MENU
1,649,738

スレッドNo.6182

2025年9月2日(火)~ 9月4日(木)ご投稿分 評と感想です (青島江里)

◎2025年9月2日(火)~ 9月4日(木)ご投稿分 評と感想です。


☆記憶の味  ゆづはさん

はじめてさんですね。今回は感想のみ書かせていただきますね。

食べ物を口にした感覚、味。今回は、今一瞬の味ではなく、記憶に残る味についてですね。作品は、個々、感じる味は違うということを絡めながら、最終地点では、ほっこりするような記憶の味を今一瞬の味を交えることに成功していて、非常に読後感の良い作品になっていると思いました。

あの頃の甘酸っぱさを
どこかに落としたままで
今はただ、熟れすぎた実となり
時が静かに流れ押し寄せる

上記の部分は、時の流れをトマトに重ねてうまく表現されていると思いました。また、今のトマトの味はこんなものだという冷めた意見を起点として、私らしい意見としてのトマトの味、そして記憶を、下記のように描いたところも詩的だと思いました。

薄れゆく味わいの中に
まだ残る 幽かな記憶の感覚を
私は見失いそうで──

また、フライパンに乗せて調理するところで「細胞壁」という言葉で過去と今を繋いだところも、DNAのようなものを感じさせてくれ、「記憶」という言葉にうまく繋げることができていると思いました。自然と、このトマトは過去からやってきたトマトのように感じられました。

何か一つ手をかけてあげれば、あの頃の記憶の味を引っ張り出してあげられるのかもしれないという「私」の優しさ、感性の細やかさが、フライパンから聞こえてくる、じゅうじゅうという音から、こちらの方へしみわたってくるような気持ちにさせてくれました。ということで、最終地点では、ほっこりとしてしまいました。とても読後感のよい作品でした。





☆エスプレッソ、或いは苦いだけの泥水〈ファンゴーゾ〉  上原有栖さん

コーヒーは大人の飲み物。幼い頃、大人から、まだあなたは子供で、眠れなくなったらだめだから、ミルクにしなさいと、よく言われたことを思い出してしまいました。コーヒーに憧れて、泥水でコーヒーごっこをしたことも(笑)

そうなんですよね。言われてみれば、初めてコーヒーを口にした時、想像している味とは全然違いました。無理矢理、「これが大人の味なんだ」と自分を納得させていたような記憶が。読み手さんの多くは、そういえばそんな記憶があるなと、頷かれる人も多数でてくるのではと、感じさせてくれました。題材としては、興味を引く、または、読み手が作品に入る窓口が大きく広がるものになっていると感じました。一連目、ちょっと皮肉ったところが面白かったです。

気になるのは、三連目から五連目にかけての「泥水」の連発かなぁ。せっかく「ファンゴーゾ」というあまり耳にしない響きを、補足付きで取り上げているので、「ファンゴーゾ」という言葉を使い続けて、補足で実は泥水だと明かす、或いは、泥水を何発も使うのを減らせるように、泥水のようだとわかる独自の表現方法を考えてみるのもいいかなと思いました。

最終地点の「あのさ、追加でパフェ頼んでもいいかな?」は、僕はやっぱり、コーヒーを好きになれませんということを、とてもわかりやすく強調させることができていて、読み手にクスリと笑いさえも誘ってくれました。今回は佳作一歩手前を。





☆9月 あ の日  松本福広さん

タイトル「9月 あ の日」。タイトル中の「あの日」の「あ」の間に空白が空いているのは、拝読してからわかりました。作者が作品の作品に込められた思いが詰まった空白が生み出したものでした。

横浜米軍機墜落事件、早乙女勝元氏の「パパママバイバイ」という、強く心に残った絵本について、政治的意図はなく、感じたことを描かれたということですね。しっかりと補足を拝見しました。

母と子のどこにでもあるおだやかで仲の良い風景。それは、一つのことがきっかけで、あっという間に奪われてしまうということが、ひしひしと伝わってきました。それが理不尽なことであったら・・・・・・。そう思うと胸中に黒い渦が轟轟と音を立てるようにまわり始めました。

詩の元手となっているのは、絵本であるということですが、作中のあらゆる箇所に恐ろしいほどの勢いを感じさせてくれました。「あ」の使い方も効いているのだと感じました。読書で出会った本に衝撃を受け、その気持ちを忘れずにいようとする気持ちを、何からの形で自身の生きる時間に刻んでおくという気持ちの表れを強く感じました。

作品の中で一番に印象に残った連はこちらです。

9月の あ の日
理不尽は
親子の未来を燃やした
明るい日差しと
秋風がどこかの公園に注がれる
それは
三人が
手を繋ぎたかった
近い未来……だった場所

「明るい日差し」は、まるで祈りのようでした。「秋風」は、計り知れない焼けつくような悲痛を振りほどいてくれるもの、年月が解き放ってくれようとする救いと安らぎのようなものを感じさせてくれました。

内容について詳しく伝わってくればくるほど、息のしづらい思いに駆られました。評価については、作者さんが政治的なもの意図されないものとしてのコメントを拝見し、私自身も色々と考えましたが、評価というものにとらわれない作品として広くはばたいていただきたいという願いし達し、今回は保留とさせていただくことにしました。しっかりと表現したいと思う、作者さんの筆量の大きさを感じさせてくれた作品でした。





☆自由の研究  荒木章太郎さん

夏休みは長いです。そのリズムに慣れすぎて、新学期に学校に行くということは、多くの子が、行きたくないなんて感じているのだと思ったりします。なんだかんだ言いながら、ほとんどの子が登校します。けれど、どうしても登校できなくなる子もいます。影で嫌なこと、ひどいことをされていたりすれば、行かなくてはいけないのに、体が動いてくれないでしょう。学校のクラスの中で一人ぼっちで、耐えなくてもいいことを、耐えなければならないって、本当に辛いことです。そんな時、逃げてもいいよって、ここから一緒に抜け出そうって言ってくれる人や場所があると、どんなにありがたいことか!そんなことを考えさせてくれる一連目でした。

友達でしょうか。親でしょうか。星を見ようと誘いだしてくれる人のおもいやりを感じさせてくれる作品です。誘い出してくれる人の気持ちを描いている二連目、この包み込むような思いですが、「権力」「平等」「重力」「浮力」という言葉、語り掛ける範囲を子供さん世代もいれようとするなら、少し固い感じがするので、個人的にはもう少し生活でよく使用するものを意識してもよいかなと思いました。例えば「権力→振りかざすゲンコツ」など。次の連の「ひとりの尊厳を守り」も同じような印象を受けました。「自分らしく生きることを奪われてなるものか」ぐらい、砕けた表現にしても良いと思いました。

最終連の夕暮れの存在の感じ方。私自身もある日を境に、夕暮れを明日へ続く時間だと感じることがありました。沈んでゆく太陽の中に、生きる力を感じさせてくれる表現になっていると思いました。今回は佳作半歩手前を。





☆蝉の鳴かない夏でした 喜太郎さん

線路の間に継ぎ目があるように、季節の間にも継ぎ目がありますね。そして、わずかながらも、継ぎ目の中には余韻というものがあったりもしますね。

今年は、とんでもない酷暑で、蚊さえもお見かけけしないほどの暑さでした。そしてまだ今も、真夏のような暑さが続いています。その継ぎ目にあたる部分。本来なら秋の虫の声など、静まる熱を感じさせてくれるもののはずなのに、足元のトンボの死骸で、それを感じるという驚き。その視点。通り過ぎずに詩として刻んでゆこうとするところ、その独自の視点。残酷なようにも思えるけれど、自然の厳しさ、温暖化についてなど、現在に生きる自然との接し方を、ふと、考えさせてくれました。

作品の中盤では、自らの日本の夏についての思いを切々とつづってくれていますね。最後の方では「らしくないんだよ」と、むきだしの叫びのような声まで届けてくれています。そうかと思えば、次の行ではトンボについて「まさか羽化したらこの暑さじゃ………」と「・・・」で「死」という言葉を伏せて、トンボの命を思いやるように思えるような表現の展開をしています。

自らの夏の思い(動)→トンボの命への思い(静)と、きて、最終連は問題提起を兼ねた大きな余韻を残してくれました。

10年後の僕は笑っているのかな
その時の僕の足元には何が落ちているのだろう

「足元に何が落ちているのだろう」という部分は、とても深い表現になっていると思います。自然に対する人類の課題や、未来への不安など、読み手によって、いくつもの分野のことを想像させる連になっていると思いました。佳作を。





☆恋文  Emaさん

はじめてさんですね。今回は感想のみでいかせていただきますね。

全体的にみて、言葉の使い方や選択の仕方にとても細やかな心使いを感じられる作品でした。夜の静かでゆっくりとした空気を感じさせるため、まるで予め統一するために用意されたかのような言葉の並びになっていると感じられるほどのこまやかさでした。

目がさえて眠れない→「暗闇に目が慣れて/羊たちにそっぽを向かれてしまった」
学生時代→「制服におさまっていた季節」
あの人をそっと思い出す→「あの人の名前にふれてみる」
遠い思い出がぼんやりと消える頃、夜明けがきて→「空の裾が琥珀色に滲んで/街が夢から醒めはじめたところで」

とてもやわらかさの感じる言葉の用い方の数々。やわらかさからくる、儚さ、輪郭のはっきりしないものの雰囲気を醸し出し続けることに成功していると思いました。

また、「あの人の名前だけは/私の深奥に永く留まりつづけて/ごく稀に/ 蛍のように しずかに 光る」の「長くではない永く」や「ごく稀にかけられた、蛍のようにしずかに光る」も、探せそうで探しにくい儚さや、つかめそうでつかめそうにないものを感じさせてくれるフレーズでした。

タイトルに「恋文」とあるように、恋心が描かれているのですが、特に「会いたいとは思わない/この空続きのどこかで/生きていてくれたらいい/いや、できれば幸せでいてほしい」という中での、特に「会いたいと思わない」というフレーズには、作中の主人公の切なさが感じられました。

ラストの「日常をはじめるために/頼りがいのない眠りにつく」は、やわらかさのなかにも、私が私を支えるんだというような健気な気持ちを読み手に感じさせてくれました。「眠れない夜」ではなくて、「眠らない夜にする」という気持ちも、夜の静けさに飲み込まれてしまいそうな不安を感じさせてくれるようなフレーズでした。子供の世界の恋とは違う、大人の心を感じさせてくれる作品になっていると思いました。

******************************************************

どこかの季節商品を扱う会社の記事で、最近は四季ではなく、五季を考えて商品を販売していかなければなどとおっしゃっていました。なんと、夏が二つあるのです。「初夏」「猛夏」というような感じだったかな?慣れないことで、調子くるって体調まで少しおかしくなったこの夏。やっぱり四季がいいですね。暑さよ、どうぞ、どうぞ、元通りに静まってください。

みなさま、暑い中、今日も一日お疲れさまでした。

編集・削除(未編集)

ロケットBBS

Page Top