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スレッドNo.5944

感想と評 7/1~3ご投稿分  水無川 渉

 お待たせいたしました。7/1~3ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
 なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。

●荒木章太郎さん「痛みは」
 荒木さん、こんにちは。これはとてもしみじみと心に沁みてくる作品でした。人が感じる痛みが「感受性の根となる」という表現は言いえて妙ですね。痛みが悲しみに変わり、それで終わりではなく他者の悲しみと共鳴していくところに言葉が生まれ、物語へと育っていく……植物が成長して森になっていく様子と、個人がつながってコミュニティ(「むら」)ができていく様子が重ね合わされて美しく描かれています。そしてそのような営みは個人の生を超えて受け継がれていく、ということかと思います。
 個人的にはこの詩は、詩(あるいは文学全般)がどのように生まれていくかについて考えさせてくれる作品でした。詩は個人の内奥にある「感受性の根」から生じてくるものだと思います。そして(すべてとは言いませんが)多くの場合、それは痛みや悲しみの体験にルーツを持つものではないかと思います。けれどもそれは決して個人の内面で完結するものではなく、他者との関係性へと広がっていくのでしょう。
 全体的にとても素晴らしいと思いましたが、一箇所だけ分からなかったのが、第2連2行目の「痛み止めを飲み 温泉に入る」という一行でした。この部分が前後とどのようにつながるのか分からず、唐突で場違いな印象を受けました。作者の深い意図があるのかもしれませんが、もしかしたら推敲の余地があるかもしれません。そこだけご一考いただければと思います。評価は佳作です。

●喜太郎さん「筆箱」
 喜太郎さん、こんにちは。これは筆箱を人間にたとえた面白い視点の詩ですね。鉛筆や消しゴム、定規の入った筆箱は小学生時代に誰もが持っていたものですので、幅広い層の共感を呼ぶ道具立てになっています。まずこの着眼点が良いと思いました。
 道具は使ううちに古びて傷だらけになり、汚れていきます。でもそんな内面の人生経験を覆い隠すように「筆箱」の外側だけをきれいに磨いて他者にアピールする。これも多くの人が共感できることでしょう。語り手はそんな中で、自らの内面を率直に開示して裏表なく生きていく生き方を呼びかけています。
 ストレートな人生応援歌のような詩で、読んでいて心が暖かくなりました。主題としてはそれほど特異なものではありませんが、人生を筆箱と文房具に喩えた視点が私には新鮮でした。
 一箇所細かい点ですが、6行目「定規もメモリも掠れてヒビも入っている」の「メモリ」は他の箇所からすると定規の「目盛」のことですよね。初めて読んだときにUSB等の記憶媒体としての「メモリ」と勘違いしてしまいました。ここは他の部分と表記を統一して「定規も目盛が掠れてヒビも入っている」としたほうが良いと思います。その点を申し上げたうえで、評価を佳作とさせていただきます。

●aristotles200さん「そして風は甦る」
 aristotles200さん、こんにちは。この詩は初行「風に記憶があり、匂いとともに甦る」がすべてを言い尽くしていますね。この詩行自体はとても良いと思いますが、最初に結論を持ってきてしまったので、後はこの内容をどこまで具体的に説得力のあるものとして展開していけるかが、作者の腕の見せ所になると思います。
 2連目以降は基本的に2行1連の形式で幼少時から人生の歩みをダイジェストで辿っていく内容になっていますが、一見ばらばらに見える出来事をつなぐ縦糸となっているのが、折々に感じた「匂い」の記憶です。
 途中に挟まれる、〈 〉でくくられた2つの行は語り手の人生における大きな節目を表しており、同じパターンの繰り返しで単調になりがちな詩にアクセントを与えていると思います。特に2つ目の〈そして未来、あと十年、二十年くらい〉は語り手の立っている現在を表しており、これ以降の部分は自らの死に至る未来の人生を想像で描いている部分なのでしょう。
 この詩で特に興味深いのは、最後の3連です。それまで自らが感じた匂いを通して人生の記憶を紡いできた語り手はついに呼吸が止まり、したがってもはや匂いを感じることができなくなります。それと呼応するように「焼き場で昇る無臭」とあるのもとても印象的でした。実際には火葬した遺体から立ち上る煙には匂いがあるのでしょうが、本人はもはやそれを感じ取ることができない、ということでしょうか。
 そして最終行「全ての匂いと記憶が繋がり、風が甦る」はそれを更に逆転させて、死を超えた希望を暗示しているように受け止めました。ひところ流行った「千の風になって」という歌を思い出しました。この終わり方は感動的ですね。
 全体としてとても興味深く読ませていただきましたが、2つコメントさせていただきます。一つは小さなことですが、基本的に2行1連のパターンで人生が描かれる中で、「転職初日~」と「慣れぬ満員電車~」だけは長い1行で1連を構成しているのが気になりました。何か特別な意図があるのでなければ、他の連と同じく2行に分けた方が良いと思います。
 もう一つ、より大きな問題と感じたのは、この詩における「風」の位置づけです。最初この詩を読みながら、人生の各場面に吹いていた風がその場の匂いを記憶していて、語り手の人生の最後にそのすべてをつなぎ合わせて彼(詩の内容からして語り手は男性と思われます)の人生を総括する、ということかと思いました。しかし、細部を読んでいくと、そこに風が吹いていたとは思えない場面も描かれています(エレベーターの中など)。重箱の隅をつつくようで申し訳ありませんが、私は読んでいてその点が気になりました。すべての場面で風が吹いていることを明示的に描く必要はありませんが(それはくどくなりすぎます)、少なくとも風があってもおかしくないシチュエーションを選んで描いていくと良いのではないかと思いました。
 そもそもこの詩では繰り返し言及される「匂い」に比べて「風」の存在感が今ひとつ感じられず、風を中心としたタイトルとアンバランスな印象を受けました。特に後半では風がほとんど出てきません。本文中で風を描く比重をもう少し増やした方が(特に人生描写の最初と最後)良いのではないかと思いました。ご一考ください。
 評価は佳作半歩前となりますが、もう少し推敲すると素晴らしい作品になると思います。

●筑水せふりさん「安定剤」
 筑水さん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
 冒頭に書いていますように、私は投稿された詩は作者とは独立した文学作品として読んでいますので、作中の語り手である「わたし」と作者ご本人とは切り離して考えていることをご承知おきください。私自身は安定剤を使ったことはないのですが、身近に何人も使用している方々がおり、ストレスフルな現代社会で多くの人々にとってなくてはならないものになっていることを感じます。
 この作品は平易な言葉遣いで書かれていますが、人間の精神の、あるいは世界の「安定」とは何か、いろいろと考えさせてくれます。いくつもの哲学的な問いが投げかけられますが、結局それに対する答えは与えられません。でも、そういうものなのでしょうね。最後の一行「でもね そうやって 生きていくの」から、安易に結論を出さず、分からないことを分からないままに引き受けて生きていく決意(あるいは諦め?)のようなものが感じられて、強く印象に残りました。
 短いけれども、とても読み応えのある詩でした。またのご投稿を楽しみにしています。

●温泉郷さん「泉の長い角」
 温泉郷さん、こんにちは。この作品は正直言ってどのように読んだら良いのか、とても悩みました。最後の注にあるように、この詩は映画「ナミビアの砂漠」にインスパイアされていることが分かりますが、私自身はその映画は未見であることをお断りしておきます。インターネット上であらすじや解説などをいくつか読んでみましたが、限られた理解をもとに書いていますので、見当違いのことを言っていたらおゆるしください。
 この作品は現代の都市生活に埋没していく個人の葛藤を描いているように思います。社会の流れに逆らって進もうとしても困難を覚えている「わたし」は、ついに向きを変えて群衆と行動を共にし、流れに従って生きることを選びます。
 詩では朝の通勤ラッシュの描写が、映画に出てくるナミビアの砂漠の水飲み場に集まってくる動物たちと重ねて描かれます。この作品の鍵になるイメージは、タイトルにもなっている「長い角」ですね。これは具体的には砂漠の水飲み場にやってくるオリックスの角をさしているようです。都市に住む大衆を動物にたとえる時、牛や豚といった家畜になぞらえることが多いと思うのですが、この作品では野生動物にたとえられているのが新鮮でした。
 都市文明に対して自然を対置する時、前者を否定的に、後者を肯定的に描くことが多いです。けれどもこの作品はそのようなステレオタイプに挑戦しているように思えます。映画の中で主人公が見ているナミブ砂漠の水飲み場の映像を私も見てみましたが、これは自然のオアシスではなく人工的に作られた水飲み場だそうです。そしてそこにはカメラが設置され、24時間ライブ配信されている。一見自由に生きているように見える野生動物もまた人間の管理下にあり、疲れた現代人の「いやし」のために「鑑賞」される存在となっていると考えられます。そうだとすると、詩の中で長い角を生やした群衆が向かう「静寂の泉」もまた、単純な「心のオアシス」のようなものではなく、もっとダークな意味合いを持ったものなのかもしれません。
 このように、どこまで行っても管理社会から逃れられない近代人の絶望を描いた作品と受け止めました。評価は佳作です。



以上、5篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。

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