感想と評 9/23~25ご投稿分 水無川 渉
お待たせいたしました。9/23~25ご投稿分の感想と評です。コメントで提示している解釈やアドバイスはあくまでも私の個人的意見ですので、作者の意図とは食い違っていることがあるかもしれません。参考程度に受け止めていただけたらと思います。
なお私は詩を読む時には作品中の一人称(語り手)と作者ご本人とは区別して、たとえ作者の実体験に基づいた詩であっても、あくまでも独立した文学作品として読んでいますので、作品中の語り手については、「私」のように鉤括弧を付けて表記しています。
●喜太郎さん「悲しみの向こう側」
喜太郎さん、こんにちは。悲しみに打ちひしがれ、出口の見えないトンネルに入ってしまったような体験は誰しもあるのだと思いますが、この作品ではそれが川の流れにたとえられています。向こう岸に渡りたいと願うけれども、眼の前の流れを見ると渡り切れるとはとても思えない……。そんな絶望的な思いに駆られてしまうというのもよく分かります。
悲しみをどう乗り越えるのか、そこにはマニュアルのような決まった方法はないと思われます。けれども、この作品では二つのことが語られているように思いました。一つは時の流れ、もう一つは本人の主体的な意志です。おそらくこのどちらが欠けても「僕」は向こう岸にたどり着くことはなかったのでしょう。これが唯一の正解ということではないのかもしれませんが、少なくとも「僕」にとっては、それが真実なのでしょうし、多くの人の共感を呼ぶ詩だと思います。
一点だけ気になったのは最終連下から2行目「僕は渡りきった」です。ここがなぜ過去形になっているのか分かりません。全体的な詩の流れから言っても、最終連の内容から言っても、この時点では「僕」はまだ向こう岸にたどり着いていないように思えるのです。また詩の終わり方としても、希望を持って向こう岸を目指している途中で終わる方が良いように思いました。ご一考いただければと思います。評価は佳作半歩前となります。
●トキ・ケッコウさん「髪の毛」
トキさん、こんにちは。別れたパートナーの髪の毛を保存しておくというのは艶めかしくも切ない行為ですね。戦時中に特攻隊員などが遺髪や爪を家族に送ったという話も聞きますが、故人やもう会えない人の一部を手元に置いておきたいというのは普遍的な願いなのかも知れません。
この作品の前半では友人から聞いた話が語られ、後半では「私」が同じことをするかしまいか逡巡する構成になっているのが面白いですね。結局「私」もパートナーの髪の毛をラップに包むのですが、冷蔵庫に入れるまではしない。けれどもその過程で髪の毛に対する妄想がどんどん膨らんでいくのが読んでいて引き込まれました。一本の髪の毛が夜になるとアメリカ原住民のドリームキャッチャーのように広がるという不気味なイメージが強烈でした。最終行も「これからゴミ箱の一番底に捨てようと思うのだ」と「私」の強い決意が語られながら、実際に捨てることができたのかどうか、語られないまま終わる終わり方が不穏な余韻を残していて素晴らしいと思いました。「友人」と「私」それぞれの「奥さん」本人が最後まで登場しないというのも何となく不気味です。
幻想的な雰囲気の、読み応えのある作品をありがとうございました。評価は佳作です。
●aristotles200さん「夢」
aristotles200さん、こんにちは。この作品はaristotles200さんらしく、哲学的な思索がベースになった不思議な詩ですね。私は読んでいて「胡蝶の夢」という話を思い起こしました。古代中国の思想家荘子が蝶になった夢を見て、自分が蝶になった夢を見ているのか、それとも蝶が人間になった夢を見ているのか分からなくなったという話ですが、夢の中では現実を生きているように思いつつ、でも同時にこれは夢ではないかと疑っている自分もいる、不思議な感覚になりますね。
この作品ではそれが極限まで複雑に展開されていって、夢を見ている主体が無数に増殖していくところで終わります。私も読みながら頭がくらくらしてきました。この詩を読んでいる自分も、そういう夢を見ているだけなのではないか……そんな不思議な気持ちになりました。
T・S・エリオットは「思想をバラのように嗅ぐ」と言いましたが、aristotles200さんの作品も抽象的な思索を肌感覚で感じさせる魅力を持っていると思います。今後もこの方向性の詩をもっと読みたいと思わされました。評価は佳作です。
●月乃にこさん「Losing Yellow and Gaining Yellow」
月乃さん、こんにちは。初めての方ですので、感想を書かせていただきます。
この作品には写真も添えられていますね。おそらくご自分で撮られたものでしょうが、実際に去年の写真を見てインスパイアされた詩なのかもしれませんね。植物の葉が黄色くなる9月の風景を描いた詩かと思いきや、その黄色の前には8月の黄色いひまわりがあった。一つの黄色が終わり、もう一つの黄色が始まる、そこに作者の感動があったのだと思いますし、それがタイトルにも現れているのでしょう。
細かく語り手の心情が描かれていくわけではありませんが、自然の移り変わりの中で浮かんできた一つの感慨をスナップショットのように切り取った作品かと思いました。個人的にはエズラ・パウンドの短詩に似た味わいを感じました。また書いてみてください。
●荒木章太郎さん「カッコウの餌食だ」
荒木さん、こんにちは。この作品はまずタイトルからして諧謔味に満ちていますね。本文でも鳥の「カッコウ」と「格好」、「いと惜しい」と「愛おしい」などの言葉遊びが多用されていますが、そのような表面的な軽さとは裏腹に、内容はシリアスです。このギャップはとても効果的で良いと思いました。
この詩では托卵というカッコウの習性が一つのモチーフになっていますが、カッコウに自分の「子」(=記憶や夢)を奪われ、見知らぬ他者の「子」を育てさせられている「俺」の悲しみや悔しさが歌われていきます。これは現代社会で主体的に自分らしく生きることの難しさ、他者に容易に搾取されコントロールされてしまう悲しみを描いているのかと思いました。
けれども詩の後半は、求めることをやめて与え、捧げることに力を注ぐようになって、逆説的に自己が満たされ、他者の餌食になることを免れるという境地が開かれていきます。これは本当にそうなのかもしれないですね。
深いメッセージ性とユニークな表現を兼ね備えた良い作品だと思いました。評価は佳作です。
●温泉郷さん「青の孤独」
温泉郷さん、改めまして免許皆伝おめでとうございます。この作品はまず設定からしてユニークです。最初は何のことを書いているのかよく分からなかったのですが、読み進めていくうちにようやくこれは虹のことを描いているのだと分かりました。虹の弧を7つのレーンからなる半周だけの陸上競技のトラックにたとえ、そこを7色の選手たちが走っていくというイメージはとても楽しいですね。ユーモラスでほのぼのとした描写からしんみりとした結末まで導いていく構成も良いと思いました。
一般に虹の七色は赤、橙、黄、緑、青、藍、紫とされますが、各色がそれぞれの色を持つ野菜や果物で表現されている中で、青だけが異色です。この第五走者だけが人工物(青色ダイオード)であり、「エース」や「シリウスの水滴」と呼ばれるように強い輝きを放ちますが、他の6色とはなじまない様子が描かれていきます。
全体としてこれは雨上がりの空にかかった虹がやがて夕空の中に消えていく様子を描いていると思われますが、なぜ青だけ異質なものとして描かれているのか、いろいろ考えましたが結局は分かりませんでした。実際青い花はありますが、青い野菜や果物は思いつきません。虹は人間社会における多様性のシンボルとしても使われますが、多様化していく社会における孤独を表そうとしたのか、とも思いました。様々な解釈の可能性に開かれているという意味においても、味わい深い詩であると思います。
私が温泉郷さんの評を担当させていただく最後の作品となりましたが、締めくくりにふさわしい、読み応えのある詩をありがとうございました。評価は佳作です。
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以上、6篇でした。今回も素敵な詩との出会いを感謝します。