雪日の抒情 上原有栖
昨日の夜からの雪は降り続いたようで
窓を開けると家の前だけでなく
ずっと先の小高い丘まで白く染まっていた
冬の朝の太陽は さっき起きたばかりだから
まだ東の空で眠たそうにあくびをしている
目を擦りながら視線を前へと向けると
未だ誰の足跡も付いていない白銀の絨毯があって
まっさらな景色が拡がっていた
最初の一歩を踏みしめたいという欲望を抑え込む
わたしは もう「大人」なのだから
その特権をいま持っているのは五歳になる息子だ
そんなことを考えているうちに━━━━━
うちのわんぱく小僧が寝室からやってきた
窓から落ちそうになるぐらいに身を乗り出して
冷たい空気を吸い込むと
お気に入りのセーターとニット帽を身につけて家から飛び出していく
風邪ひかないでおくれよ と願いながらわたしは歓声をあげる小さな背中を見つめていた
冬の空には 乳白のひつじ雲が点々と水色のキャンバスに描かれている
天上までの距離は遠いはずなのに
綿菓子のようなかたまりに手を伸ばせば触れてしまうかも
そんな気持ちになってしまう
庭に目を向けて胸の奥に潜めた感傷に浸る
それは幼くして亡くなったもう一人の「我が子」のこと
氷のような悲しみを背負ってからだいぶ時間が経ってしまった
息子にはまだしっかりと話せていない
まっさらな白い雪を見ると純真無垢だった小さき生命のことを思い出す
誰かが言っていた 子供は「七つ前は神の内」
その存在は神様に少し近いのかもしれない
わたしの元から去った生命は尊いものになったのだろう
何処かで見守っていてくれるかもしれない そう願ってやまない
庭で息子がこちらに向かって手を振っている
気がつくとたくさんの小さな足跡が踏みしめられていた
眠っていた白い大地に生きている生命の証が刻まれていくようだ
わたしも手を振り返す
近くの木の枝に溜まっていた雪が重みで落ちる音がしたとき
相変わらず手を振り続けていた息子の顔が一瞬ぼやけて見えた
その時の表情はいまは亡きもう一人の「我が子」に似ているような気がした
家に戻ってきた息子に温めたココアを出してやると
美味しそうに飲む横顔を窓際から眺める
その時思い出したように息子が話し始めた
「向こうの丘の上にちっちゃな男の子がいたよ」
「あの子に気が付いてもらえるように一生懸命手を振ったんだ」
わたしは丘の上に立っていたという男の子の顔を
心の中で想い浮かべる
シルエットは少し揺らいでいて曖昧だったが
その表情は在りし日の「我が子」と
雪のように溶け合いながら 重なった