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スレッドNo.5840

献体  松本福広

─死人に口なし。言葉が残らなければ何も遺らないのだろうか。亡くなった後のことを考える。両親の葬式は厳か且つしめやかに行われた。人が亡くなった後の諸々の手続きを行なう。手続きの多さに人は生きている間に色々なものを残して亡くなっていくように思う。私は何が遺せるのだろう。知らない内に削られていく毎日の中で、一つの形が私の中に形作られる。

◯献体。医学・歯学の大学における解剖学の教育・研究のために、自分の遺体を無条件・無報酬で提供する手続きを行なった。無条件、無報酬で行われる。人としての最後の善意の形だ。

─その手続きを行った者のみ入れる団体があり、そこでは様々な取り組みが行われている。特に印象的だったのは将来私の体を切り、私であった体の中を詳細にみることになる医学生との食事席だった。何を話していいのか分からないような緊張した面持ちで固く唇を結んでいた。私の冗談にぎこちない笑みを浮かべていた。(※1)

◯献、ささげるを意味する。旧字体で獻と書く。容器を意味する部分と犬でこの漢字は成り立つ。その成り立ちは大きく2つの説がある。1つは、犬の肉を容器に盛って、神様にお供えするところから。もう1つは、神様に供えものをする際、穢れはらうため、容器に犬の血を塗ったところから。文字通り、血肉のことだった。(※2)

─私が見ることのできない未来。私自身は見られない私の内側を通して、知らない誰かが研究して学んで行く。それが会うことのない誰かの未来を繋げる一助に信じている。

◯ひとつの歴史を紐解く。
1949年。戦後から10年と経っていない。死体解剖保存法が施行される。その時から「礼意を失わないように」との文言(※3)があった。数年後に献体団体が作られ始める。献体活動の火が点き、成果を出すまで二十年以上の時を待たねばならなかった。その成果は新しい法律の施行という一つの形であらわれる。
1983年。医学及び歯学の教育のための献体に関する法律が施行される。献体という言葉がつかわれている。その法律の中では、「献体の意思は、尊重されなければならない。」そんな文言がある。(※4)法律の文言においても、解剖学の現場、献体団体の取り組みにおいて意思を尊重し敬意を示す在り方が重視されていたように思う。

◯2024年度末にひとつの悲しい事例が起きる。献体の前でピースしてSNSにて発信されたニュース。
個人の価値観の多様化は、時として一方を否定する価値観も生んでしまう。その波及を促すSNSの影響力。翌年、解剖学会より倫理指針(※5)が打ち出される。
医学の進歩、献体にまつわる環境。そこに至るまでの経緯。その膨大な歴史に対して、たったひとつの投稿で歴史をひとつ動かす。
─そこには大きく欠如していた視点がある。その欠如は漢字二文字に簡単に書けてしまえる。人によって表現の幅はあるけれど……今その答えを書くのは筆が重い。

─食事会の何を話していいか分からなかった君は、どう思う?
あれから時が経ったけど、君の中で変わったことはあるだろうか?
ピースをした人も最初からそうだった訳ではないと思う。最初はどう感じていたのだろう。

─遺していく人、残される人、その間際に立ち受け継いでいく人。三角の中には「献げる・繋げる」二つの道がある。どちらも未来に繋がる。
私の……私以外の終わり方として、終わって遺族の手に還るまで。終わって荼毘にふされるまで。その終わり方は違うはずで。

─両親の葬式を振り返る。空白にしてしまった二文字がそこにはあった。
私だけではない。あなたにも。まだ見ない誰かにも。言葉そのものではない。なくなってはいけない命のようなもの。それは死して、どこまで残るのだろう? 心臓が止まった時? 葬儀を終えた時? 三回忌などを終えた時? その答えはそれぞれの胸の内に語られず眠っている。それでも繋がりの歴史に体を献げる。


※補足及び参考資料

※1 YouTube , 【医学部】医者、医学生の解剖実習について解説します【献体】 ,

?si=02zzaTfpja-rxOpk ,2025-05-10
※2 漢字文化資料館 , 「献血」の「献」は、「南」と「犬」とでどうして「ささげる」という意味になるのですか? , https://kanjibunka.com/kanji-faq/mean/q0316/ 2025-05-20
※3 死体解剖保存法 第二十条
※4 医学及び歯学の教育のための検体に関する法律 第三条
※5 一般社団法人日本解剖学会内 献体解剖倫理 2025-05-20

その他、参考文献
献体解剖 SNS発信禁止.朝日新聞.2025-03-16,朝刊,p.13.

「献体」SNS炎上、問われる医療倫理 学会は指針.日経速報ニュースアーカイブ.2025-03-31 05:00 日経テレコン(参照2025-05-14).

坂井建雄『献体 遺体を捧げる現場で何が行われているのか』技術評論社 2011年 p.200

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