公園 相野零次
日曜日の公園で、僕らは運動靴で駆け回った。
ブランコに揺られたり、滑り台を滑ったり、登り棒を登ったりした。
僕らはみんな子どもだった。
三輪車に乗って、鉄棒で逆上がりして、世界は僕らを中心に回っていた。
今はどうだろう。赤信号は渡っちゃいけない。
踏み切りが鳴ったら入っちゃいけない。
そんなの誰に言われなくてもわかってる。当たり前だ。
そう、そんな当たり前のルールの数々が僕らを知らぬ間に大人に変えた。
子どもが大人になることはできても、大人が子どもになることはできない。
でもときどき子どもみたいにはしゃいだらやっぱり楽しい。
それは大人になっても変わらない。
変わらない世界で生きたい。望もうが望むまいが、世界はあるべき姿を守ろうとする。
なぜかそれが悲しいんだ。たぶん子どもの頃は望めばなんだってやれば出来る! って思ってた。
でも今はそうは思えない。頑張っても限界はあるし、頑張ってもたかが知れてるって思ってる。
それは間違ってる! 頑張って何ができるかは、子どもも大人も関係ない。
いつの間にか屁理屈ばかりになってしまった。自分がなりたい大人はこんなのじゃない。
だからこんなに悲しいんだ。今からでも間に合わないなんてことはない。
でもそう思える大人な自分がいない。きっといるはずなのに……
だから僕は思いだそうとしている。
幼かった頃、若かった頃の気持ちでいろんな詩を書いて。やってみたいと思う夢を詩に託して。
だからきっと、詩は今の生き甲斐のひとつなんだと思う。
さあ、もう夕焼けが綺麗だ。お腹もすいた。
母さんも晩ごはんを用意してくれている。
ブランコを漕いで靴を飛ばして明日の運勢を占おう。
それっ!