6/17~6/19ご投稿分の評です。 滝本政博
すみません、明日からしばらく忙しいので、土日で評を書きました。
一生懸命書きましたが、自分に合わないと思ったらスルーしてください。
1 ラストノート 上原有栖さん
失恋のことを香水(残り香)に絡めて書くことは、定番な気も致しますが、タイトルが良いのでかなり救われています。別れた人自身のようなラストノート。せつないですね。
じつのところ香水は不案内で香りに順番があることは知っていましたが、名前までは知りませんでした。親切な(注)もあり新しい言葉を知りました。ありがとうございます。
定番の発想から抜け出すのはとても難しいことです。だが、ああ、いい詩だなと感じる作品はどれも独自の発想であったり、文体であったり、表現形式であったりします。多くの詩を読み訓練するしかないのです。自分のことは棚に上げて書いています。私も頑張ります。
さて、御詩ですが読みやすく簡潔であることでリズムが生まれています。
特に三連がいいですね。どきりとしました。
<瞳を閉じて カーペットを撫でた
髪の毛が揺れる ふわりと揺れる
もう居ないあなたが また耳元で悪戯しているようで
わたしに染み付いたあなたの残り香>
ただ<瞳を閉じて カーペットを撫でた>のカーペットは弱いというか、意味が取りにくいです。もっとぴたりくる表現を探してみてください。思い切って「瞳を閉じて あなたを撫でた」でもいいかもしれません。
最終行にだけ、読点がありますね。いや、いけないというわけではなく、その効果、こだわりを作者と話してみたいとおもったしだいです。
2 天使篇《ハイライト》 飯干猟作さん
自身と煙草についての自伝的なエッセイ風な詩と、天使と死んだ父が登場するファンタジーがないまぜになった面白いスタイルです。
天使は何かのメタファーというわけでもなく、純粋に詩世界の住人だ。読者はその姿や言葉をそのまま楽しめばよいのであろう。
第二連
<息子が煙草を吸うのを黙認してくれたのね?>
と、ひょいという感じで天使の登場。ここ、この感じ、良いです。
第三連で
<天使は半袖の夏のセーラー服姿だ>
と、これも当たり前のように書いてある。
私は天使が出てくる飯干氏の詩をいくつも読んだことがあり、彼女(天使)が彼のミューズであることを知っていますが、初見の方がどう感じるのか知りたいところであります。
この作品は内容を詰め込み過ぎています。
少し整理して書いてみます。
1連 煙草との出会い
いつから どの銘柄を どんな風に吸ったのか
その時の父の態度
2連 天使登場
対話
3連 天使との対話の続き
4連 先妻の死と葬儀の様子
そのときの私と父
父の死
5連 煙草をやめたことについて
アルコール依存について
想像上の煙草を吸う
天使と父が登場 三人で煙草を吸う
この内容なら、内容を分けて三つくらいの詩が書けるのではないでしょうか。
この長さでありながら、エピソード等が端折った感じになっていて、もったいないです。
特に先妻の葬儀のところや、アルコール依存のところなど、単独の詩で読みたいと思いました。
3 踊れ、俺の細胞 荒木章太郎さん
今後も荒木さんがこのタイプ(形式)で詩を書いてゆくのなら、一度考えていただきたいのです。
詩は意味ばかり気にして書く(読む)必要もないものとします。
しかし、詩は言葉そのものを材料としている芸術です。そして言葉は人間社会での意志伝達の基本的共有財産です。
この相反する命題をすり抜けて、いかに詩を書いて行くのか。難問です。
読者が読んで、その作品を分かるか分からないかも重要な問題です。私はいろんなレベルで分かってもらえる努力が必要だという考えです。
詩の中身を見て行きましょう。
自意識が 過剰だ
胃袋を 蝕む
情報が 耳から
垂れてくる
「情報が 耳から垂れてくる」はいかがなものでしょうか。
少し常套句のような感じがいたします。
知覚過敏だ
日常的に からだの奥で
日蝕が 起こるたび
猛禽類が 騒ぎたてる
この詩の中でカッコいいなと思った個所です。
でも「知覚過敏だ」「日常的に」はいらないと思います。
植物性の細胞が
ふるえている
知性の森が
蠢いている
詩とは言葉の組み合わせで発生します。
詩は言葉をおもしろく並べる着実な作業なわけです。これら詩句は荒木さんご自身の中では、像が結んでいるのですか?私にはうまく成立しているとは思えませんでした。
ああ、
日々の驚きが
恐れではなく
畏れに 変わりますように
日々の驚きが「恐れ」恐怖を感じることではなく、「畏れ」畏敬の念にかわりますように、ということでしょうか?
ここもいいなと思いました。
祈り、
踊れ、
俺の細胞
この詩には何かメッセージがあるのでしょうか。詩にはメッセージが、あってもなくてもかまわないのですが、メッセージがあるとしたらこの部分かなと思いました。そのことも気になりました。
各連が独立しているように感じられます。このタイプの詩は各連が付かず離れずの感じで薄く関連が感じられるのがベストだとおもいます。
世の中には意味のとおる詩を書く詩人とそうでない詩人がいます。前者の代表的な例は谷川俊太郎でしょうか。後者はそうですね吉増剛造とか有名です。いろいろ調べると面白いですよ。
以下私が気にいっている(驚いた)詩句を書いていきます。参考になれば、と思います。
夜のペダルが中断せずにうごく(ブルドン)
髪の毛の房がパリのしたにトンネルを掘る(ブルトン)
滝のように そして火事のように わたしは笑うだろう(ツァラ)
(覆された宝石)のような朝(西脇順三郎)
あなたの舌 あなたの声のガラス鉢のなかの この金魚(アポリネール)
コガネムシの音をたべながら(ジャリ)
アメリ―の乳房のような 夜の海(ランボー)
解剖台の上のミシンと雨傘の偶然の出会いのように美しい(ロートレアモン)
地球は オレンジのように青い(エリュアール)
4 日常 喜太郎さん
繊細で優しい作品でした。佳作一歩手前とします。
二重カッコの言葉『そんな』『好き』『想い』『愛しさ』がいい効果を出しています。
会話もさりげなく上手いです。
気になったところ。
一連目
「あなた」が4回でてきます。省略できる個所は省略しましょう。
喜太郎さんは一定の水準の詩を安定して書いており。
恋をしたことのある人には共感できる内容です。
それはそれで素晴らしいことだと思います。
ですが
悪魔の囁きのようですが
喜太郎さんには一歩前進して壁を破って欲しいです。
すぐれた作品とはどこか一般的ではないものです。一線を越えてください。
自分の弱いところをさらけ出す覚悟が人を打ちます。
誰もが感じることを誰もが使う言葉で書いた詩から遠く離れた傑作を読んでみたい気がします。
このことは、書こうか書くまいか随分迷いましたが、喜太郎さんならそれが出来ると信じています。
5 天井のわたし aristotles200さん
映像的な詩でした。
<深い眠りから目覚めた>と、唐突に始まるのがよいです。
これからはじめるぞ、と言う宣言のようです。
過激、ラジカル、そんな言葉でいいたい装置が備わっていて、これは詩と言う言語芸術といえるでしょう。このような別の現実世界を作るのも現代詩の方法の一つだと言えます。
私の乏しい知識に照らすと「スパイダーマン」とか「寄生獣」とかの映画作品の既視感がともないました。
モノローグで書き進めて行くのがいいですね。
スタイリッシュな作品でした。
URYYYYY(ご機嫌よう)
wreeeeee(あれ、B課長、どうしたんですか)
varyyy(美味っ)
ARYYYYYY(いただきます)
のところは、アメコミの影響なのかな。違っていたらすみません。
面白い表現で効果をあげています。
書体とか文字の大きさを変えられたら、さらに感じが変わったのではないかな、と想像いたします。
6 読まれぬ手紙 津田古星さん
しみじみ良いです。
一連目
簡潔で過不足なく書かれた詩句はおおげさな所はないですが、人の気持ちを動かします。
友人の死を実感した作者の諦念が伝わってきます。
よい書き出しと言えるでしょう。
葬儀の席では、時には事件がおきます。
さまざまな人のいろいろな感情が渦巻くからです。
そんな中で作者が出会った小さな事件は、二連の
<最後の別れの時
棺にそっと手紙を入れた人がいた
決して読まれることのない友への手紙
書かずにはいられなかったのだろう
そんな友人を持った彼女の人柄が偲ばれた>
というものです。
棺に入れられ焼かれてしまう手紙。いろんな想像が掻き立てられます。
三、四連は
生前の彼女のエピソード。
今の時代に49歳は若いですね。
<「両親より一日でも長く生きるのが私の目標」と
言っていたのに 叶わなかった>
のところに、彼女と作者の悔しさが滲みます。
タイトルはもう一考しても良いのではないでしょうか。
最終連では
<棺の中に納められた手紙は
彼女に届いたと信じたい
それとも 肉体を離れた彼女は
もう人の感情を超越した世界に行ったのだろうか>
となっており
「読まれぬ手紙」と断定的に言われることには違和感を感じます。
佳作一歩手前とします。
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評の終わりに。
倒れまいとして次々に足を出す、それが走るということだ、全力疾走をすれば決して倒れることはない、最初に二本足で立ち上がった猿はきっと全力で走ったんだ。
村上 龍 『コインロッカー・ベイビーズ』
六月なのに猛暑です。みんな頑張ろうね。