やどかり 上原有栖
潮が引いて現れた
凸凹の窪みに波音が打ち震えて
塩辛いプールに取り残されてる
小さな生き物の気配
そっと陰に隠れたのは やどかり
母なる海は遠く沖の向こうまで
ポセイドンに呼ばれて行ってしまったよ
きみたちを置いて 潮に流れて押し流されて
だから暫くここに居ようよ
そう言って
短い足を君たちの住む世界に浸した
岩礁の奇岩城 作ったのは幻実のクラーケン
怪物が遺した伝説刻まれた
今となっては何も語らぬ溝を
鮮やかな巻貝の殻背負って
ゆっくりと進むのは やどかり
太陽はまだ高いところに在るのに
波に揺れる水面には
ぼくの影が上手く映らない
存在が希薄になって
目の前で動く小さな生き物より
矮小で恥ずべき錯覚を覚えた
潮の匂いが満ちる岩場には
誰もいない
父も 母も 弟も 友達も
今日はひとりで海に来たから
少しずつ優しい海が戻ってきた
さっき二枚貝の破片で切ってしまったのか
ふやけた足先がジクジク痛む
視線の先にはまた別の やどかり
背負った貝殻がちょいと大き過ぎやしないか
欲張り屋なのは誰かと一緒だね
ぼくは今日
どうして 海にひとりで来たの
どうして 誰も呼びに来ないの
どうして 家に帰りたくないの
ぼくはもう少しだけ
ごつごつした岩場に腰掛けて
太陽が傾いていくのをやどかりたちと
一緒に眺めることにした