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スレッドNo.6187

感想と評 9/5~9/8 ご投稿分 三浦志郎 9/15

1 aristotles200さん 「黙示録」 9/5

このかた、こういったものを書いてもらうと(やっぱり上手いな)と思ったりするわけです。
トラペトゥムを引くと「奴隷が回す謎の棒」とあり、何を何の為に回すか、は曖昧、謎、明かされません。続いてゴーレムは「自動で動く泥人形で、作った主人の命令のみ忠実に実行する」などとあります。前者は古代の絵画やイラストで見たような記憶はあります。このふたつの用語を頼りに前半を読んでみます。その道具のこと、、動かすゴーレムのこと、がなかなか具体的に書かれています。
それに安堵しながら読んで行きます。が、どこかヘンなんです。この装置の部分図も含めた全体像がちっとも見えてこないんです。
それもそのはず、作者さんは“全体像がわからないように書いている”と推測できるからです。ご本人もおそらくわからないでしょう。
なぜなら、この器具が冒頭書いたように、現実的にも「謎の棒」だからです。
逆に言えば、それでもこれだけ書けるのは作者さんの想像力と筆致力と言えるでしょう。
ゴーレムもその実態・意味づけが曖昧、多岐にわたるので、ここではこの詩の描写通りに謎の棒をひたすら回していると考えていいでしょう。そして作者さんはちゃんと結論を言っているのです。

「誰が何のために造ったのか/今や誰も知らない」

さて、後半です。これは全くのオリジナルな古代幻想詩と推測します。洞窟壁画はある種の預言書。満月が落ちて来る=地球の破滅。巨大な船、巨大な塔、巨大な満月が詩のトーンに非常にふさわしく盛り上げています。タイトル「黙示録」も意味としては、一人歩きしかねないほどに広範囲なものですが、ここでは破滅の暗示と捉えても差し支えないでしょうか。タイトル的にはこちらの方が色濃く投影されているように思いました。謎めいた感覚や幻想性もいいですね。佳作です。


2 こすもすさん 「追われる夢」 9/6

自分も含めてですが、人は目下の関心事・心配事が、よく夢にも出て来る、といった現象があると思うんですが、この詩はその事を言っていると思います。「夢の中で、追いかけられている」―この疾走感・切迫感・脅迫観念が実によく表されていると思います。一種の臨場感ですね。そして「焦り」という気づき。その連から「できることから始めよう」まで、この詩のメインを成しています。ここの構成が面白い。ショート連とロング連。その交差の妙味を感じます。しかもここで、左右対称的に自問と解答が成されているわけです。この詩を代表例として、こすもすさんの作品特色として―、

ある問題・課題を事象・背景に託して提示する→まず悩み逡巡し思考する→しかしながら、自分なりの解答を常に用意する→自問自答のニュアンスあり。しかしながら、それらがなかなか正鵠を射ており、コンパクトな詩サイズの中で自己完結する。

ある意味、心のスタイリングと思うわけです。 佳作を。

アフターアワーズ。
エッセイ風に。 ある小説で「随所に主となれ」という言葉を読んだことがあります。臨済禅の教えで「どんな場面でも、常に自己が客観的情勢の主人公であるべきだ。つまり自らの存在を意識し、主体的に生きること」―だそうです。この詩で言うと「焦り=自己がいない」「他人から=自己がいない」―そうならない為の、この詩であり、この禅の教えでありましょう。お互い、かくありたいものです。


3 温泉郷さん 「水鳥の鼓動」 9/6

これは、ある意味「場面詩」なんです。すなわち「酷暑・葉は萎れ・花が落ち・水草腐食・水面こげ茶」の中で一羽の水鳥が羽ばたいている。「そういった情景をたまたまランナーが見ていた。そういった詩です。」―と、そういう読み方で立ち去ることもできるのです。場面だけの詩としても秀逸なんです。とりわけ憂鬱な淀みの中にあって水鳥の生み出す水紋がとても映像的で読み手に爽やかに伝えてきます。でも、それだけじゃないでしょ?だいいち、それだけじゃ、この詩に対して失礼というもの。刻々、「負」に傾いてゆく何かを水鳥に象徴される何かが堰き止めようとしている。いや、もっと言うと「正」に向かわせようとしている。そこに「水鳥の鼓動」といった、少し奇妙だが印象的な隠喩が存在するのでしょう。そして「水紋の広がり」といった伝播もある。ランナーに隠喩された僕たち人間がどういった立場を取るのか?詩はそこに課題を投げかけています。
その意味で、この詩の終連こそ、最も詩的かつ重要なのです。佳作なのです。案外、この詩は今年の酷暑がきっかけで生まれたのかもしれない。


4 水井良由木さん 「投稿詩」 9/7 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

よろしくお願い致します。
作品は面白おかしい調子で書いて頂きましたが、作者・評者・選者にまつわる大変重要な事が読み取れたのです。
たとえば、此処の掲示板は僕はけっこう守備範囲は広いと感じていて、この詩の前半部分にまつわることを「作者と評者の相性」といった感覚で、このサイトは把握できると思っています。
ところで、この詩にも書かれている通り、詩を含めて芸術全般は二つの狭間で常に揺れていると思われます。
① 先方に合わせる……えてして先方は”売れセン“・わかりやすいもの・ポピュラーなものを求めてくる。芸術にも「営業」あり。
② 自分の詩(作品・主義)を貫く……世間にあまり迎合しない。自己の中の確固とした芸術性を発揮し守る。収入にはなりにくい。

上記、両者のバランス、TPOが重要。そんな気はします。
文中終わり近く「だって、それで食べて~」以降、最後まで、が折り合いのラインのような気もします。 わかってらっしゃる、そう思います。また、書いてみてください。


5 相野零次さん 「飛行機」 9/7

この詩の基調にあるものは、生き難い世間から来る自嘲、自虐の気分なんですが、何故、喩えに飛行機墜落事故が出て来るのか、ちょっと理解に苦しみます。表現の自由は当然ありますがー。
たとえば、この飛行機のくだり、実際に事故で大切な人を亡くされたかたが読んだら怒る気がしますねえ。40年前に日航123便墜落事故があって(知り合いはいませんでしたが)僕はいまだに心に残っており、これを読んで、あまりいい気分にはなりませんでしたね。まあ、それほど目くじら立てる必要もなく、別に非難というわけではありませんが、相野さんが、冒頭「ひどく疲れて」と書いたように、なんだか、僕もすごく疲れてしまいました。そんな感想です。そう、感想のみにしておきましょう。


6 晶子さん 「重ねる」 9/7

お久し振りでした。一年振りくらいでしょうか?その月日にちょっと驚きを感じています。
今回はそういった意味で、感想のみでお願い致します。
何かあったのでしょうね。そういった感触の作品ではあります。静かな悲しみを感じます。なるべく「実話か否か?プライベート・評価」には触れないようにしましょう。
初連の書きぶりは少し複雑かつアイロニーを含んだものであります。2連の結果の連を挟んで、初連と終連は呼び合うように書かれているように感じます。2連を読みます。「あなたの不在・非在」それを生別か死別か?を判断する資格も権利も僕は持ちません。代わりに、あるラブソングの歌詞を書いておきます。女性からの想いです。この詩を読んで想い出されたものであります。

あなたの声をそっと真似て
わたしの名まえ呟いたの
そんな風に呼ばれたのが
昨日のことみたいね


7 じじいじじいさん 「さち」 9/8

冒頭からセリフ、いいですね。印象的です。しかも最初から最も重要人物登場です。
先に指摘だけ、1点済ませときます。これは全部読んでから気づくのですが、2連目「バアバのちいさいときのしゃしんみたい」は削除すべきですね。これがあると、終わり近く、クライマックス的種明かしが活きてこない。それ以上に辻褄が合わなくなりそうです。2連目段階ではまだ知らない方がいい。代わりに「ほかのおともだちと どこかちがうみたい」とかなんとか、考えてみてください。
上記を条件に、これは佳作になります。幻想譚ながら、構成がしっかりし、場面の筆運びもいいですね。ストーリーも自然に流れます。識別上の「ホッペにきりきず」もよく考えられています。それ以上に、バアバの愛情を感じ、ほんわか、しみじみの雰囲気が素晴らしかったです。


8 静間安夫さん 「決断」 9/8

大変重い作品です。テロという危機的状況での、被害・加害両者の命の問題です。
三つのエピソードが語られます。

① ネオナチによるトルコ移民襲撃……これは事実です。ここでは日本と違い、半ば常態化した地域の人々の精神の在り処が語られます。
② 戯曲……この存在は事実でしょう。その内容はフィクションを通じての人命の課題を投げかけています。究極のことを書いてしまうと「救うべき人と犠牲になってしまう人」その数字の多寡のことです。極限状態での一瞬の判断として、これは容認されるでしょう。ただし、「テロ機は本当にスタジアムに突入し7万人が本当に犠牲になっただろうか?」という疑問は残るわけですが、それは誰にもわからないし取り上げても仕方ないことです。
③ 誘拐され無理やりテロ加害側にされた兄弟の結末……②とは状況も立場も違いますが、基調は同じ「少ない犠牲でいかに多くを救うか」です。ここで最も悲惨なのは、その犠牲になったのが「テロ側の自分達・アキフとセリム」ということです。もちろん姉のエメルも無事ではないでしょう。

僕は実話か否か、はあまりこだわりたくないのですが、③については、ちょっとこだわりたい。
というのは、③を含めて、全篇、詩というよりもルポルタージュあるいはノンフィクション文学の匂いを感じるからです。カテゴリー的に難しい部分がある作品です。カテゴリーといった概念には「便利・不便」「気にする・気にしない」などいろいろあり、けっこう厄介なしろものです。―この件、Aとして後述します。今回は「気にしない」を取り佳作とします。


アフターアワーズ。
本文中Aの件。結論から言います、上記した通り「これが詩であるかどうか」です。もしかすると、ノンフィクション文学かもしれません。ノンフィクションの問題を外しても別方面の課題も存在します。「この文体が詩であるかどうか」です。次に私事から入ります。
僕の出した本の全てが厳密な意味で詩とは言えないものなのです。去年もそういった作品をここに連載しました。早い話が、この作品と僕の傾向が似ているからです。(お互い、純粋な詩スタイルのほうが多いんですが)、似たような部分で心配になったりします。次に自分の経験をお話しします。 箇条書きで。

〇作品全量の約半分程は詩的スタイル(具体的には行分け)、+詩的情緒を加味する。
〇「ここぞ」というところ、ロマンを感じてもらいたいところ→詩の体裁。
〇ストーリーの都合上、話を動かすその推進力→小説の体裁。

これらは全くのテクニックです。下品な言葉で言うと、詩のアリバイ作りです。打算です。このように書かないと、いくら此処のサイトの度量が大きいとはいえ、排除も自然なことです。言葉は悪いですが、これ、意外と必要な気はしているんです。参考になれば良いのですが―。要は客観的他者が「これも詩の一種かもしれない」、それ以上に「なるほど、これは詩の新しい分野かもしれない」と思ってもらえれば、めっけもんなんですよ(笑)。そのあたりを目指してみてください。
もしも将来、こんな領域で悩むことがあれば、ここのオーナー兼主幹の島 秀生氏に相談してみるのも良いかもしれません。
島さん、その節は畏れ入りますが、何卒よろしくお願い申し上げます。



評のおわりに。

「ある俳優」

今年の夏、「雪風」という映画を観た。戦争映画で、戦時中を最後ま
で生き抜いた軍艦と人々の物語である。この映画の評価は当初から賛
否両論あった。残念ながら私自身もあまり評価できなかった。しかし、
ここで批判を並べる事はけっして好ましい文章にはならないだろうか
ら、一切書かない。代わりに印象深かった事をひとつだけ書こうと思
う。俳優・中井貴一のことである。彼は劇中、大和特攻作戦司令長官
の伊藤整一中将を演じて、出番は少ないが存在感を示した。ちなみに、
中井は私より6歳若い。大学在学中の1981年にスカウトされ、やはり
戦争映画の「連合艦隊」で特攻隊員役で俳優デビューした。当時「連
合艦隊」での伊藤中将役は鶴田浩二だった。今回、同じ伊藤中将役を、
中井が演じたわけだ。実力と年齢がその役どころに至ったということ
になる。そこに彼の順調で幸福な歳月を感じた。硬軟どちらも演じら
れる人材である。

*      *          *         *         

では、また。      

編集・削除(編集済: 2025年09月15日 12:42)

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