agape 上原有栖
行きては返る波の随に
揺蕩う人魚は終わらぬ愛を夢想した
水面に波打ちうねる黒髪は
神話のメデューサを彷彿とさせる
見つめられると石になってしまう
そんな虚ろな噂に尾ひれがついて
美しい涙を流した過去は
胸元の宝石だけが知っている
彼女の歌を譜面に起こして
一世を風靡した作曲家は
明けの明星が輝く海で
彼女と二人だけの契りを交わし
永遠の愛を誓い合った
長い日々が過ぎ男の命尽きるとき
彼が祈った一つの願いごとは
「死しても共に過ごしたい」
人魚は小さな木舟を用意して
永い眠りについた男を載せると
霧立つ沖へ共に去っていったという
二人の出会いが昔の物語になっても
行きては返る
波の泡(あぶく)が弾けるとき
彼女の歌は静かに響く
それは哀しく優しい鎮魂歌
(補足)
 ・agape:アガペー。ギリシャ語。
無償の愛、不朽の愛、自己犠牲の愛。
・古代ギリシャ語の4つの愛、エロース(性愛)フィリアー(隣人愛)アガペー(不朽の愛)ストルゲー(家族愛)のうちのひとつ。