O文具店の単語帳 温泉郷
百貨店の袋にいっぱいの
単語帳の束
O文具店で毎週買い
単語を書きつけて
電車の中で記憶した
単語帳をよく買う大人は
めずらしいらしく
わたしが行くと
学習の進捗を聞いてくれた
新しい商品が入ると
おまけしてくれて
次からは
それを買うことになった…
そうして
紙袋には地層ができた
下層にブルー
中層にグレーとブラウン
上層には表紙ツルツルのグリーン
わたしの学習も
固着して一段落し
便利なアプリが登場し
単語帳を買う必要は
なくなった
それでも
O文具店で
単語帳を買っていた
空白の単語帳が
紙袋の上の方に
すまなそうに
交じっているのは
そういうわけだ
アプリもいいけど
やっぱり
単語帳だよ
手を動かさなきゃ
なかなか覚えられないよ
モノにした人は
皆 そうだったよ…
ほんとうだ
紙袋一杯の単語帳とともに
わたしは転居した
きたないわね!
もう いらないでしょ!
と妻に言われたとき
思わず
袋を手で抱えた
久しぶりに立ち寄った商店街
O文具店は閉店していた
創業77年の貼り紙
「ここで買うのが習慣だった」と
言ってくださるお客様との出会いの
一つ一つが
私たちの大切な宝です
ここで買うのが習慣でしたよ……
わたしは
単語帳をここで
また
ずうっと買おうと思って
やってきたのだ
それは
アプリなどない言語の
気に入った言葉を
好きなときに
好きなように
自分で選んで書きつける
そんな特別な
単語帳をつくるためだ
紙袋に一杯になるまで
O文具店のシャッターに
ざらっと触れる
いったい
何年かかるか分からないのに
同伴者の励ましの声は
もう 聞こえてこない