
ただ そのあたりは
邪悪な生き物・ゴブリンの伝説が
いまだ色濃く残っている土地だった
頂きに立ち 柔らかい風と向き合うと
目の前に虹が出ていたのを
昨日のように憶い出せる
木漏れ陽揺れるその向こうに
美しい町並みが見渡せた
案内してくれた老作家が汗を拭きながら
ゴブリンに洗脳された日々を語り出した
町の人々はその老人を「カイウェルさん」と呼んでいたが
おそらくペンネームだったろう
本当の名前はその当時から知らなかった
*
ゴブリンは―
いつもはわしの体内で支配しておるのに
その日は珍しく出て来て
わしがいま立っているすぐ隣におった
今日のように虹が出ておった
夜来の雨があがりその日は暑くてな
汗がシャツに染み入るようじゃった
喉が渇いて何処かに水場はないか尋ねたのじゃ
―水場はありません でも いいですよ カイウェルさん
紅茶をご馳走しましょう
その代わり 私たちの森に来てくださいな
一緒に暮らして私たちを作品にしてもらいます―
―ああ もとよりそのつもりだ
俺はもうお前の言うなりだからな―
突然ゴブリンはわしの手を握った
そうして しばらくの間握手していた
ゴブリンは
手を振り
手を離し
自分の両手をこすり始めた
すると 摩訶不思議!
大きなウエッジウッドのボーンチャイナに
なみなみと注がれた紅茶が出てきたではないか!
ぬるかったので
渇きのあまり貪り飲んだのじゃった
―SO TASTY! もう一杯くれ―
次は中くらいのカップにやや熱めの紅茶じゃ
量といい熱さといい味といい ちょうどよかった
―これもうまい! さらに一杯―
三杯目はごく小さいカップに熱い紅茶じゃ
舌が焼けるほどに熱かった
―ゴブリンよ 叫びたいほどうまかったぞ―
わしはゴブリンの機転と魔術にこころ動いた
毎日こんなうまい紅茶が飲めるなら
共同生活するのも悪くないだろう
そう思った
むしろヤツをせき立てるようにして
丘を下り町を経て森に向かったのじゃ
わしの意思を迎えるように
教会の鐘が鳴っておった
今思うと
あの紅茶が
わしとゴブリンとの
契りだったかもしれぬ
わしの余生
怪奇作家としての
呼び水だったような気がするのじゃ
*
少年のころ その丘に行った記憶がある
やがて老人と共に長い坂を下りた
なんという丘だったかは忘れた
いま 想い出が終わる
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パスティーシュ……作風模倣。先行する作品の要素を模倣し混成すること。
本作では、ある偉大な作家、ある名著の冒頭語りとエピソードをパスティーシュしました。
ひとつのオマージュです。
本作は過去に載せたかどうか、記憶がもう定かではなくなりました。一応、出してみます。