紅月(やみ)に酔う 松本福広
・月下
お酒は飲めますか?
いえ、ちっとも。一口飲んだだけで顔が赤くなってしまいます。
そうですか。それは残念です。
飲めない私からすると美味しさが分からないんですよね。お酒。
そうですね。楽しみ方はそれぞれだとは思いますが……私の場合は酔うために飲んでいますね。
酔うため、ですか?
ええ。色々と忘れて……いい気持ちになるのです。
酔うと気持ちいいのですか?
ええ。とても。酔うだけなら酒なんて飲めなくても酔えますがね。
真っ暗な夜の中
真っ赤な月だけが二人の男の会話を聞いていた。
・そう快期
数々の難事件を
わずかな手がかりからトリックを暴き
自白にて事件を明らかにしてきたことを
三百以上ほど表彰された
名刑事がいた。
彼の名前は紅林麻雄といった。
もっとも
その誕生の経緯には
警察の手で解決したという
筋書きが必要だったという説がある。
・ほろ酔い期
酒以外にも酔えるとは?
色々ですよ。ありふれた表現ですが「自分に酔う」と言うでしょう。
あぁ。言いますね。
でしょう? 酒で酔う時も、自分に酔っている時も同じです。いい気持ちで、自分が大きく見えて、酔っていることに自覚はない。
なるほど。でも、私は人様に自慢できるほど大層な実績はありません。
酒はその点いいですよ。酔うのに実績なんて要りませんからね。
男は一旦言葉を切って、繰り返す。
酔うのに実績なんてものは要りません。
・酩酊
捏造、拷問、冤罪。
言葉に並べれば、簡単で
おぞましい言葉が並ぶ。
その言葉たちが紅林麻雄の実態だった。
その彼の精神は
部下にまで及び
負の歴史が確実に刻まれた。
・泥酔
例えば
どんな言いがかりでもいい。
その言い分が
何かを動かす。
自分の言葉の影響力。
それに酔う。
例えば
どんなくだらない言い分でもいい。
その言い分は
誰かしらには
正しいとされる。
自分は正しい側なのだ。
立場なんて
目に見えないもの。
正しいなんて
目には見えないもの。
気持ちよくなっている様子は
酔っているようなものだ。
そう……
実績なんていらないのだ。
・昏睡
紅林麻雄は二階級降格し
刑事の立場からおろされた。
やがて、依頼退職して
その年、脳出血に至る。
数々の人生を奪ってきた者の末路は
あっけないものだった。
・闇夜
充分に
充分に
その悪魔を生む種は
人の中に植え付けられている。
自分が追い詰められることで芽吹く。
誰かを追い詰めることで芽吹く。
大義、立場、快感という
栄養素を注いでやることで
花が咲く。
花が咲けば
美味しく酔える。
甘い
甘い
天獄の味。
その味は誰もが
獄楽と思えるもので
誰をも誘惑して
酔いへと沈めて行く。