感想と評 7/29~31ご投稿分 水無川 渉
遅くなり申し訳ありません。7/29~31ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●荒木章太郎さん「宇宙人」
荒木さん、こんにちは。ホラーも入ったSF風味の恋愛詩と言えばよいのでしょうか、不思議な雰囲気を持った作品ですね。
ところで、30年ほど前に『男は火星から、女は金星からやってきた』という本がありました。原書は海外でベストセラーになり、その後日本語にも訳されました。要するに男性と女性の心理の違いを論じた本で、そのような単純な二分法には批判もありますが、同じ人間同士でも、時として宇宙人と話しているのでは、と思うほど相手を理解するのに困難を覚えることがあるのは確かです。
作品に戻りますと、私はこの詩を、恋愛(特に思春期のそれ)における相互理解の困難さをアレゴリー風に描いたものと受け止めました。この詩では「恋」と「愛」の区別が語られます(第6連)。相手が宇宙人であることが分かった時、恋は萎んでいきますが、愛ならそんな異質な二人を結び合わせることができるのではないか……後半に出てくる天の川は、そんな希望を表しているように思えました。(ちなみに、天の川や流れ星のイメージは、「宇宙人」のイメージと統一されていて良いと思います)。終連「君が火星人であっても/僕は君を/愛せると思ったから」は良いまとめになっていると思います。
全体的にとても面白く読めました。1点だけ気になったのは第5連の「許嫁になる約束をしたい」という告白の言葉です。この詩の主人公たちはおそらく中学生だと思うのですが、それにしてはちょっと時代がかっていて不自然な気がしました。ここはもう少し十代の若者らしい表現に変えたほうが良いかと思います。ご一考ください。評価は佳作です。
●トキ・ケッコウさん「サイレン」
トキ・ケッコウさん、こんにちは。初めての方なので感想を書かせていただきます。
この作品は街で救急車のサイレンを聞いて着想したのでしょうか。一つ一つのサイレンの背後には、生命の危機に直面している人々が助けを求める叫び(声にならないうめきも含めて)があるはずなのですが、画一的な救急車の外観とサイレンの音が、そのような現実に私たちが目を向けることを妨げているのかもしれませんね。
この作品ではさらにその叫びは実際に救急車に乗っている患者だけにとどまらず、日々の生活に疲れた現代人一般の心の叫びへと拡大されているようにも思えます。私は作品全体を、他者の痛みに無感覚になっている現代人への警鐘として読みました。
普段あまり意識することのない日常の現象を新しい視点で見つめる(耳を澄ます)ことによって、新しい世界が広がってくるのは詩の醍醐味だと思いますが、この詩はそのような発見の面白さを味わえました。終連の「ニセの叫びに/耳を塞いで/わたしは/騒音と/ことばの/境目を/探す」の表現もとても印象に残りました。またの投稿をお待ちしています。
●aristotles200さん「可哀想に」
aristotles200さん、こんにちは。この作品は核戦争後の未来社会を描いているようですが、電車やテレビなど、今の社会とあまり変わらないのが不思議です。でもそこに生きているのは「鱗人間」……。
放射能によって人間存在が肉体レベルから変異していくという発想はSF的ですが、この作品で興味深いのは、そのことが当の鱗人間の視点から描かれていることです。この詩で描かれる鱗人間は平和を愛し、自然と共生する、理想的な種族です。対照的に「本当の」人間は放射能をばらまき、生態系を破壊し、テロを繰り返す。イメージとしてはグロテスクで違和感を覚えさせる鱗人間の方が、「人間」よりも人間らしいという皮肉がよく効いています。
この作品は肯定と否定、どちらの角度からも読むことができると思います。人間はさまざまな失敗を繰り返しつつ、より平和的な存在へと進化していくという希望が語られていると読むか、むしろそのような希望はなく、ゆるやかに滅亡していく人類に対する哀れみが描かれているのか……。私自身はタイトルにもなっている最終連の「可哀想に」という言葉から、後者の解釈を取りますが、どうでしょうか。
とても素晴らしい文明批評的な作品だと思うのですが、一つ大きな問題と思える部分があります。それは第一部の2つの連です。この後に続く部分からすると、語り手が自分が鱗人間であることを知らなかったというのはありえないと思うのです。「誰かに知られたら、大変なことになる」とか、周りの人間も鱗人間であることに最初は気づかなかったというのは、後半の内容と矛盾するように思います。後半では鱗人間と「人間」は自分と互いの正体をはっきりと意識しているからです。
要するに、この作品は第一部とそれ以降の部分が噛み合っていません。作者の一番言いたい内容は後半にあると思いますので、そちらと整合性を持つように第一部を大幅に書き換える必要があると思います。着眼点や思想には素晴らしいものがあると思いますので、この点をじっくり遂行していただくと、良い作品になると思います。ご一考ください。
評価は佳作一歩前になります。
●森山 遼さん「残念なことになったな」
森山さん、こんにちは。この作品は形式的には非常に整っています。全8連、最終連を除きすべての連が5行からなり、各連の最終行は「◯番目 これが残念」という形になっています。
ただし、各連の内容を辿っていくと、そこに一貫する主題を見つけるのは(少なくとも私は)できませんでした。第5連以降は芸術(絵画と音楽)におけるアーティスト同士の比較が語られ、最終連で語り手は「素直に生きてる」「あいつ」に負ける、という結末になっていますので、他者と比較して生きる人生の「残念さ」を描こうというのが作者の意図なのではないかと思いました。ただ最終連の最後から2行目、「最終的に◯◯◯」は不要ではないかと思いました。この行を削除すると、他の連と同じ5行になりますね。いずれにしても、最終連はとても良いと思います。
このように、作品の後半だけ取り出せば、ある程度まとまった内容を見出すことが可能です。ただそれにしては、第4連までの内容がよく分かりません。連をまたいでつながる言葉やイメージの関連性が見られる部分もありますが、全体として後半の内容にどうつながっていくのかが分かりませんでした。
最後に、「五番目」が2回重複していますが、これはおそらく数え間違いではないかと思います。「ゴッホ」の表記がカタカナなのに「ごーぎゃん」はなぜひらがななのか、等々、単純な推敲不足と思われる部分が目につきました。
以上、部分的に光るものはあるのですが、これまでの森山さんの詩と比べると「残念な」作品になってしまったと言わざるを得ません。次作に期待したいと思います。評価は佳作一歩前です。
●喜太郎さん「どこが好き?」
喜太郎さん、こんにちは。今回も喜太郎さんお得意の青春恋愛詩ですね。場面は夏の花火大会。並んで花火を見ている二人ですが、「君」は花火をまっすぐ見ているのに対して、「僕」は「君」の横顔を見つめている、そういう体勢での二人の会話が描かれていきます。お互いの好きなところを言い合い、さらに好意を深めていく二人の姿は、読んでいて微笑ましく思いました。
作品の内容は単純明快で、不明瞭なところはほとんどありませんでした。あえて言えば第2連の「私の事が好きで/仕方ないんだろうなぁって思わせてくれるところ」は改行の位置を変えて、「私の事が好きで仕方ないんだろうなぁって/思わせてくれるところ」とした方が意味が通じやすくなるかと思いました。
この作品、特に大きな欠点はないのですが、その反面、読んでいて「発見」や「驚き」を味わうことも正直ありませんでした。最初から最後まで「君」の魅力と彼女に惹かれる「僕」の恋心がストレートに描かれていて、そこにはまったくブレや変化がありません。現実世界のできごととしては、こんなに幸せなことはないと思いますが、詩として読むならば、作品のプロットが平板で、先が読めてしまいます。ここが私としては物足りないところでした。喜太郎さんの作品は何度も読ませていただいていますが、今のレベルからさらに飛躍していただく期待を込めて、今回は佳作半歩前とさせていただきます。
●相野零次さん「温度」
相野さん、こんにちは。今回の作品は、愛の「温度」について散文詩の形式で書いてくださいました。
今回の作品を何度か読みながら考えさせられたのは、第3段落の解釈です。これは全5段落ある作品のちょうど中央に位置しています。ところが、この段落を全体の中でどう位置づけたら良いのか、悩んでしまいました。
この段落自体は逆説的で印象的な詩的表現で書かれていてとても魅力的です。けれども、全体を通して読むと前後の内容とあまり噛み合わない気がしました。
この作品は中央の第3段落を飛ばして読んでも意味が通ります。いやむしろその方が分かりやすいのです。冷え切ってしまった恋愛に未練を抱きながらも仕事に打ち込む「僕」。一方夜空では熱く愛を求める流れ星が光っていて、「僕」がもう一度愛を燃え立たせるように語りかけている……そんな内容だと思います。
一方、第3段落は、熱すぎも冷た過ぎもなく、扱いやすい「素敵な温度」の愛を綺麗に包装して届けようという内容です。これはある意味では洗練された大人の恋愛作法と言えるかもしれませんが、前後の部分で語られている、情熱的な愛を燃え立たせようとする内容とはかなりの違いがあります。
この両者をどう考えたら良いのか、悩んだ末にたどり着いた解釈は、この第3段落は「僕」が書いた「詩」だというものです。つまり、語り手の「僕」は詩人であって、第2段落の「仕事に打ち込む」とは、詩人の仕事として恋愛詩を書くということと考えました。けれどもこのような生ぬるい恋愛詩では「僕」の思いは晴れることはない。そんな「僕」に流れ星が忘れかけていた熱い愛に立ち戻るように語りかける……。
この解釈が作者の意図と合致しているかどうかは分かりません(というより、そもそも詩を読むという行為は作者の意図と合っているかの「答え合わせ」ではありません。)しかし、このように読んだ時、私にとってはこの作品は非常に洗練された深みのある詩として楽しむことができました。この解釈を気に入っていただけるなら、第3段落は全体を「」で括って表現すると、よりその意図が伝わりやすくなるかも知れません。ご一考ください。評価は佳作です。
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以上、6篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。
戦争終結から80年。今も世界各地で紛争が絶えない中、少しでも多くの地域で平和が実現していくことを願ってやみません。