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スレッドNo.5846

感想と評 6/13~6/16 ご投稿分 三浦志郎 6/21

1 上原有栖さん 「凪の日」 6/13

まずは4連目までを見てみましょう。
(ついさっきまで、風は僕の友だちだったのに……)そんなひとり言さえ聴こえてきそうな風情です。
全連、魅力的な表現ですが、とりわけ、1連、2連と「もう僕のことなんて/どうでもいいのかもしれない」―このあたり、とてもいいですね。
シンプルさが逆に効果を上げてる気がします。そして後半の5~7連。シャボン玉について。ここでは軽く幻想性を呼び込んだように思います。
ここでのシャボン玉は昇りも落ちもしない。その美しい球体を見事に見せてくれています。そこで僕は、こう考えます。(割れることなく無事な姿は、風が凪いでくれたプレゼントではないか?)―と。そしてこれは幸福の兆しと取れます。「けれど 僕はもう寂しくもありません」―主人公の気持ちも上向いていくのです。終連は2連と呼応して、”再び、始まる“ことでしょう。
他者に語りかける為の「です・ます」調と自己の心の動きがきれいに共存・調和しているのを感じました。
この詩の主人公は、幼い男の子をイメージすると、より美しく読めるかもしれない。ここに語られる、ある種の初心(うぶ)な気持ちに、とても魅かれるわけです。良い詩でした。これは佳作です。


2 こすもすさん 「不安という霧」 6/13

日常、些細な事から来る心配、不安、焦燥、ありますよねえー。それらが適度な詩性、抽象性をもって語られ、好感、共感がもてます。それが2連まで。それ以降は飛翔感の詩。ここで少し古い話をします。こすもすさんの初期作品「黒い森」「灰色の砂漠」を思い出していました。当時、直近2作が似通っている、といった評を書いたのですが、この詩の3連以降を読むと、初期2作が何故か懐かしく思い出されたのです。このかすかな幻想性に、ですね。次はもっと大事なこと。この詩は僕に、あるいは、他の読み手諸氏に大事なことを教えてくれています。曰く―……、
「日常的な小事にくよくよしない、囚われない。もっと世界を、大事を、大掴みに捉える」こと。
この詩では幻想的飛翔感でもって、もっと俯瞰的・鳥瞰的に物事を把握することを説いている、
そのように読める。そして、それは日常とも充分接続可能な考え方とも思えるわけです。こすもすさんが、たとえそれを意図しなかったとしても、他者がそのように感じることは可能です。ここに詩の役割・意義がありそうです。甘め佳作とします。

アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらに。 なぜ「甘め」かと言うと、2連から3連に移る、その”連絡“がちょっと唐突なんです。もうワンクッション、もう一連置いて、自然に移行できるかどうかが、今後の詩の方向を占う気がします。


3 津田古星さん 「真っ当」 6/15

こういった人が津田さんの身近にいて、それをきっかけに詩にした、と、そんな気がしています。
あるいは歴史上の人物でこういった人がいたのかもしれない。もちろん人間は一筋縄ではいかないし、もちろん、そこはそれ、詩ですから、誇張はあるでしょう。この文意に沿った属性を描くに、”典型は典型として書く“ほうが、かえって面白いのかもしれない。そんな風に思えてきます。
この複雑化して打算的な世の中にあって、こういった「まとも、単純、純粋、純朴」は―悲しいことですが―かえって浮いてしまう。損をしてしまう。そういった世の風潮を、遠回しながら危惧しているとも取れるのです。そういった傾向を考える時、終連の書き方は際立っています。僕はここが一番好きなのです。「彼女」を側面から擁護しているのがよくわかるのです。この詩も生き方の何事かを示唆しているものです。
ところで、タイトルはも少し詩的であってもいいと思います。参考までに僕が考えたのは「純粋という肖像」です。(ちょっと硬いかな?) 手が空いたら、少し考えてみてもいいでしょう。佳作半歩前で。


4 静間安夫さん 「Exodus」 6/16

タイトルを調べると、「大規模な集団が危機的・敵対的環境から逃げる為に行う旅。大規模な避難や移住」となります。僕はこの問題に疎いのですが、そんな僕でもすぐにイメージするのは、①アメリカとメキシコ(中南米諸国) ②ヨーロッパ諸国の移民流入事情 ③日本の移民認定のハードルの高さ、といったところでしょうか?本作では、何処の地域かは明らかにされません(その方がいいんですが)。しかしどの移民・難民にも共通する状況・立場・心情がほぼ過不足なく綴られているのが凄いです。どこを読んでもその通りでしょう。この詩は移民側の論理で書かれていますが、相手国のことにも触れている事は注目していいでしょう。僕が思うのは―何でもそうなんですが―立場の違いとは恐ろしいほどのものだ、ということです。相手国は自国を第一義に考えます。当たり前の話です。卑近な喩えですが、自分の家に見知らぬ人間が「一緒に暮らさせてくれ」とやってきたら、驚き拒否するでしょう。例えは悪いですが、原理は似たようなことだと思います。ところが一方では、全人類の課題としての博愛精神です。このせめぎ合いの難しさが国の政治さえ左右する要因になり得ます。かつてのドイツや今のアメリカがその例でしょうか。最後は人類史を提示して、普遍的境地にまで達しているのは注目していいでしょう。難しく論述的になりやすいテーマを、個人独白調を採用して、その難しさを上手くかわしていると思います。テーマへの果敢なチャレンジと啓蒙性もあり佳作。


5 白猫の夜さん 「移り気」 6/16

今が旬の紫陽花。「葉っぱに毒がある」―よく知ってましたね。僕は最近知りました。実際食べて食中毒になった人はいたようです。「エッ、食べちゃったの!!」。まあ、詩上のフィクションでしょう。
ここで詩が言いたいことは、来ない「あなた」のことを、それほどに思って自暴自棄になった、と取るべきでしょう。しかし、その事がこの詩のポイントになっているのは、なかなか興味深く面白いです。その行為がひとつの恋占いのように連想される点が趣深いです。でも「私」はもう「あなた」が来ないことを知っている。これは一種の恋愛詩であり、悲しみが悲しみのまま終わっている。
そういった事態、そういった詩もある、ということでしょう。ところで、僕はタイトルがあまりピンと来なかったんです。いっそのこと、ズバリ「紫陽花」(あじさい、アジサイでも可)でもいいように思いました。タイトルは時に、本文主旨とは違う方面に向かうと、かえって粋(いき)な場合があります。この詩はそんな例にも思えてくるのです。佳作半歩前で。


評のおわりに。

さて、六月もまもなく終わり。ということは上半期の終わり。早いものです!
美しき時の使者の受け渡し。

MS. JUNE 「お願いね」
MS. JULY 「まかせて!」

では、また。

編集・削除(編集済: 2025年06月21日 18:35)

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