9月 あ の日 松本福広
横浜市中区、港の見える丘公園
座る母親に、寄り添う幼子二人のブロンズ像
台座正面には「愛の母子像 あふれる愛を子らに」と刻字されている。
公園で鳩に餌を撒く。
童謡の「鳩」を軽く口ずさむ
ぽっぽっぽっ はとぽっぽ
豆が欲しいか そらやるぞ
その声は軽やかに戯けていた。
「あの日」も横浜の空は晴れていた。
今日の空を見上げると
青空に飛行機雲
一直線に伸びる真っ白な軌道
これは「あの日」に見られなかったものだ。
どんな言葉も
使う状況や場面によって
意味合いは変わる。
小さな子どもが楽しそうに歌うはとぽっぽ
微笑ましい……
……本来はそういうものだった……
1977年9月27日に遡さかのぼる。
理不尽は唐突に降る。
黒煙を纏って妖怪と呼ばれた
音の速さを超える理不尽が
悪夢を現実にする。
住宅街を火の海にすると
彼らは群がり
その証拠を隠そうとする。
人には手が出せなかった。
妖怪を取り締まれなんてしないから。
あああああああああ
悲鳴の雨
あああああああああ
苦痛が刻まれる
幼子二人を抱いた母親の
たすけてください!
響く
たすけてください!
あああああああああ
一面は あ の海で埋め尽くされるように
あああああああああ
妖怪は あ の海の中、悠々と助けられていく
あ の地獄から運ばれる。
パパ……
ママ……
パパ……
ママ……
幼子が、何度も繰り返す言葉
やがて……声は消える
一言
バイバイと残して
ぽっぽっぽっ
もう一人の幼子が覚えていた歌。
消えいるように
消えいるように
口ずさんで
ぽっ……と
消えた。
二人の幼子のことは
母親には伝えられなかった。
その後、母親は
痛々しい身体に
より痛めるような
治療を受ける。
それを耐えられたのは
きっと
幼子との再会の希望のため。
パパ ママ
ぽっぽっぽっ……
子どもの生きている姿
笑い声 歌声
この何度もの耐え難い苦痛を越えた
何度目かの新しい朝には
小さな手を握る明日を
小さな手が
やがて、大きくなる
明日がくるのだと信じていたのだろう
あああああああああ
焼けただれ
血まみれだった
母親の皮膚
新聞でその提供が呼びかけられた
その声に人々の願いが集った
生きて欲しい
けれども
子どもらのことを知らされた母親の
気持ちは筆舌に尽くし難いものだったに違いない
9月の あ の日
理不尽は
親子の未来を燃やした
明るい日差しと
秋風がどこかの公園に注がれる
それは
三人が
手を繋ぎたかった
近い未来……だった場所
あああああああああ
あああああああああ
あああああああああ
あああああああああ
ここまで読んでくださって
ありがとうございます。
どうか、この詩が
読まれた方の
理不尽に対する抗う力になれば
幸いです。
より良い人生を育んでください。
※補足
横浜米軍機墜落事件について描きました。
私がまだ生まれる前の事件ですが
早乙女勝元氏の「パパママバイバイ」は
強く心に残った絵本です。
補足をしたのは政治的意図などないのだと明言したかったからです。拙いながら気持ちを愚直にぶつけてみました。