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スレッドNo.5819

2025.6.8~9投稿の感想   秋冬

2025.6.8~9投稿の感想

※明日から出張のため、お先に失礼します。

こんばんは。
MY DEAR同人の秋冬です。

雨音さんの批評を期待されていた方、佳作等の評価を楽しみにされていた方には申し訳ありませんが、今回はピンチヒッターのため感想のみとさせて頂きます。
恥ずかしながら、あまり詩を読まずに詩を書くようになったものですから、投稿者の意図を私が十分に汲めずに、的外れな感想もあるかと思いますが、参考にならない場合はスルーの上、ご容赦下さい。


☆「旅立つ日に」津田古星さん

津田古星さん、はじめまして。

「旅立つ日に」は、亡くなられたご両親との「別れの日」を綴られていますが、梅雨明け、秋晴れという好天とローズマリー、茶の木が季節毎に見せる植物としての強さ(生命力)が描写され、それぞれ「可憐な水色の花」「慎ましい白い花」という故人を象徴する花を明示していることもあるからなのか、悲しさよりもありがとうの思いが溢れ、「別れの日に」ではなく「旅立つ日に」というタイトルがストンと肚落ちしました。

一読した時は「耐え忍んで働き続けた人の一生を」が「野良に生き 地位も名誉も求めなかった人の一生を」に比べると漠然として「弱い」と思ったのですが、二度目に読んだ時は、おそらく農家に嫁がれ、義父母などとの関係で大変な苦労をされたお母さまのことを考えると、あえて詳細に書かないで「耐え忍んで働き続けた」という表現の方が、逆に「重い」と思いました。私も含め、ついつい「書き過ぎてしまう」ものですが、この「書き過ぎない」点は評価できると思います。

それ以上に評価できる点は「今は肯うことが出来る」「今は誇ることが出来る」にあると思います。「今は」があることで、娘である「わたし」の葛藤が伝わります。「耐え忍んで働き続ける」母親、「地位も名誉も求めずに野良仕事をする」父親に対して、不満や反抗を覚える時期もあったけれど、自分自身も年齢を重ねて様々な経験を積んで「今は肯うことが出来る」「今は誇ることが出来る」と言えることは素晴らしいですし、「旅立つ」人にとっては最高に嬉しい言葉だと思います。良いことばかりではないけれど、やはり根では分かり合える親子の強い絆を感じます。この二行にはホロリとしました。

ここまでは、とても素晴らしいと思いました。

が、どうしても気になったのは、ここから先の終連です。

 いつかわたしが旅立つ日には
 わたしの棺には
 誰が何を入れるのだろう

で終われば、どんな季節にわたしは旅立つのか、そして棺に誰がどんな枝(植物)を入れてくれるのか、と想像でき、余韻を楽しむことができたのですが

 願わくは
 わたしが幸福を願った人達から送られた
 手紙の束を

と続きます。両親の「旅立つ日に」は娘であるわたしが思いと重なる枝を棺に入れているのに、どうして自分が「旅立つ日に」は自分の希望(「願わくは」)が入ってしまうのか、が何度読んでもしっくりときませんでした。

とはいえ、

 わたしが幸福を願った人達から送られた
 手紙の束を

には、きっと私が気づいていていない深い意味や思いがあるのでしょうから、津田古星さんにとって、「手紙の束」が必然であれば、何の問題もありません。あくまでも、読者としての感想です。

優しく、強く、深い詩ですね。
そして、リズムがとても良いと思いました。
読ませて頂き、ありがとうございました。




☆「欲望」鯖詰缶太郎さん

鯖詰缶太郎さん、こんばんは。以前、初心者向け掲示板でやり取りさせて頂いたことがありますね。お久しぶりです。

読み始めて直ぐに「あぁ、鯖詰缶太郎さんの詩だ」と思いました。でも、以前に比べると、良い意味で「整った」感があります。切ない「愛の詩」だと思いました。二人の距離感、関係性が微妙でとても気になります。なんでしょうね。「優しさ」「思いやり」をじんわりと感じる詩です。

リズムが独特で心地良くて、ラブソングを聴いているようでした。

初連は「わかってしまうのです」で終わりますが、二連は「とてつもなく いやだ。」で終わる。ですます調が続かないことで「とてつもなく いやだ。」がとてつもなく強く響く。とても効いていると思いました。

そして、「健やかな欲望」が良いですね。タイトルが「欲望」で「暴力性が散見する自分の姿」とあるので、まさか「健やかな欲望」がくるとは思いませんでした。純というか、真というか、悪い「欲望」ではなく良い「欲望」だな、と思いました。「欲望」と言いつつ、「願望」に近いような気もしました。

 引力が
 あなたと引き合った
 その大いなるあたたかさだけが
 僕にもあなたにも必要です。

どうしても私が理解できなかったのが、三連です。「僕にもあなたにも必要です。」の「あなたにも」が分からないままです。「僕には」必要なのだと思うのですが、「あなたにも」必要というのが、分かりませんでした。同じような「欲望」を持った人であれば、ハリネズミのジレンマになるので理解できますが、「白い夏服」の人が「僕」と同じように何かしらで苦悩しているとは思えず、ごめんなさい、どうしても「あなたにも」が分かりませんでした。

 朝飯のあとは
 あたりまえのように吠えていたいのです。

ここまで読んで、鯖詰缶太郎さんなので、色々と捻られて「飼い主と飼い犬」の詩なのか? と深読みしてしまいましたが、僕が犬だとしたら「悪意にとらわれてしまった獣のようで」「あなたを抱きしめていたいのです。」が矛盾するので、やはり男女の「愛の詩」であると思いました。(読み間違いだったらごめんなさい)

理解が及ばない箇所はありましたが、全体を通して、とても好きな詩です。読んで直ぐに「あぁ、鯖詰缶太郎さんの詩だ」と分かるのは凄い個性だと思います。

読ませて頂き、ありがとうございました。


☆「僕には藝術がわからないんだ」飯干猟作さん

飯干猟作さん、はじめまして。

これは詩ではないですよね。そして、藝術でもないです。
あるいは
いや、これは詩です。そして、もちろん藝術です。
なんていう具合に
はっきりと言えたら良いのですが
私も藝術が分かりません。
そして、詩も分かりません。

なので、誰かに私の詩を「詩ではない」と言われたら、そうなのだなと納得するだけで、別に抗議はしないです。私は「#詩のようなもの」を書いていると思っているので。

というわけで、私は「僕には藝術がわからないんだ」を大いに共感しながら読ませて頂きました。

好きか嫌いかで判断するのは、私も同じです。嫌いなものを、頑張って好きになろうとか、勉強のために我慢しよう、とは思いません。書かれている内容が現実に近いとしたら、飯干猟作さんは私よりも少し先輩だと思いますが、思考が似ているような気もします。ただ、初音ミクや大藪春彦などのように、何かにのめり込む性質ではないので、ここまで熱く語れるのは羨ましいな、と思いました。

同じ対象を観て、読んで、ある人は藝術であると言い、ある人は藝術ではないと言う。また、ある人は詩だと言い、ある人は詩ではないと言う。スポーツのようにルールがある訳ではないので、当然だと思います。なので「僕には藝術がわからないんだ」と明言するのは、とても潔いと思いました。もちろん、藝術も詩も定義はあるのでしょうが、私は定義に興味がありません。もしかしたら、飯干猟作さんも同じように興味がないのかもしれないな、と思いました。

ところどころに「老人」が現れますが、この詩を読んで、この長さは「老人」だからだ、と思う人もいれば、「老人」なのにこの長さを
書くなんてとても「老人」とは思えない、と思う人もいるでしょう。私は後者で、ほとばしるパワーを感じました。つまり、見方考え方は人それぞれです。きっと、藝術もそうなのでしょう。

「ハイにハイにハイにしてくれる」「好き」に囲まれている現状は最高ですよね。誰かの意見に流されることなく、自分で「好き」を選択される姿は理想的だと思います。

 僕には藝術がさっぱりわからないんだ
 だが今の所、わからなくて困るコトはない

その通りだと思います。「困るコトはない」のです。ただ、分かりたいという人がいて、色々と調べて突き止めようとすることは尊いと思います。でも、飯干猟作さんも私も興味がないので、分からなくても「困るコトはない」のです。

 僕は詩で今、旅が出来ればそれで充分だ

最後の一行が、とても好きです。「詩を書いてさえいれば」ではなく、「詩で旅が出来れば」という表現が素晴らしいと思います。古くからの読書体験などの時間旅行もできる訳ですし、「詩で旅をする」というのは、とても素敵だと思いました。

藝術も詩も分かない私が、飯干猟作さんにお伝えする言葉はないので、最近心に残った文章を引用させて頂きます。蜂飼耳さんの散文「詩について」を読んで、次の箇所がとても心に残りました。

 詩は、説明ではない。単なる行分け散文の鈍さからは離れたところにしか詩は成り立たない。

私は「#詩のようなもの」を書くときに、この文章(特に「詩は、説明ではない」)を思い出しながら書くようにしています。実際は、なかなか難しいですが……。

これだけ長い詩を書けて、しかもすんなりと読ませてしまうのは、書く力があるからだと思います。飯干猟作さんの方が私よりも藝術や詩に多く触れられていることは間違いないと思いますので、ここまで読んでも参考になるところはなかったかもしれませんが、ご容赦下さい。

読ませて頂き、ありがとうございました。
なんだか、元気になりました。とても楽しかったです。


 (独り言)
   僕は詩ィで今、旅が出来ればそれで充分だ

 飯干猟作さんがご自身の詩を「詩ィ」と呼ぶのなら、詩ではなく「詩ィ」なのだと思います。
 なので、個人的には、この終わり方の方がより響くような気がしました。独り言です。


以上になります。
雨音さんの批評に比べるともの足りなさを感じている投稿者の方もいらっしゃると思いますが、引き続き、MY DEARへの投稿をお願いします。私自身も詩だけでなく、批評もできるように成長したいと思います。
投稿者の皆様、じっくりと読んで感想を書く機会を頂き、ありがとうございました。

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