感想と評 6/27~6/30 ご投稿分 三浦志郎 7/5
1 森山 遼さん 「錨を上げよ船を出せ」 6/27
まず、冒頭、恐縮ですが、僕の知識も定かではないので、消極的に書くにとどめます。
7行目「広がらん」……どことなく違和感あるような?
10行目「~となりた」……「なりし」のほうがいい?
あと、以下の把握で合ってますかね?
若葉……双子の人物の名前。やがて野の花となり、ローレライの歌を歌う。
後にローレライという人間(?)になって王子と結ばれると確信される。
王子の船の難破とその悲劇はローレライ伝説に則っている気もします。
ひとつのキーワードである「ローレライ」を調べると、、そもそもライン川にそびえる岩山のことで、そこから美女伝説風の「ローレライ伝説」が生まれ、詩や音楽のモチーフになったようです。結論として、この言葉は非常に多岐にわたり、その分曖昧性もありそうです。ただし、この言葉はライン川と関係深く「海」といった感覚は見当たりませんでした。何か違うメディアからのモチーフ化といった気がします。僕のわかるのはここまでですので、すみませんが評価は割愛させてください。
わからない点が多々ありましたが、作風において、何か新しい方向性の予感のようなものは感じました。
2 鯖詰缶太郎さん 「魔法」 6/27
冒頭「前提」とあります。まず、僕の感覚で言うと、この言葉はその前にそれに該当する事象があるのが”前提”と思ったりするわけです。別の意味感覚で使っているとも推測できるのですが。
「呪文」と「魔法」。一般論として、どちらも密接な関係にあり、この詩として、個別性を以ってキーワードになっています。まず初連・2連で感知したことは、呪文の属性の良し悪しによって、魔法も変わって来るということ。そして呪文には正・負それぞれの機能・効能があるということ。
それ以降、最後まで読むと、案外これは呪文と魔法に託した、生の行方ではないか、と思ったりするわけです。
無理やり当てはめてみると……。
呪文……人々の言動?
魔法……天の差配、運命のようなもの?
一本にしか見えないあの糸……一度きりの人生?
この詩は解釈するに、時間がかかりそうですが、読み手において、何事かが感知されれば、その人にとって、あるいは有意義なものとなる。そんな気がしています。甘め佳作を。
3 じじいじじいさん 「やっぱりだいすき」 6/27
ちょっと面白い親子の場面ですね。4連あたりまでは、(何が始まるんだろ?)といった奇妙感、不気味感があります。大人の感覚で読むと「そんなバカなー」ってことになりかねないのですが、そこはそれ、子どもの感覚の詩であることを加味しましょう。あるかもしれません。ましてや暗くなりかけた雨の中です。このあたり、こども詩のリアルと解しましょう。
後半は、パパとわかっての、驚き、安心。「だいきらい」と「だいすき」の交差の気持ち。このあたり、子どもらしさが充分語られています。細かいことですが、文中「パパとてがつないであるいてくれたから」は、普通に考えると、ちょっとヘンな文法なのですが、案外、子どもらしい未熟の演出か?つまり、意図したもの?これも上記したこども詩のリアル?だとすれば、なかなか芸が細かいです。佳作半歩前を。
4 こすもすさん 「公衆電話のつぶやき」 6/27
非常にシンプルな仕掛けの詩です。こすもすさんとしては、少し珍しい部類に属するかもしれません。確かに電話ボックス少なくなりました。公衆電話が自ら擬人し、思うところ、その独り言を言ったとするならば、ほぼ、この文中に尽きるでしょうね。しかし、ある日突然の忙しさ。システムダウン。ありそうな事例ですよね。実際、災害時にも大変活用されたとか。まあ、今の社会で、この事例ですと、人々のこの行動はごく当たり前で、うなずけるのですが、公衆電話さんからすれば人間の身勝手さ、と映ったかどうか?そんなことも僕は考えてみました。そんなことに触れても面白いかも?塩味、皮肉味が効いたかも?佳作一歩前で。ですが、作品群バリエーションとして、あっていい詩だと思います。
5 松本福広さん 「16.6%の明日」 6/28
まず「引金を弾く」は「引金を引く」でいいのではないでしょうか。もちろん、詩の場合、平文と違い、言葉の選択自由度は広いので、作者が敢えて意図する場合はこの限りではありませんが。
この詩には2つのポイントがあるように思います。
1……拳銃には6発弾丸が装填できる。弾は1発だけ。6回引金を引けば確実に訪れる死。
2……1回だけ引金を引くと、死の確率は6分の1。
そして主人公は、結果としての生と死が「アタリなのか、ハズレなのか?」考えあぐねている。
そんな大意と思えるのですが、それに付帯してくる細かい事情に分からない点が多いです。
その点を列挙します。「帰ってきたあの日」「俺は帰ってきてから」「寝る前の日課」「酒に逃げられれば」「仲間と飲んだ酒」―などです。このあたり、読みのストレスが生じます。僕の読み込みが足りないかもしれませんが、読解の助けとして、もう少しストーリーに有機的に接続させて、流れを明快にしたほうがいいでしょう。タイトルも同様の気がします。この詩は散文的であり小説的でもあるので、なおさらという気がします。佳作二歩前で。
6 香月さん 「旅立ち」 6/28 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。
これは一種の失恋詩ですが、なにか久し振りに正統的な失恋の詩を読んだ心地が致します。
その文脈を見ると「しようとして、しなかった、できなかった」ことが多いことに気づかされます。
思うに、この人は“優し過ぎた”のかもしれない。そして純粋過ぎたのかもしれない。単純に書いてしまうと―。
「優し過ぎた→自分を抑えて相手を気遣う→気弱→(ある種の優柔不断含む)→貴女ははりあいなく去ってゆく」
噂によれば、(いい人なんだけど……)と言って女性は去ってゆくもの、とか申します。
この詩を読んで、そんなイメージを描いていました。終連にみる相手への願い、(失恋だけど、相手のことを思って)「旅立ち」といったタイトルにした点が、その証左のように思えてくるのです。詩上、僕はこういう人物像を応援したいと思います。また書いてみてください。
7 静間安夫さん 「戒厳令の夜」 6/30
前回の移民・難民の詩に続いて、世界を大きく捉えた詩です。静間さんの中でジャンルというひとつの峰を成すかのようです。たしか五木寛之に同名の作品があったと記憶しています。
このタイトルだけで、なにか、のっぴきならない事態、すぐ隣にある危険と恐怖。それでいて詩的。磁場のある言葉群です。実際、歴史はこういった昼と夜を経験しています。この詩にもある通りです。「プラハの春、北京の春、アラブの春」。この詩はある軍事クーデターをモデルとしながらも、あくまでフィクションの立ち位置であると見ます。僕もそういったアプローチが好きです。そこに静間さんの構想力・筆力を含んだ詩的作成地図を見ておきたいと思います。民主化運動VS軍事政権の構図上に浮上する出来事・場面は概ねこの詩の通りでしょう。急転直下といった事態の急変が活写されています。もしこれが事実を扱ったものならば、僕は沈黙しますが、フィクションとして書いたとするならば、軍事政権の首班が「少将」だと身分が低すぎる気はしてます。もっとも、かつてカダフィ“大佐”という人物もいたので、何とも言えないのですが。暴力的な政権では階級は関係ないのかもしれない。あらすじを読んでいくと、少し事態が極端で詩的な誇張があるかもしれないが、エッセンスは外していないと思います。最後に静間さんの政治・世界諸相の詩への導入の仕方に触れておきます。単純に書くと、自己の考えを声高に主張しない。あくまでー事実・フィクション問わずー客観としての出来事を綴る。判断材料を提出する。後は、読み手の考え・判断に委ねる姿勢ですね。なるほど、自己の思考表出もあるには、あるんですね。この詩で言うと、終わり2連です。しかし全くもって正統。願いとして静かで優しい。結果、嫌みがないわけです。
どうぞ、こういった立場をキープされますようー。佳作です。
8 社不さん 「回る」 6/30
僕にとっては、一風変わった恋愛詩として読めました。失礼ながら、何処を読んでもハチャメチャ、荒唐無稽なんです。しかし、それがこの詩の本質なんです。ひるがえって良さと言ってもいい。
その奇想天外な書きぶりは「君」へのモーションの度合い。「それぐらい、君に夢中なのさ!」
といった想いを詩的代行したものと捉えることができるでしょう。もうひとつ、注目しておきたいのは、この詩行群が一定のフィーリングで統一されている点を挙げましょう。カジュアルで、軽快で、ユーモアあり、可愛らしさあり、しかも一生懸命。読んでいて、わけわからんけど、凄く爽やかな気分になれるのです。良さと言っていいと思います。評価始めは佳作二歩前よりお願いします。
アフターアワーズ。
大勢に影響ないので、こちらに書きます。終連の「目が回ってる」は、改行して、一行独立連がいいかも、です。タイトルと絡めてのキメ文句として、です。
9 白猫の夜さん 「星の夜明け」 6/30
詩的ペンネームさんの、この詩的タイトル。それだけで魅かれますなあ。
ファンタジー。少し童話寄りの。そういった作品です。初連で「行くの、いくの」とあるので、どこか女性を想像していましたが、「僕」とありました。すると主人公は幼い男の子かもしれない。天上と下界との人々のやり取りが描かれます。階段や星々の様子も印象に残ります。そうこうするうちに朝が来たようです。タイトルに繋がっていきます。もちろん、この作品は日常的なファンタジーとして読んでもいいのですが、いっぽうで悲しい解釈の仕方があって、この男の子は亡くなり、霊魂が天上に昇り、やがて星になるファンタジーではないか、という点です。終わり近くに「最期」という言葉があります。これは殆どの場合、人の死に使われます。それとも作者さんは「最後」と書くのを間違えて記したのでしょうか?いや、そうではないでしょう。作者さんが、この詩のヒントとして「最期」を置いた、と僕は勝手に思っています。そう考えると、天上と下界で盛んに手を振り合ったのは、互いの最後の挨拶だったのかもしれません。最後まで読んでそう感じた時、これはもう一度、冒頭に戻って読み返したくなる、
そんな気分にさせる詩でした。 佳作を。
評のおわりに。
さて、7月。もうすぐ七夕(たなばた)。有名な祭事として僕の中で浮かぶのは東北・仙台、次いで
神奈川・平塚ですが、夏の風物詩としては、ちょっと地味かな、と思ったりもします。
ですが、夏への扉といった予感は充分ありますね。 では、また。