感想と評 5/16~5/19 ご投稿分 三浦志郎 5/24
1 荒木章太郎さん 「ロックンロールケーキ」 5/16
「前書きとして」
この詩を正確に解釈するのは至難の業ですが、”その人なりのフィーリングで読んだ“その結果を書いてみましょう。やっぱり僕の場合、タイトルをひとつのチャートとして、ロックンロールの持つ本来的属性からこの詩に入ることになります。ロックがその音楽性から関わる外界あるいは他者といったことです。ただ、僕のロックの知識は1975年で止まったままであることをご容赦ください。
ロックとそのミュージシャンは一時期、社会との関わり(その反逆性も含めて)において、音楽の中では最前線にありました。そんなことを1~2連で感じました。「棘」「傷」といった言葉もどこかロックに隣接する気はします。「傷」といえば、2連。「傷=バンドエイド」を「バンドエイド=ひと頃はやったロック側のチャリティムーブメント」にかけているらしき内容は大変面白いです。それ以降の連、すなわち3~4連が難しい。何か社会との関わりにおいて語っているのだと思う。ここはわかりません。次の「ロックンロールは死んだか」は”対社会へのパワー“としてのそれは、僕は死んだと思っています。ただ荒木さんは「いいや、まだ役目はある」と言っています。ここで作者は個人に戻っているような気がします。(余人は知らず、オレだけは)といった気概かもしれません。そういったフィーリングが彼女をして「結局はとんがるのね」と言わしめた。「君に呆れられた」はロックンローラーらしい斜に構えたジョークか?何故「ケーキ」が付いたかは不明。単に思い付きか?それでも充分に面白く、詩のキャラクターにあっているのかも。ケーキの持つ甘め佳作を。
2 松本福広さん 「青の旅人」 5/16
今の時節、関東圏では「ネモフィラと言えば、ここ!」と言われるほど有名な茨城県ひたちなか海浜公園ですね。その美しさは比類ないほどです。さて、この詩は主人公設定がユニーク、よく考え付きましたね。登場の仕方も面白く、おとぎばなしでありファンタジーなのですが、それだけでは終わらせない。ネモフィラの美しさ、周囲の風景もしっかりと描写され写真も交えて、その青の気分が充分伝わってきます。後半は若山牧水の歌を引いて、この美しさの中で自分がやや異邦人的であることに思いを致す。ここがわずかにテンションになっている。要約すると―、
① ファンタジー的面白さ。
② そんな中にあって、同時に「ネモフィラ=青」のイメージや背景があり紹介文としても有効。
③ 主人公のわずかな屈託。
そんな三要素で、この詩は立っています。 甘め佳作を。
3 こすもすさん 「城跡の石垣」 5/16
文中から察するに、天守閣はなく、石垣も「野面(のづら)積み」といった戦国初期の工法のように思われます。城好きの中でも”通(つう)“が喜びそうな佇まいを感じました。「追手門」という書き方も、またシブイ。なかなかの知識とお見受けした。歴史小説風に書くと「おぬし、できるな!」といったところです。詩としては、特に技巧は出さず、エッセイ寄りに書かれていますが、そのナチュラルさと抒情味がいいですね。その雰囲気からして、少し鄙びてはいるが、充分野趣を感じることができる場所を想いました。同時に、この城跡が当時とは違った役割で、今も人々に奉仕している事がよくわかるのです。こういった処は花見の頃はもちろんですが、葉桜もまたひとしお—そんな気もしますね。甘め佳作で。
4 社不さん 「花」 5/16 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
よろしくお願い致します。これはひとつの恋愛詩と読めますね。前半は相手を立て美化し、自分は一歩下がって卑下する。これは恋愛にはよくある心理と言えるでしょう。5、6連はよくわかりませんでした。それを挟んで後半は全て憧れとときめきに移っています。一番のホンネは終連にありそうです。おそらくこの詩のことでしょう。ただし、そのタイトル「花」はその要素が全く出て来ません。全くの謎です。その付け方にすごく興味があります。また書いてみてください。
5 津田古星さん 「ひとときのうた」 5/18
まずは、これを擬人化の一種として読みました。ストーリー的ですが、まずまず額面通りに読んでいいと思います。この主人公のある種のふてぶてしさとあっけらかんとした所が僕は大好きですね。その代表セリフは初連「まあいい」です。非常に雰囲気を発しているセリフで、実にいい。
おそらく家族旅行などで、よそに主人公を預けたのでしょう。そして、また元の家に戻る。ここまでは何の問題もないのですが、異様なのは終わり2連です。僕には全てが異様に読めます。「眠りにつく時が近づいたから」「種も欲しくないし」「水も飲めなくなった」「もう遊べないよ」
「またどこかで会おう」―死を予感させるものです。そして―、
「私の身体は
庭の花梨の木の下に埋められた」
これは完全に死のことでしょう。どうして、こういう結末を迎えたか、僕には全くわかりませんでした。
老衰などの自然死なのか、なにか予期せぬ悲劇でも出来したのか?そのあたり、読み取ることができません。大部分がごく正常なだけに、ここだけがショッキングな謎として残るのです。ここが解釈できないので、すいませんが、評価は保留にしたいと思います。
6 相野零次さん 「公園」 5/19
いろいろな角度からの大人と子どもについての感慨です。大人になることの正と負、あるいは得るもの、身に付くもの、捨て去るもの、諦めるもの。それらを子どもに戻ったつもりで考える、同時にリアルタイムでの大人を考える、そういった思考作業でしょう。そして辿り着くのは、大人と子ども、そのギャップのようなものを埋め合わせるための詩という方法でしょう。詩に対して、そういったアプローチがあってもいいものでしょう。
ところで、この詩の時制はリアルタイムの大人と思えます。大人時制でも冒頭4行のような書き方はできます。問題ないです。過去形で統一しているからです。ただ、「だからきっと、~」以降は、子どものリアルタイム時制に読めない事も無い。大人時制に読めない事も無い(大人でも、こう思ったり、こういうことをする人もいるでしょう)。このあたり、ちょっと微妙なんです。僕もよくわからないので、ただ書くにとどめます。ただ、気にする人は気にするかもしれません。佳作一歩前で。
7 森山 遼さん 「冬の惜別」 5/19
冒頭上席佳作です。すごく印象的な書き出しです。初連が良いので、受ける第2連も受けやすく展開しやすくなる。そんな好例でしょう。
この連ではふたつの事が考えられます。
① 自分という過ぎ去った青春
② 偶然、出会った若い娘
森山さんは、この①②に沿って詩を書き切っています。その若い人の表情に、かつての自分を見たのでしょう。(わたしもあのようであった)―と。 しばしの所作と描写を置いて、次に来るものは、なかなか深い心理や哲学性を帯びているように感じられるのです。深く静かに自分を見つめ、少しばかりの諦念がある。それがあるからこそ次代の人々に希望を繋ぐ。そんな風に読めました。内容に即したタイトルも印象的。
アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらに。 終連「それはひどく~」と「美しいあなたたち~」の間は、時間的・空間的にわずかに、せっかちな気がしないでもないです。もちろん、これでもいいんですが。
森山さんは―失礼ながら―初期には、ちょっと変な動きをしていましたが、此処へ来ての2~3作は大変好ましく思っております。
8 静間安夫さん 「洗濯」 5/19
前半の洗濯一部始終も面白く読めます。洗濯機のセリフ(?)とオノマトペがユーモア担当。やはりこの詩は後半。干した時の爽やかな情景も交えて、自分も心の洗濯をする。そして生活のひとつのターニングポイントでもあるでしょう。この詩には単に洗濯だけにとどまらない、心の晴れやかさがあります。晴れやかな気持ちそのままに、街へ繰り出す。商店街に行って好きな古書探し?
銭湯の後の酒と肴。つつましやかではありますが良い一日です。そうして、また明日から―。
アフターアワーズ。
日常詩もまた大切な領域ですが、今回は詩的技法で言うと、佳作一歩前の感じでしょうか。
それにしても、名作「釜山」以来、数々の作品を経由して今回まで。その領域は広がります。
9 白猫の夜さん 「だっそうけいかく!」 5/19
「!」付きのタイトル、インパクト充分です。ひらがなにしたことで、かえってユーモアと可愛らしさもついてくる。さて、本文です。白猫ならぬ黒猫でしょうか。「ゆらんゆらん」「とてとてとてん」も同様なユーモアと可愛らしさを上手く演出しています。室内から見た外の景色や世界への憧れです。
そうですね、猫から見ると、人間が「同居人」というのも、なんか面白くていいですね。
「隙あり!」が実にイイ。初めて外に出てみて、どうやら味をしめたようですな。次の機会を狙ってる!? この詩、人間の側で実際にあったのをヒントに猫側で書いた、とも想像されるのです。
少し感じたのは、室内部分を少し省略しても、外の実感を、も少し書きたい気はしますね。
佳作半歩前で。
評のおわりに。
五月が一年で最も気持ちよい季節と(勝手に)思っていますが、まもなく終わってしまいます。
ところで、春の終わりとは、あまり人の口にのぼらないのは何故でしょうかね?
そのあたりを詩にしようと、ずっと思ってきましたが、まあ、できないですね(汗)。
では、また。