2025年6月24日から6月26日までのご投稿分の感想と評です
2025年6月24日から6月26日までのご投稿分の感想と評です。
大変お待たせしました。申し訳ありません。
「旧市街」 上原有栖さん
上原有栖さん、初めまして!
ご投稿くださりありがとうございます。
初めての方は感想のみとさせていただきます。ご了承ください。
僭越ながら御作「旧市街」の感想を送らせていただきます。
場所はどこでしょう。イタリア辺りでしょうか?
イメージが広がります。
<黴臭い風 は、不快ではなく不思議な懐かしさを感じます。
鐘の音のに耳を澄ませる旅人とともにこちらも耳を澄ませます。
日干しレンガのひび割れた歩道で鍵尻尾の黒猫に出会います。
その後を追う旅人。ちょっとわくわくします。
古い道の奥の奥まで、そのまた奥まで進みます。
聞こえてきた優しい鳴き声に旅人の心はほぐれます。
次にどんな出会いが、場所があるのか気になる一篇でした。
またのご投稿をお待ちしています。
「フォト」 喜太郎さん
喜太郎さん、今回もご投稿くださりありがとうございます!
僭越ながら御作「フォト」の評を送らせていただきます。
街中に兵士がいるということは海外でしょうか。
主人公は旅人のようです。被写体になった兵士の笑顔が
目に浮かぶようです。兵士といえば戦争が始まれば
国のために命をささげる存在。同じ人間であると思えなくなってしまう
怖さがあります。この詩に登場する中年の兵士は人の心を持った
やさしい人物のようです。こちらの固定観念を飛ばしてくれます。
あたたかい喜びに満ちた時間が流れていますね。
それでも、
<彼は今を生きていて、明日の事は偉い人が決めるのだろう
と主人公は現実的に考えます。場面の空気がピリッとしまります。
出来事と様子、その後、と主人公の目線が変わっていく流れは
自然で、すっと心に入りました。
御作佳作とさせていただきます。
「俺は詩人だ」 荒木章太郎さん
荒木章太郎さん、今回もご投稿くださりありがとうございます!
僭越ながら御作「俺は詩人だ」の評を送らせていただきます。
<俺は詩人だーーー
そう叫ぼうとしたら
「俺は縮んだ」といい間違えた
いいですね。ユーモラスな雰囲気と勢いの良さに惹きこまれます。
「俺は縮んだ」は真っ黒な言葉のようです。間違いとして黒く
塗られる運命の言葉がフロイトの言葉に救われます。
生々しい言葉を、真っ黒な言葉をおし拡げると
真っ赤な口を開けていた。言葉の脈動を感じます。生命を感じます。
ありのままを恐れていた主人公が、勢いにのって言葉を紡いでいきます。
<決して纏まろうとしない思念を貫く
<劣等感を背負い投げする
力強さと勢いの良さにこちらは引っ張られます。
主人公が一段上がって大きな一歩を踏みしめる姿が
目に浮かびました。
詩作でくじけそうになった時に励みなる一篇でした。
「森を歩く ト短調op129-5」 aristotles200さん
aristotles200さん、初めまして!
こちらにご投稿くださりありがとうございます。
初めての方は感想のみとさせていただきます。ご了承ください。
僭越ながら御作「森を歩く ト短調op129-5」の感想を送らせていただきます。
クラッシック音楽のソナタ形式を用いた作品ですね。
恥ずかしながらクラッシッくの形式に疎かったので
調べました。提示部、展開部、再現部の三つの構成で作られた作品
がソナタ形式というのですね。ひとつ学びました。
<ソナタ>では漠然とした不安の中で老いを感じ、戸惑い
虚無が覆い、世界は灰色に変わっていきます。
表情のない主人公が、自分の居場所を見失い彷徨う様子が目に浮かびます。
森へ入る主人公。穏やかな夕暮れ。風に吹かれる木々の音が聞こえます。
主人公は、生命あふれる世界を心を暗くして歩ていきます。
ベートーヴェンのピアノソナタ集を聴いている、それは記憶か幻聴か
現実と夢?の間の中か。
主人公は映画のエンドロールのような感覚を味わいます。荘厳な空気が漂います。
老いを感じ、人生の旅の終わりを悟ったような流れが展開されます。
<スケルツォ>から主人公はゆっくり旅の終わりに向かっていくところを
味わうように感じていきます。かなしみも悔やみもない、心の様々な起伏からの解放
安らかな気持ちの中に見える諦め。思いを言葉にして詩の形で次の人に遺そうと決めます。
<ロンド>では、この森が黄泉の世界のものように見えて。主人公がこの世を出て
黄泉の世界の森へ入ったように見えました。
読み進めていくと、こちらもここではない世界の中に入ったような不思議な感じが
ありました。かなしみも悔いも苦しみもない世界で、主人公は永遠に森を歩く。
一つの壮大な音楽を最後まで聞いたような心地になりました。
aristotles200さんは詩作の力がある方だと感じました。このまま書き続けていただきたいです。またお待ちしております。
「bat」 津田古星さん
津田古星さん、今回もご投稿くださりありがとうございます!
僭越ながら御作「bat」の評を送らせていただきます。
主人公が英単語の語源図鑑を購入して、英語学習を始めます。
<意気揚々と勉学に励むつもりが
少しも頭に入らない
半年で覚えたのは
Bat=叩く だけ
そして読み手はなぜ「bat」だったのか
興味がわきます。
<Batterも battleも combatも
さらに debateも beatも
Batから派生しているとは
知らなかった
こちらもひとつ学ぶことが出来ました。
語源を学ぶ面白さがあります。
主人公はこの語源から昔のドラマ「コンバット」を
思い出します。ここからこの詩のタイトルである
「bat」の本質が見えてきます。
主人公は「コンバット」を再見します。
懐かしさに埋もれるのではなく、客観的に見ていきます。
アメリカ兵の固形食を持参するところを見て、日本が負けるわけだと
再認識する。栄養失調でやせ細った日本の兵士の姿が浮かびました。
<combatは
com(共に)+bat(叩く)→叩き合う 戦闘 闘争
素手であっても
武器で持っても
議論であっても
叩き合うのは理解を遠ざける
それは頭に刻んだ
外国語を学ぶことの大切さ、そこで得るものの大きさを感じました。
御作佳作とさせていただきます。
「囲炉裏端で写真を焼く」 温泉郷さん
温泉郷さん、今回もご投稿くださりありがとうございます。
僭越ながら御作「囲炉裏端で写真を焼く」の評を送らせていただきます。
時の流れと静寂。火入れを待つ灰。主人公の父親が撮った古民家の写真。
当時のエピソードはなく、囲炉裏端の灰と埃の描写だけで展開されます。
これがこの詩の魅力だと感じました。主人公がなぜ写真を焼いたのか
旅人は誰だったのか。想像が想像を呼び、主人公のこれまでの人生が読み手の数だけ
あるような気がしました。
自分も主人公とともに囲炉裏端に座って、灰の最後の祈りを見届けているかのような
心地になりました。何もかもが静まり、鎮まり、穏やかに遂げていく。
読後の余韻残る一篇でした。御作佳作とさせていただきます。