評、10/10~10/13、ご投稿分、その2。 島 秀生
MLBポストシーズンを見ていて学んだことがあります。
・レッズとレッドソックスは別のチーム
・ブリュワーズとブルージェイズも別のチーム
・ブルーソックスというチームはない
・靴下をはいていない男はいる
・Los Angeles にも天使はいる
(どこまでがマジメなのやら……)
連ドラ『ばけばけ』のヘブン(小泉八雲)役の、トミー・バストウさんが言うには、
撮影が終わったあとに、スタッフ含めみんなが「お疲れ様」と言い合う、この「お疲れ様」に当たる言葉が英語にはないと言う。
英語で近いのは「good job」だけど、「good job」はちょっと上から目線になるんだそうな。皆が対等に、互いの仕事をたたえ合う、「お疲れ様」という言葉は、英語にはないと言う。
日常使うなにげない日本語を、誇らしく思えたエピソードでした。
●トキ・ケッコウさん「訪問」  
トキ・ケッコウさんは、結構書ける人だなと、実は横目で見てたんですけど、この作品を見ると、やっぱり本物だなとわかりますね。
過度に多忙を極める時や、悩みが一度に複数襲ってくる時などに、心に鬱が入ってくる人は少なくありません。大事なことは、自分に鬱が入ってきてる時に、あ、いまオレ鬱が入ってきてるなと、自分で気づけることなんです。そういう、自分を客観視できる眼が自分にブレーキを踏めるのですけど。
この詩はいわばその自分への客観視の延長で、鬱に行く自分を、自分の分身として描いてみせています。本質のところで鬱に向かって行きがちな自分を、もう一人のちょっと冷静な自分が、なだめすかそうとしている構図で描かれている感です。
ただ、妙に明るすぎるふるまいをする自分も、本当の自分でないと思うところもあり、両者のバランスを取るのが難しいですよね。
この物語は、物語風でありながら、表裏一体の裏側で、自分との対話をずっと続けているかのようです。
深いし、且つおもしろいですよね。文体も1行1行丁寧に追えていて、いいと思います。
この作は、トキ・ケッコウさんの現時点におけるベストパフォーマンスじゃないですか。
名作あげましょう。
●相野零次さん「ロスト」  
最初は寂寥感として登場する「ロスト」ですが、
ロストがしだいに膨張していくのに従い、恐怖と焦燥に変わっていくかのような加速感が詩にあります。そこがこの詩のいいところですね。
世界からすべてがロストしそうな中、ぎりぎり間に合った主人公は、神の啓示を受け、自分のやるべきことに気づきます。
ロスト前の世界の記憶を書き残すこと。それはこの物語上のことにも見えるし、今現実の作者の使命感でもあるような気がします。
相変わらずの荒削りさはあるんだけどね、いい詩でした。一歩前に進んだ。
(一歩前に進んだので、ちょっとハードル上げて)おまけの名作あげましょう。
ちょっと一点。後ろから2行目。
「成る丈」(なるたけ)に由来する「なるだけ」という言い方も×ではなく、あるのはあるんですけどね。ここは「自分のできうる限りの克明さで記録した。」くらいの言い方の方が標準語的でいいと思います。
●上原有栖さん「やどかり」  
私、この詩、4連がとても好きですね。たしかに波には自分の影がちゃんと映らない。そう言われてみればそうだという発見と、そのことに関わる心の描写がとてもいい。
また、2連の1~2行目の言い方も、すごくオシャレでステキでした。
ラスト3連も、この詩の主人公が少年だという設定に立てば、足をケガしても、ひとりぼっちで海から帰ろうとしない様が、少年の寂しさや孤独感の情景を、よく表現できていていいと思う。
ただ、5連以降に来るまで、少年と思わなかった、というか、「少年」と設定しなくても読めてしまうので、後半になって極端に少年化したな、の感はあります。
うむ、でも情景を丁寧に書いてくれてるのは好感。名作あげましょう。
あと、もうちょっとだけ気になる点をいうと、
2連の3行目「潮に流れて押し流されて」は強いていえば、「潮に流れて押し戻されて」かな、と思うけれど、
この詩、初連で場の状況を、すでにしっかり書いてくれているので、2連3行目自体が繰り返しに過ぎない。リズム的に入れたいのかな?と思うだけで、ホントはない方がすっきりします。流れを見てもらうのに、初連から行きます。
潮が引いて現れた
凸凹の窪みに波音が打ち震えて
塩辛いプールに取り残されている
小さな生き物の気配
そっと陰に隠れたのは やどかり
母なる海は遠く沖の向こうまで
ポセイドンに呼ばれて行ってしまったよ
だから暫くここに居ようよ
そう言って
ぼくは足を君たちの住む世界に浸した
初連でもう場を完全に言っちゃってるので、2連は次の展開に行って、いいと思うのです。私は2連3行目は、いらない案です。
それと「短い足」は、自身を謙遜しての言葉、あるいは少年を意識しての言葉だと思うけど、自虐ジョークはいらない場面だと思うことと、ここ、他の生物も出てくるので、「短い足」がまた別の生物がいるかに想起させるので、その言い方は、ここではやめた方がいいです。
あと、3連1行目なんですが、
ここ、主語の切り替わりがあるので、新たな主語を置いているという意味で、「岩礁の奇岩城」は単独で置いてほうが私はいいと思います。
それにしてもこの奇岩城、(城というかぎりは聳えてるはずだけど)、怪物が住んでた跡ということなのか、上陸の際に削れた足跡があるということなのか、どこが何に見えるという話なのか、もう少し書いた方がいいかもしれないですね。2行目だけではどこを何に見立ててるのか、ちょっと想像しにくいですね。(ポセイドンを出したから、もう一つと、クラーケンも出したのでしょうけど)
●荒木章太郎さん「自由だ」  
1~3連の「自由」のところは、デニムのジャケットとかを想像すると、ちょうど嵌まりそうですね。「カジュアル」という言葉の中にも似た意味がありますけど、作者の「衣」のジャンルにおける自由マインドの象徴である一着であったようです。一方、リモートの彼女は、デニムをフォーマルに着こなしていたようです。4連の( )内の彼女のセリフにも一理ありますね。とりわけ女子高とかは制服の細かいとこまでうるさいところが多いので、卒業後の私服の解放感には、「自由」を体感するものがあったのでしょう。
2連のメルカリの「誰が仕入れたのかも/知らない自由だ」も、なるほどこれも「自由」のうちなのかと、この「自由」の捉え方も、ちょっとおもしろかったです。
5連の論を経て6連(終連)では、現代社会の方針としての「自由」、あるいは社会人として生きるに規定されるところの「自由」を、先程の衣の自由の話に絡めて、
世界中の国々で着古された自由を
俺はどのように身につければ良いのか
と表現されたところも、おもしろかったです。
一点いうと終行は、
俺はどのように身につければ良いのか
夕暮れに沈み込む灰色の壁を
ただ途方に暮れて見つめていた
これでもいいように思います。
また、「新自由主義は」という言い方をしてしまうと、政治・経済の施策におけるネオリベラリズムの意に抵触してくるので、つまり定義的なものと同じ言い方になってしまうので、「先進の自由主義」「最新の自由主義」などの言い方に逃げたほうがいいと思います。
うむ、まあ悪くない。秀作プラスを。