歴詩篇「水の如し」 三浦志郎 9/19
如水は―
やや冷遇されていた
太閤秀吉は言った
「あやつに大禄を与えれば わしの天下を奪いおるわ!」
彼にとって
小禄はむしろ誇り
彼にはー
同僚にして政敵がいた
(“きゃつ”の肉を喰らい千切りたい!)
―とまで思っていた
政敵は義の
如水は利の
世界に生きている
政敵は
持ち前の義を鳴らし
明らかに次の天下を狙う家康相手に
この国全土で戦に訴えた
如水はこれを好機と捉え九州で
第三勢力を成し あくまで
利を求めた
(頃はよし あわよくば天下を……)
*
歴史は時に一日で結着する
如水の憎んだ男はもうこの世にはいない
義戦を起こすも敗れ斬首
すでに亡き者を
今も憎むほど
彼 そこまで人非人ではない
家康 覇権握る
同時に如水の天下夢想も消え
世は平静
ある日の茶飲み話に
かつての政敵の本質を語った
「あの男は亡き太閤に何よりの馳走をしたよ
それがあの男の成功 それが義というもの
志とはそういうことさ」
水のように語った
相手は政敵の
密かな愛妾
今は尼姿
*
義といい
利という
どちらが
気高かったか
どちらに
人は走ったか
彼は観てきた
義に
叫びたいほど憧れながらも
利に
黒くまみれて生きて来た
そんな経緯から
彼は政敵を
心の何処かで
迎え入れたのかもしれなかった
*
黒田如水
壮気の頃はけっして水のようではなかった
悪党だったかもしれない
客気(かっき)に満ち
謀(はかりごと)にも溺れた
が
すでに そんな事どもには
達観した歳になっている
どれもみな
一期(いちご)の佳き想い出
今は版図を嫡男に託し
村人と共に酒を酌み交わし
童女と共に手毬唄を唄う
気ままに過ごし
静かな終わりを迎えるだろう
今はその本懐
「水の如し」
黒田如水……豊臣期、筑前国(現・福岡県)の大名。
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参考文献 司馬遼太郎作 「関ケ原」 フィナーレのくだり。
九月十五日(旧暦)に関ケ原の戦いがあった。