風景 静間安夫
なぜ
こんなにも
滅びゆく街の風景に
こころ惹かれるのだろう?
東京の中でも
とりわけ
下町の風情を残す街で
生まれ育ったから?
その街が
時代の流れに抗いきれず
見る影もなく
変わり果てていく有様を
目の当たりにしたから?
―その理由はよくわからない
いずれにしても
峨峨たる山岳とか
森林の奥の神秘的な湖とか
荒波打ち寄せるリアス式海岸とか
そうした悠久の時を感じさせる
大自然の風景は
大して興味をひかない
もちろん美しいとは思うけど
それよりも
わたしが惹かれるのは
滅びかけた街の
そして街に生きた人々の
記憶へと誘う風景だ
だから
初めての街を歩くときには
マンションや大きなビルの建設が目立つ
華やかな表通りを避け
小さな商店や住宅が寄せ集まった
寂れた裏通りの方に自然と足が向く
そして
細い路地の入口に差し掛かったとたん
わたしの視線は
ほとんど本能的に
その侘しい風景に吸い寄せられ
様々な想像を掻き立てられる…
ひっそりと
静まり返った
このみすぼらしい路地も
かつては
子供たちの嬉々とした歓声や
赤ん坊の泣き声に
満たされていたことだろう
道具や板材が
無残に打ち捨てられた
あのあたりには
きっと
鉢植えの朝顔が
置かれていただろう
今はもう
商店のほとんどが
シャッターを下ろし
店をたたんでしまったらしいけど
昔はきっと
八百屋、
魚屋、
花屋、
駄菓子屋などに
大人や子供が大勢集まって
狭い路地はごった返し
売り買いのにぎやかな声が
響き渡っていたことだろう
表札が外され、
窓の格子に赤さびの出た、
この空き家にしたって
その当時は
家族で食卓を囲む
団欒のひとときに
明るい灯がともっていたことだろう
さらに路地の奥、
突き当たりに立っている
あの廃工場だって
景気のいいときには
きっとスプリングとか
機械部品を大量に作って
得意先に納入していただろう
旋盤やボール盤を動かす音や
従業員たちの
活気あふれるやり取りが
始終聞こえていたに違いない…
こんなふうに
路地を歩きながら
廃工場に辿り着くまで
結局ひとりの人にも
出会うことはなかったし
人の声すら聞こえなかった
それでも
眼の前の物さびしい風景を
じっと見つめるうちに
わたしの心の中では
往時のこの街がよみがえり
そこに生きた人々の姿を
くっきりと思い浮かべることができる
そうなのだ、
過ぎ去った年月からは
ただ人々の生の痕跡しか残されない
しかし
その痕跡のひとかけら、
ひとかけらを丁寧に拾い集め
在りし日の姿を
こころの眼に彷彿とさせることは
孤独な夢想家の
わたしにとって
決して難しくはない
逆に
非の打ちどころのない
完璧な美しさにあふれた
大自然の風景を前にしては
もはや
想像力を働かせる余地がないので
わたしには味気なく
感じられるのかもしれない
それどころか
こうも思えるのだ―
夢想された世界より
想像された世界より
美しいものが
果たしてあるだろうか、と