髪の毛 トキ・ケッコウ
奥さんと別れたことがある友人から聞いた話だ
彼は冷蔵庫に別れた奥さんの髪の毛を一本
ラップに包んでしまっておいた
そのまま長いこと放置して
再婚が決まり次の奥さんが越して来るときに思い出した
すぐに捨てようとした
でもゴミ箱に入れる間際
気になってラップを開封して鼻を近づけた
そのとき子供の肌のような匂いがしたというのだ
冷蔵庫なんかに入れるからだ
そう思ったが
もしかして彼の未練が熟成したのかもしれないな
ならばいまの奥さんの預かり知らないことでよかったなと思った
これで話はおしまいだった‥‥はずだがこの続きがいま気にかかっている
もし私が奥さんの髪の毛を拾ったとして
冷蔵庫に入れたり匂いを嗅いだりするだろうか
する訳もなくただゴミ箱に放るだろう
実際に普段からそうしているし
でもそうやって捨てたあと
なにかのためらいが残ったりはしないかと
実は‥‥拾ったばかりの奥さんの髪の毛を
私もラップで包んでみたのだ
そして冷蔵庫のどこか目立たない場所に入れたらどうなるか
そう思っただけで扉にかけた手が止まったことが
まだ大丈夫ということなのだなと安心したようで
ただどうも気持ちの座りどころが悪くて
まるで不穏なものを捕まえるというあのインディアンの蜘蛛の巣のように
その一本の髪の毛が
どこかの夜に勝手に網目を広げたりはしないかと
ラップから取り出し
ただの一本の髪の毛に戻して
これからゴミ箱の一番底に捨てようと思うのだ