感想と評 10/17~10/20 ご投稿分 三浦志郎 10/27
1 松本福広さん 「ほっぺたおちたら、みどりになる。~星野富弘に寄せて~」 10/17
散文(詩)形あり、連分け詩あり、の複合体で、僕にとっては親和性のあるものでした。詩の持つ母へのメンタルは大変素晴らしいです。ただ、純粋な詩的技術論を結論から書くと「盛り込み過ぎ、散らせ過ぎ」と思います。副題から考えます。「星野富弘に寄せて」ですが、その割に、一例が僅かに紹介されているのみです。副題にするとなると、それだけで一詩出来そうです。いっぽうで、この詩の主旨は母の遺品が示す各種エピソードですが、副題にするならば「母の~~」のようなものがふさわしい気がします。つまり、この詩からふたつの詩がとれそうな、そんな雰囲気が混在しているように思います。次に、母の「ゆき~ほっぺ」の詩に応えるに「雪うさぎを描いた詩」(特にその中の「きみ」)、その繋がり方がよくわからない。次に来るのが「髭に関する詩」、最後は「水に関わる詩」。さらには榛名山の件。おそらくは、母の遺品がもたらすもの、それへの「私」の感じ方が主旨と思います。読み手もそこを感じ取りたいのですが、それを取り囲む周辺物が多くて、飛び散りやすいので、少し困る、というのが現状でしょうか。これは推敲段階というより、発想段階で取捨選択した方がよかったと思います。おそらく松本さんの知識力、筆致力がちょっと裏目に出た気味を感じますね。
佳作1,5前で。
2 aristotles200さん 「鈴」 10/17
大変興味深い超常幻想とそれを支える文章力があります。ただし僕はこの優れた幻想を、さらに引き締まったものにしたいので、いくつか参考案を出してみたいと思います。しばし、お付き合いのほどを。
まず冒頭2連。「鈴が一つ、」「鈴が一万個、」 と、4連「講堂~無数の鈴」。この両者の場面的相関性ないしは無関係性は証明したり調整したりする必要がありそうです。
あくまでハードボイルドな緊張幻想を維持したいので「ワクワクする」「やれやれ」等、チャラい言葉は削除しましょう。「なら、」は 「ならば」に。(「しまった」もどうだろ?要検討)。
「私は意地悪なので、このまま終わる」もいらないでしょう。要はこの異常な幻想描写に徹して、
自分のことや気持ちは小出しにしないほうがいいです。その方がチマチマしないです。
なぜなら最後に
「そもそも/私は誰なのか~~/これも明かさず、ここで終わる」―ここに”鮮明な“自己がいるからです。キメせりふ。これで充分です。
最後にー。
「やがて夜は明け」「薄明かりが差し込む」となってますが、後ろに「朝など来ていない」とあり、(はて?)と思うわけです。幻想といえど、その土俵の中でも辻褄はあったほうがいいと思います。
この幻想詩は脇を締めれば、断然、もっと良くなるはずです。期待付きの佳作一歩前です。
アフターアワーズ。
これを読むと、幻想音楽さえ聴こえてくる気がします。特に無数の鈴が鳴り出すシーンですね。
3 晶子さん 「SNS」 10/17
僕はタイトルのようなものに、あんまり関わっていないので、よくわからない部分もあるのですが、
初連はわかりますね。普遍であり真理でしょう。「AI」のところがよくわからず、わからないものには手を付けないでおきましょう。
3連はその通りですね。匿名性。老人の繰り言になりますが、昔はこんなことはなかった。「本名を生きずして、なんとする!?」―みたいな風潮はあったんです。
「本名の危険、匿名の安心」のような現代ではあります。もうひとつ、現代を象徴するもの、
終連にありました。この本質、この書き方がいいんですよ。文字・言葉はひとつも変わらないのに手段・媒体だけが、周りで騒いで浮き沈みする。そんな中にあって沈んでいってしまう言葉もあるでしょう。しかし、言葉の持つ本質は不変です。たとえば、ここにある「愛とか恋とか友情とか」甘め佳作を。
4 上原有栖さん 「agape」 10/18
おとぎ話「人魚姫」に影響を受けてのオリジナルな詩作品と見ました。本題は3連目からでしょう。人魚が愛する対象を得てからです。agapeの始まりです。しかし「長い日々が過ぎ」男の命が尽きます。それもそのはず。人魚の寿命は300年とされるからです。「死しても共に過ごしたい」―ここは、もそっと詩的にニュアンスをつけてもいい気がします。も少し抒情的に。5連「小さな木船を」のくだりは映像的でいいですね。後ろ姿が見える気がします。人魚は男との約束を健気にも守ったことでしょう。それが終連。
agapeのありようを伝えます。甘め佳作を。
アフターアワーズ。
個人趣味なので、こちらに。
「その後のふたりを見た者は誰もいないという」―など入れても、かっこいいか?(つきなみか?)
5 つるさん 「秋の葉桜」 10/19 初めてのかたなので、今回は感想のみ書きます。
およそ、桜とは花の開花、お花見頃がメインだと誰もが思うでしょうが、この詩のポイント、個性、価値はそれ以外の時期にある。
そこを注目しておきたいです。すなわち葉桜~紅葉~落葉のことです。調べると、桜の場合、植物学上は黄葉と紅葉では発生メカニズムが違うようですが、詩の世界ではそこまで問わなくてもいいでしょう。ただ作品上、重要なのは「緑色の葉がまだ多くひしめき合っていて」、そんな中での黄葉一枚ということです。まだ緑の多い中で、さりとて赤色にもならず、黄葉でいる。作者は最初、場違いなものを見たかのようですが、次第にその一枚への思いが深まります。一種の“はぐれ”感、孤独感、迷い子の感覚、といったところでしょう。あるいは人間の生き死ににも思いを馳せています。結びも印象的です。無理にでも振り切らねばならないような思いがあったと思われます。書きぶりというか、文体はどっしりと安定して、噛んでふくめるようなニュアンスがあります。(違っていたら、すみませんが)どこか年配のかたをイメージできます。人生の経験を積んだ―そんな気はしています。 また書いてみてください。
6 埼玉のさっちゃんさん 「つい行ってしまうこと」 10/19
「何のお仕事ですか?」といった質問は、するほうもされるほうも、割と微妙な雰囲気になったりします。多くの場合「~~関係です」のように答えて、ある意味濁すケースが多いと思います。
プライベート・個人情報的に言うと、住所・TELナンバーの次くらいに位置するもののように思えます。冒頭~5行目くらいを読むと、(特に「同業者」と書くと)、良い悪いは別として「何の仕事?」と考えるのは人情であります。それは読み方や解釈にも影響しそうな気がします。そのあたりの微妙かつ釈然としない部分が、この詩にも影響を与えている気はします。しかし、その事はいったん措きましょう。読んで行くと、同業者の件は“たまたま”で、この詩の流れにはさほど重要ではない。無くてもいい。いきなり仕事のことを書いてもいい。たとえば、冒頭ですが―。
「お疲れ様です!」と 自分に言ってあげたい
仕事はやりがいがある
けれど
時々~~ 以下同文。
この方が人は仕事一般で捉えて、個別は意識しないかも。
要はこの詩の要約は以下の如くと思われます。
① 「今の仕事はやりがいもあり、嫌いではない。けれど時々、屈託もある。でも、お金もらうんだから、そんなのは当たり前」
② 「そんな時は休日に気分転換してリフレッシュするに限る。そうすれば今の仕事も微調整しながら続けることができる!」
この詩のポイントは①経由、②到着、といった路線と思われます。冒頭の同業者の部分カットした分だけ、②を想像して、多めに楽しく書けばOKでしょう。以上はあくまで参考で書きました。佳作一歩前で。
7 相野零次さん 「生まれる」 10/19
はい、冒頭佳作AND代表作です。相野さんは時間を巻き戻して自身が生まれた瞬間を詩で想像します。赤子による世界の迎え方、そして世界による赤子の迎え方。相野さんと世界の双方の接し方―今はやりの言葉で言うと―世界観が表出されます。相野さんが今まで生きてきて把握した世界観を、詩の中で赤子の自分に託して代理発言させている。飛び跳ねた表現・比喩・修辞の代わりに、思索的で奥行きある表現が施されています。安定的です。願いや祈りのようなものさえ感じることができます。感動します。
アフターアワーズ。
評者ミウラからリクエストがあります。一字一句変えずに、書体バージョンを、あと2つ持つことをお勧め致します。
〇 例えば、一行一律25~30字くらいでターンする散文詩形。
〇 いわゆる一般の連分け詩形。
この詩にとって、きっと何か良いことがあるでしょう。
8 静間安夫さん 「前奏曲」 10/19
「前奏曲」で調べると、「ショパンの二十四の前奏曲集」というのがヒットしました。ドビュッシーにも似たような作品集がありそうですね。
そうですね。タイトルも「序曲」などと同様、語源からは拡大解釈され、だんだん独立独自の曲種になっていったのでしょう。自己の想い出も踏まえながら、曲の横顔や趣きも紹介されます。一生聴き続けるに足るものでしょう。そこを踏まえて、この詩の本領は「しかし/わたしは敢えて/こう考えたい―」以降にあります。静間さんの場合、タイトルをいったん語源までバックさせます。しかる後に、その前奏の意味をご自分の今後の人生の為とする。具体的にはその音楽によって、日々自己を鼓舞し活性化しようとする。こういう大局的な音楽の聴き方は僕にとっても大変参考になり、見習うに足るものと心得ます。こういう音楽のありかたとは、やはり歳月に耐えて伝統を勝ち得た作品の成せるわざであるでしょう。佳作とします。
アフターアワーズ。
慣れ親しんだ音楽を自分の未来への前奏とする考え方、非常に斬新です。僕自身の関わる音楽について、この事を考えてみたいと思います。音楽に言える、ということは、詩にも言えるのかもしれない。
評のおわりに。
この秋の短さ。
人々は、そろそろ冬のことを意識し始める頃でしょう。 では、また。