感想と評 7/11~7/14 ご投稿分 三浦志郎 7/19
1 こすもすさん 「乾く心」 7/12
初連。この詩が提示する最大の問題点であり、この詩の出発点であることを、今、痛感しています。
初連。これはすでにして普遍に近いでしょう。だからこそ、人には屈託があるのでしょう。だから希求します。時にその輪郭が見える時もある。4連のことです。この連は初期の幻想作品のひとつの現在的消化形とみなすことができる、と僕は思っています。ひとつの成果です。そして5連「何度も繰り返している」と7連「求めずにはいられない」―ここはとても重要で、これは人間が一生掛けて繰り広げる「性(さが)」を言っているのだと拡大解釈できるのです。早い話が、心を許した親友がいたとします。それでもその人に対してでも利害打算は働いてしまいます。この詩は、そんなことも含めつつ「自己対他者」の持つ課題に到達していると思います。そんな解釈に立っての佳作を―。
2 上原有栖さん 「drops―ドロップスー」 7/12
出だしの一行がすてきですね。ドロップに導かれて世代的なことを考えていました。僕の子どもの頃、当ドロップは大好きなお菓子でした。本文にもある通り、いつもハッカが残るのも実感で、それを書かれた上原さんも同時代人ではないでしょうか?なかなかややこしい話ですが、両社いろいろな事情があったのでしょう。
総合すると―。
佐久間製菓……「サクマ式ドロップス」本社・池袋 2023年廃業 赤い缶。
サクマ製菓……「サクマドロップス」本社・恵比寿 現存 緑の缶。
現在は別会社ですが、もともとの前身は同じのようです。しかしネーミングの「式」って何でしょうね?最も興味ありますね。全商品が缶というのも、今からすると凄いものがあります。これは詩の評価というよりも、世間話柄として懐かしく興味深い作品です。よく調べられました。そこに愛着と熱意が伝わってくる気がします。ドロップにちなんで、例外的甘め佳作と致しましょう。
3 森山 遼さん 「一枚の写真」 7/14
まずルオーを調べ、この詩とどのような因果関係にあるか、をイメージしてみました。何故ならば、終わり近くにもルオーが出て来るからです。本作のモチーフはあくまで「一枚の写真」なのですが、2連から4連まで、実際の写真を見て、こういった書き方はしないんです。ここは写真を見て触発され、ルオーの絵画イメージを引きずっているように僕には思えるのです。その結果、導きだされるのは、5連から7連までの、見事過ぎるほどの思考です、哲学です。それ以降は、より写真に寄り添うような筆致です。すなわち抽象と具体の両立。そして、この語り手にとって、その人物・その写真は、手の届かないような高みにあるとされています。そこで足がかりとしてのルオーの絵が最後まで随伴するのでしょう。読んでいて、煙るように解釈の行方が不明になることもあるのですが、詩とはそういうものでしょう。それよりもむしろ僕は本作にみる表現・言葉の配置、結果としての詩の佇まいを重く見たいと思います。もちろん佳作です。いろいろバリエーションはあるでしょうが、その中で、こういったフィーリングを中心軸にするとよいと思います。もちろん日常いろんなモチーフもあるでしょう。それはそれ、これはこれで。
4 相野零次さん 「光 闇 風」 7/14
「夜歩く」―闇に紛れて「君」に会いに行くのかもしれません。その外出時に見た実景と、浮かんだイメージ・幻想。その混在。そんな風に把握できそうです。一見、荒唐無稽のようですが、けっしてそんなこともない。ちゃんとリアルを通過してゆく。曰く「犬の鳴く声」「踏切」「救急車」「銀杏の葉」。
あとは歩きながら、物思いにふけるようなイメージの世界です。
ところで、終連にある「性」は「さが=性質」のほうではなく文字通り「SEXUAL」のほうだと推測します。その以前に「今からいくよと君に約束する」が兆しのように置かれているからです。その連以降、そういった詩のトーンに傾いていくかのようです。ソフトクリームの出し方がちょっと奇妙。佳作半歩前で。
5 じじいじじいさん 「君の手で」 7/14
どこにも否定材料がない。輝くばかりに明るく前向きな詩です。扉~夢~未来を上手く連動させ、子どもへの応援詩になっている。説得力もあります。それはわかりやすさ、伝わりやすさを意味します。まずは表記上のことから。2連冒頭は「君が持ってる夢~」で改行した方がいいでしょう。終連はこれでもいいのですが、僕の場合、少し整理したい気がします。参考までに。
いいかい
扉を開けたら夢って未来に進むんだ
急がなくていい
疲れたらペースをおとしてもいい
進んでいれば夢は叶うから
さあ 扉を開けようよ
君の手で
未来に向かって
次にこの詩の評価的位置づけです。恐ろしく客観的立場で言うと、これは大人が子どもに向けて書いた、いわゆる“大人の詩”なんです。ただ僕はこの場をお借りして、恐ろしく主観的なことを書いてしまいます。結論から書くと、これは子どもの詩です。もう少し言うと子どものための詩です。理由は以下です。「じじいじじいさんはもっぱら子どもの詩を書いてきました。そのポリシーを好意的に見るならば、本作も子ども詩の一環であると見たい。むしろ、視点を変えた、切り口を変えた、アプローチを変えた、これは新種の子ども詩と把握したい」―といったわけです。タイトルもすてき。愛に満ちたこのメッセージに佳作を。
アフターアワーズ。
僕の尊敬する作家・司馬遼太郎氏に「21世紀に生きる君たちへ」という一文があります。
大阪の小学6年生国語教科書に採り上げられました。それを読んだ時のような明るい気持ちに
なりましたね。
6 静間安夫さん 「便利な道具」 7/14
この詩は実際に路上を歩いているのですね。前半は具体例としての「路上・移動手段(道具)・速度」がメインになります。それを受けての7連「どうやら~」以降、詩は佳境に入って行きます。
ポイントを言うならば「道具と人間」論。ここにこの詩の深みがあります。「あの人は車に乗ると人が変わる」みたいな話はたまに聞きますよね。道具には人を夢中にさせたり、変化を与える要素って必ずあるように思います。道具の魔性とでも言いましょうか。最終的には使い手の人間しだいというところでしょう。道具をコントロールする為の人間の謙虚―凄く良い発想だと思います。タイトルはやや皮肉注入か?「~イライラがつのってきてしまったな」「目の前を歩いているばあさん」―あ、ホント、歩いてますねえ、このくだり、ケッサクです。発想、思考は全く正論で、ためになるものです。いっぽう、詩的観点に照らすと佳作一歩前でしょう。
7 社不さん 「それだけの話」 7/14
初連と5連は詩的感性充分で優れた表現です。
後の部分は何だかよくわかりませんでした。その意外性とか無関係性は、読んでみてそれなりに面白いのです。瞬時にイメージしたことをそのまま書いた、そんな印象です。むしろ「わかってほしかった」「それだけ」のセリフの機能、意味について、ちょっと考えてみました。後者が前者を濃厚に修飾するものだとします。つまりー解説的に書くと―「他はいいから、これだけはわかってほしかった」のような感覚+やや自嘲的感覚。もし、そうであるとすれば、この詩に隠された事情はなかなか深いと言わざるを得ません。しかし、それが何かは僕にはわかりませんでした。佳作一歩前で。
評のおわりに。
明日は選挙に行きます。 では、また。