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スレッドNo.5609

愛の部品  相野零次

パソコンが壊れてしまってキーボードで詩が書けない
しょうがないからスマホで書いている
案外 書けるものだ

僕が朝、会社へ行くため自転車を漕いでいると
幼稚園の送迎バスがやってきた
そのときどこかの杖をついたおばあちゃんが立ち止まって
小さな子どもたちに手を振る
何がそんなに愛おしいのだろう
僕は何気なく通りすぎる

唐突な話だが世界はきっと愛で出来ている
なぜって?
あのたった今バスに乗った子どもは
お父さんとお母さんの愛の結晶と呼べるだろう
二人が愛しあったからこそ子どもは存在するのだから
僕も昨年亡くなった父と
今も家事をこなしてくれている母との子どもだ
バスいっぱいの子どもたちも
バスの運転手も
見送るおばあちゃんも
近くのスーパーの店員さんもお客さんも
そのお父さんもお母さんもおじいちゃんもお孫さんも
みんなみんなみんな小さな子どもの頃があって
子どもは愛の結晶だった
いや今でもみんなそうなのだろう
誰かは誰かの家族で、欠けることは
小さな世界の平穏を揺るがす出来事なのだ

ところでおばあちゃんは杖をついていたが
車椅子の人だっているしおじいちゃん(きっと旦那さんだろうか)
に手をひかれている人だっている。
小さな子どもたちはお母さんが自転車に乗せてきていたが、
いずれ自分で自転車に乗れるようになるだろう。
車の免許を取るかもしれないし、バスの運転手になるかもしれない。

そのとき僕はどうしているだろう。
まだ自分の足で立てているだろうか。
杖をついているだろうか。
車椅子に乗っているだろうか。
誰かに手をひかれているだろうか。
自分の足の代わりになる役割の人や物をもてているだろうか。
そう考えると僕は今持てている人や物の役割を自覚して
もっと大事にしなきゃならないのかなと思う。

つまり、この世のものは全部、愛で出来ているということなのだ。
じゃあ愛って何? って言われると
みんなの努力そのものじゃないだろうか。
努力の結果がそれぞれの部品を作りだしているのだ。

愛の結晶の子どもや家族たちが
それぞれの努力で愛の部品を作り出して、
そのひとつがこのスマホで、
僕は僕なりに愛についての詩を生み出した。

この世の全ては愛で出来ていて、
愛が世界を巡って、
愛が地球を廻している。
つまりそういうこと。

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