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スレッドNo.6363

ほっぺたおちたら、みどりになる。〜星野富弘に寄せて〜  松本福広

群馬県榛名町……今は高崎市と合併している。そこに私の実家はある。
私が母の遺品を一人で整理していると、母が書いていたスケッチブックが出てきた。どのページも水彩画に、詩が添えられていた。一篇の詩画に目が止まった。赤ん坊の水彩画が描かれていた。

あたらしい ゆき
あたらしい あなた
あたらしいものは
いつも やわらかい
あなたの ほっぺたは
とっても やわらかい

との詩だった。

榛名山(※)の新雪はパウダースノー。軽くサラサラだ。踏み固められない新雪にやわらかいと感じて、そこに赤子の頬と結びつけたのだろう。
ただ、赤子の頬といえば血色がよく、あたたかなイメージもある。なぜ、雪と頬を結びつけたのだろう?
その時の私には分からなかった。その疑問は父のの話によって氷解する。

私は一人っ子として育てられてきたが、私を産む前に四人子どもを亡くしていることを話してくれた。
天から授かる度に、すぐに亡くなる子どもと
天から降り手にとれば溶けてしまう初雪が重なる。当時の母の心境ははかり知れない。
母のスケッチブックは白紙のページが残っている。
残された白紙の寂しさを埋めるように、自分の気持ちを整理するように続きのページに足してみた。
母が遺した水彩画の道具を使い、雪うさぎを描く。

なにがほしい?
きみに きいたら
とけない ゆき
きみが つくった ゆきうさぎ が
ないている

出来は分からない。それでも、数少ない母との繋がりに感じられた。他にも印象に残った遺品の中がある。小説や雑誌のバックナンバーの中に、一冊だけ詩画集があった。星野富弘氏のものだった。影響を受けた私も、ようやく県内にある星野富弘美術館を訪ねた。
印象に残ったのは母親と二人三脚で詩画を描いていたというエピソードと、そんな母親に対する愛と感謝に溢れたやさしい言葉の作品たちだった。
私は母と折り合いが悪かったので些細なことで口ゲンカをしていた。お互いに意地っ張りなのだ。語れるエピソードは持ち合わせていないからこそ、より印象に残ったのかもしれない。白紙のページを埋めるのは、親不孝だった私が出来る二人三脚。
母のほっぺたの詩画の隣に並べるなら、きっとこういう詩かもしれない。脳裏にT字剃刀の絵を思い浮かべる。

母が私の頬を見て
「ひげなんて生やして」と言う。
ひげ剃りはしてきたのにな
やせ細った母の頬
かたくなった私の頬
遠い面影は
雪にうつせば濃くうつる
あの榛名山が雪で染まるまで
どのくらいだろう。

そんな詩画を想像しながら、榛名湖の奥にある榛名富士を望む。まだ青々とした山並みが眩しい。火山活動で生まれた山々に緑が覆い尽くされるのにどれだけの年月がかかるのか?
それだけの時間があったとして有効に使えるだろうか?
時間……母のなぞなぞが唐突に思い出される。
「雪が溶けたら何になるでしょう?」
私に比べて詩が好きだった母なら春になると答えるかもしれない。当時の私は水と答えた。ただ、今なら少し言葉を付け足す。

雪が溶けて水になる
水は命を育む
あなたと同じだ。
あなたは
芽を守り
緑をいつくしむように
時間をかけて育む。

その詩に一枚、緑の葉を書いて
また一ページ埋めていく。

※榛名山
榛名山(はるなさん)は、関東地方の北部の群馬県にある上毛三山の一つ。榛名山はひとつの山ではなく、榛名富士、掃部ヶ岳、烏帽子ヶ岳などをはじめとする複数の山の総称。榛名湖はその山々に囲まれている。中でも榛名富士は名前の通り富士山に似た形をしていて、四季折々表情を変え行楽地として人気がある。

https://yamap.com/magazine/18563 より転載

編集・削除(編集済: 2025年10月18日 03:53)

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