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スレッドNo.6247

感想と評 9/19~9/22 ご投稿分 三浦志郎 9/28

1 晶子さん 「嘘つきキツツキ」 9/19

(久し振りなんで不確かだけど、こんな作風は珍しいんじゃないかな?)―そんな風に思ってます。
奇譚と言っていい。とにかく、全てが奇想天外です。ただし、ひとつの場面に限定し、そこに向けて全ての出来事、セリフが機能しています。これは良い傾向と思います。「古今和歌集 仮名序」は全く奇妙な参入で、意図がわかりませんでした。ただし、話の転換点にはなっているようです。それ以降の会話部分では少し心が和みますが、やがて声がしなくなります。おそらく死んだのでしょう。終連は亡くなったことを、裏側から述べているように解釈しました。そう思うと、これはとても悲しい作品とも言えそうです。こういう作品は着地というか結末の付け方が難しいのですが、中規模サイズの中で、なかなかの結末具合を見せています。
タイトルについて。韻を踏み、語呂がいい。名詞としてもユニークでした。ただ、タイトル考えずに思い通りに書いてみて、最後に後付けした印象は感じました。違ってたらごめんなさい。いえ、たとえそうだとしても、全然問題ないですね。この発想力に佳作を。

アフターアワーズ。
全くカンケーないのを覚悟で、これを読んでイメージした事件を書きます。
〇 少し以前に起きた埼玉での悲惨な事故。
〇 日航123便墜落事故の生存者証言 「あたりで人の声がしてたけど、やがてしなくなった……」


2 上原有栖さん 「フォレスト」 9/19

こちらも奇譚。「黒髪の女~森~魔女」と「親子の奇妙な関係」。このように二元的立体的に物語は進みます。語り手は「僕」。その語り手の件で指摘があるので、そちらを先に。終わり近く「その音はまるで僕のことを~」で語り手としての「僕」はここまでで、「そのままふたりは~」以降、一般的ナレーターに替わっています。ここははっきり区別したほうがいいです。つまり最後の「******」を、この間に設けて、最後は「******」失くして、詰めるだけでいいでしょう。単に表記上のことです。さて、内容のほうです。ちょっとポイントになりそうなのは、お母さんの態度の急変です。特に黒髪の女と「僕」が会ったと聞いた時です。
なにか「森~魔女」との関りを匂わせています。
そもそも最初からお母さんの振る舞いは奇妙ですよね。案外、森の魔女はお母さんかもしれない。そんな雰囲気もある本作です。
せっかく語ってくれた「僕」も最後は姿を消してしまう。お父さんもいなくなったように―。最後を一般的ナレーションに託したのは、結末として、案外正解だったかもしれない。甘め佳作を。

アフターアワーズ。
若い頃に評者がハマったホラー作家にジョン・ソールという人がいたのですが、これを読んでそんなイメージを持ちました。


3 aristotles200さん 「禁忌」 9/19

こちらも(一種の)奇譚。 勾玉について調べたのですが、ここにある禁忌や祟り、呪いのような要件はまず出て来ませんでした。
本作は非常に主観的なもので、主観的であるがゆえに詩であるとさえ言えるのですが。こういった文脈に沿うものとして、僕は特に「ご先祖は」以降注目したいです。つまり前半はそこに至るまでの序曲だという気がしてます。まさにここは呪いの世界。遺恨の象徴としての勾玉ならば、本来の意義付けを離れ、復讐のシンボルと化すでしょうね。この詩が何処まで実話で、どこからがフィクションかはわかりません。それは措きましょう。ただ、鎌倉時代は血で血を洗うような抗争史でもあるので、この詩の流れは充分考えられることです。終わりに近づくにつれ、鬼気迫るものがあります。「父の死とともに/やむを得ず」「私の連なりだ」。このあたりに事実としての凄みがありそうです。佳作です。

アフターアワーズ。
余談
鎌倉幕府終焉の地で北条高時の墓に行った事がありましたが、その卒塔婆に高倉健の名があり驚いたのですが、
調べると、俳優、故・高倉健はー傍流ながらー鎌倉北条氏の末裔であるのは確実でありました。


4 温泉郷さん 「蚊刺され坂」 9/21

こちらも奇譚といえば奇譚。不思議な詩です。たとえば、ご夫婦で、同じ場所で、同じような状態で、同じように蚊に刺された。
そんな体験を、恐ろしくイマジネーションを働かせて作った、とか?
面白いのは、人も蚊も、相見互い、お互いさま、の部分がけっこうあって、それを面白がっているフシがある点ですね。ただ、蚊のほうがメリットはありそうです。今年は暑すぎてか、来なかったようです。「今年」という事は、以前から、この場所は認知されていた?もっと不思議なのは、そのことをご夫婦はどこか憂鬱に思っているらしいのです。うーん、モチーフというか、設定に少し無理がありそうな? 佳作一歩前で。

アフターアワーズ。
そういえば、今は昔ほど、蚊に刺されなくなったような―?体質や免疫力の変化のようです。


5 相野零次さん 「疑問」 9/21

前回は相野さんにとって気の毒な評になりましたが、今回は大丈夫。
いつも通りの想像性の各種飛び交いはあり、それは相野さんの持ち味ですが、前回と比べ、今回は軌道修正され、総体的感触として”正常巡航“されている、そんな出来栄えを感じています。
「ガラス」「サイダー」など小物の使い方にクリスタルな雰囲気が味わえます。
「~とは何か?」。そんな疑問を抱え、人は考え答えようとする。当然答えはひとつじゃないし、容易に答えられない、そうやって人は人生を意志的に浪費してゆく。そういった方面において、この詩は明確です。「疑問=生きること」。これがメッセージになっています。佳作です。


6 静間安夫さん 「内水氾濫」 9/22

タイトルの「内水氾濫」は主に都市部の災害として注目されています。排水能力を越えた降雨が原因で、文中ある通り、マンホールの吹き飛びが典型としてニュースなどにも取り上げられますね。
この作品の面白い点は、この憂うべき現象を昨今の人々の心のありよう、結果としての悲惨な事件になぞらえてることです。なるほど、マンホールの蓋と人間の心の蓋、都市機能を越えた降雨と人々を襲う心への圧力は、驚くほど似ているのに気づかされます。ここまでは両者の持つ「負の部分」。しかし、この詩はそれだけでは終わらない。ちゃんと「正の部分」も示唆しているわけです。
それが「調節池」の存在。僕もこれを実際に見たことがあります。これに象徴される心の容量のこと、そして、個々の心の連帯のこと、が説かれています。その象徴事例が富士五湖のうちの三湖のことです。これは驚き!調べると「ほぼ同じ」と出て来ます。透水性の高い溶岩で隔てられているからで、地下では同じ水脈を持ってるそうです。 詩の論旨としては非常に説得力のあるものです。
強いて言うならば、表記上のことですね。読み終えて感じるのは「心→主、内水→従」なのですが、少なくとも、前半は「内水→主」の筆の勢いなんです。この表記上の「主~主」現象は、詩においては、かえってバランスがよくない気はするんですよね。静間さんの場合、ごくまれに、こういった現象が出る場合があります。急ぐ話ではありませんが、頭の隅にでも置いといてみてください。
佳作一歩前で。


7 光山登さん 「麦茶と偉人」 9/22 初めてのかたなので、今回は感想のみ書かせて頂きます。

メイン対象となるのは「偉人」で統一感はあるのですが、場面がその都度、変わり、目移りします。どこに焦点を集めればよいのか、戸惑う感じです。
この「偉人」とはなんとなく大谷翔平を感じたのですが、違ってたらごめんなさい。
前作も拝読致しました。今作とずいぶん作風が違います。前者はダークネスの中にも、何か推進的な意志があります。後者はフィーリング一発で赴くままに書いた気軽さを感じます。これも「奇譚」の連なりかもしれない。正直に言うと、詩的完成度・詩的純度から言うと、明らかに前者が上なんです。じゃあ、後者は何か?あるいは、詩的レンジの広さを思うべきかもしれない。このあたり、まだ未知数なんです。従って、「また書いてみてください」ということです。



評のおわりに。   

今回は都市伝説的な趣向の物が多く、それ以外の作品でもそういった要素があり、それぞれに個性があって大変興味深く拝読致しました。 「奇譚」という言葉を連発させて頂きました。ありがとうございました。 では、また。

編集・削除(編集済: 2025年09月28日 19:21)

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