評、8/19~8/22、ご投稿分、残り。 島 秀生
実をいうと、いつも評の4分の3を書き上げてから、
2分の1の評を掲示板にアップして、あと1日待ってねって、言ってまして、
だから、その1日にあいだに書いてるのって、実は残り4分の1だけなんですよ。
今回の例でいうと、全12作で、9作の評ができた段階で、掲示板に6作の評をアップし、
そこから、3作はすでに出来上がってるので、残りの3作をやるわけですが、
今回、あまり解釈に困るものもありませんでしたので、早めに完了しました。
というわけで、前半分に比べて、後ろ半分を慌てて書いているというわけではありませんので(← たぶん、これが言いたかった)、
ご心配なきよう。
●朝霧綾めさん「銀の柄杓」
もちろん柄杓があるところまでは知られていますが、その後の展開がダイナミックな発想でした。そしてそのダイナミックな発想に溺れず、先走らずに、丹念に仕上げたのが良かったです。ダイナミック且つ丹念の勝利です。
名作あげましょう。マグレにしても、よく書けてる。異議ないです。
特に良いのが、
いたいほどの清冽さで
清水はのどに流れこむ
寝転ぶ私の唇から、こぼれた星々が
あごをつたい、草の上に落ちて
きらきら光る
この7連です。まあ、言っちゃうとだらしない飲み方なんですが、それが逆に星たちの美に変化して描かれるところが、意外性ある美の表現で醍醐味でした。
また、言えば、星を取って食ってるようなもんですから、天空にあるものと人とが、具体的に激しく接触してるところがいいのです。「あごをつたい」も皮膚感覚的に伝わる表現で、いいですね。
また、7連がクライマックスとすると、そこほどではありませんが、5連の、
星々が柄杓にぶつかり
からんからんと音がする
も、クライマックス前の小さな山的に、良かったですね。
他もよく書けてるし、丁寧な仕事しましたね。1~2連の導入部も丁寧に仕上げてきたので、気持ちよく作品に入れました。そこ、雑に書くとありきたりになっちゃう部分だったんですが、きちんと仕上げてきたのが良かったです。
これ、現時点での朝霧綾めさんの代表作だと思いますよ。ベリグーです。
●もりた りのさん「音のしない羽音」
この台風の雨でどうなるかわかりませんが、先週から、つくつくぼうしの声が聞こえるので、ああ、秋だなあーなどと、やっと涼しい時間があるのを喜んでたんですが、よく考えてみると、一匹、二匹しか鳴いていないつくつくぼうしがこうやって聞こえてくるということは、他の蝉が、みんないなくなったってことだなあと思っていました。
この詩はちょうど私が見落とした、その夏蝉の終わりの頃を書いてくれていますね。
作品ですが、まず初連の感慨が悪くない。出だしとしてグッドです。そして一匹の「死にかけ」のみならず、二匹、三匹と出会ううち、4~5連の感慨、
蝉よ
飛んで行け
どこにでも飛んで行け
見えない世界に飛んで行け
になるのがステキですね。
6連の軽く眩暈を起こすところも、文学的で私は好感。
この眩暈のところから、対象が蝉から自分へと反転します。
ショートヴァージョンとしては、狛犬に入る前の、8連で終わるのもアリです。
ラストの2連は、肉声的で砕けた言い方になってくるんですが、そこはテクで上手におさめています。私はこの終わり方もアリと思う。この言葉使いでもって、おさめて見せるとこも、たいしたもんです。
詩の内容には若者的な絶叫のパッションがありながら、テクも持っている。やっぱり、もりたさんて何者?と思ってしまう。タイトルのつけ方もグッドでした。
名作を。
●ふわり座さん「冒険は戦いの中に」
ふわり座さんは、私は初めてですので、今回、感想のみになります。
まず、言いたいことがきちんと書けてるとこがいいです。すなわち、自分の思いをきちんと捉え、整理して書いておられる、書くことができる、そこがいいです。
その上で、望みたいのは、世の中の多くの人は、説教されるのがキライだということです。押しつけられるのを嫌います。まったく逆説的なのですが、人に向かってしゃべると逃げ、自分に向かってひとりごと的にしゃべっていると、逆に寄ってきて、聞いてくれます。
なので、この詩においてもスタンスを変えられた方がいいです。「言う方」と「聞く方」という構図でしゃべるのではなく、ただ自分の生き様のみ語り、共感してもらうことです。「歩きだそう」と人に言うのではなく、「私は歩き出す」ただそれだけでいいのです。
言葉は、自分に向けることです。全く逆説的なのですが、その方が人に伝わります。
これはどういうことかというと、直接、人に言葉をかけるというのは、往々にして表面的なつながりのアプローチにしかならないのです。でも詩は、もっと深いところで、人と接点を持ちたいわけです。これがその方法だということです。
●江里川 丘砥さん「地面と空」
うーむ、これは挑んでくれましたなあー
いつもは主語=自分なんですが、今回は、「地面」を擬人化しての主語になっています。初めての試みではないでしょうか。
2連は、
人は踏み歩き
車は転がる
タイヤ痕を残していく
灼熱を照り返すアスファルトになっても
わたしはそこにいる
この方が良いかも。
2行目と3行目はセンテンス別なんですけど、中身の近似により、連続行だからわかる形です。
4連のマンホール話はおもしろいと思った。
マンホールにはきれいな絵がつき
写真に撮られ
一瞬の話題となっては
また踏まれていく
まさにこのとおりですね。現代を的確に捉えていて、ここ良かったです。
ここでちょっと、この詩の設定を考えてほしいんですが、
たとえば「地面=私」の設定を、アスファルトの下の茶色の土にすることもできたんですけど、
初連の「アスファルトになっていた」や、5連の「ひび割れてもまた直る」、6連の「太陽を一面に受けとめて・・・色を映す」など見ると、アスファルトになっても、アスファルトも含めて「地面=私」の設定なんです。
その設定で考えると、わからないのが終盤です。
空には見えないその色を
一番遠くから見ていてあげる
は、「その色」を指すと思われる直前のものは、「根の張る土」なんですが、「地面=私」であるなら、それを「一番遠く」と呼ぶのがわからない。また、「地面=私」であるなら、
~見ていてあげる
太陽が壊れて
空も地面もなくなるまで
の終連もよくわからない。
終連においては、「私」は「地面」ではなくなっていて、別の超越した存在の視点から、見ている感じです。
7連の終行から終連にかけての3行は、私よくわからなかったです。飛躍してもいいのですが、ちょっとここはプロセスを踏まずに、急に飛躍した感じで、ついていけない。意味を取り得なかったです。7連の立て方からして、一考が要に思いました。
また、奇抜な展開を取らなくても、黙々と人に踏まれて在る。それも地面の在り方だという考え方もアリです。地面は、空さえあれば、充分なのかもしれませんよ。
時々、こういうトライがあっても良いと思います。自分の詩の幅が広がりますのでね。
ただ、いちおう言うと、私が前回課題で言ったのは、いつもの書き方の中で、ふいっと風景のシーンも入るといいね、くらいの意味だったので、いつもの書き方の中で、どこかの連として試みる。あるいは出だし部分か、終わりの部分で試みる、という感じで捉えてもらえればと思います。
今回のは一転して、最初から風景を相手に書き出されているので、そんな極端の変更を望む意味ではなかったので、そこだけは、どうぞ誤解のないように。
それを理解した上での、叙景詩トライなら良いのですが。
1~6連までは概ね書けてると思います。地面の立場から、幾重にも視点と心理を探ろうとするところ、そこの思考力は、江里川さんらしくて良いです。
今回は秀作にとどめましょう。でも、敢えて不得手なところに挑戦してくれた心意気や良しです。
●荻座利守さん「昨日のこの場所」
感慨は、非常によくわかりますね。
「昨日」と書いてますが、まあこれは過去ということでしょう。
あの時、ああしておけば、あの人は去らなかったのにと、自分の不遜を恥じることがあります。あの人が去らなければ、自分の人生はまた違うものであったかもしれません。悔いはいつまでも胸を刺します。
5連の、
この先の
未来に残された全ての時間を
差し出してもいいでしょう
これは素晴らしいですね! 却って若い時なら言えるかもしれないけど、中年以降になって、この言葉はまず言えるもんじゃない。どれだけ愛してるんだろうと思う。素晴らしいな、この言葉。
8連は、その人の解釈次第なんですが、私はこの段階になると、もう手招きはしてくれてないんじゃないかと思うので、
寂しそうな
淡い微笑みをうかべています
案です。これを過去の幻影と思えば、手招きしてるし、現在の距離だと思えば、もう手招きはしてくれてないだろうと思った。そこはどちらでも。作者の解釈次第です。
余談ですが、いま最新の天体観測では何百億光年レベルのものが見えるそうですが、肉眼で見える星となると1~2万年光年、見える銀河では200~300万光年レベルらしいので、この詩において「幾億光年」と言わずに「何万光年」という言い方をしてるのは、肉眼レベルに合わせてて、正しいです(偶然かもしれませんが)。
それにしても、人生って、なんでこう、何度も失敗するんでしょうね? よく失敗するとこも含めて自分だから、しょうがないっちゃあ、しょうがないんですけどね。そんな自分も受け入れた上で、なんとか今後は、失敗の回数は減らしたいものです。
共感するところ、少なからずアリの詩でした。
うむ、名作を。過不足なく書かれていて良いです。
欲をいえば、表現でどこか光りたいんですけどね。やっぱり星のとこかな? 終盤かな? どこでもいいんですけどね。どこかで、ハッとする表現ひとつ入ると、完璧です。欲をいえば。
●廣末湊さん「窓」
廣末さんは私は初めてですので、感想のみになります。
うーーん、疑問を持つところから入るという点に関しては、悪くないです。
ただ、「外の世界はこんなにも広い」とか「世」とか、大きなものを大きなまま捉えようとするのは、ちょっと違うと思います。絵や写真の画面が、サイズが限られるものであるように、詩も、一つの詩で、全部を包括できるはずがないのです。もっと細かく捉え、テーマも一作一作で絞り込むことが大事です。そのためにはまず、「外の世界」とか「世」とか、全部をひとまとめにした言葉を使うのをやめるとこから、始められることです。
この詩で申し上げれば、人の目はいろんなものに目移りし、迷うのに、窓をきっぱりと一点を捉えていることを、むしろ褒めてあげて下さい。窓は偉いと。
それから、詩だから短く書くと、最初から思い込まずに、まずは伝えたいことを、センテンスになってもいいので、きちんと全部書こうとすること。そちらの方が大事です。
また書いて下さい。