雪 相野零次
朝が恋しいのは、生まれたばかりの僕をおかあさんが呼んでいるからだ。お父さんは僕のことを忘れて寝ている。僕はと言えば冷蔵庫から自分の好物を探し当てるのに夢中だ。
この世界では誰の元にも雪が降る。触ると冷たい雪、ずっと触っていると霜焼けする雪、丸めて重ねると雪ダルマになる雪。雪解け水に涙を8対2でわけるとtears of waterという名のカクテルの出来上がりだ。
世界はみんな泣いている。少しずつ大きな声で泣いている。人も鳥も虫けらたちすら泣くことを恐れない。泣くとやってくるあの魔女のことが恐くないのかい?
涙は星からも降ってくる。星が生れるときに流す涙が流れ星だ。涙と一緒に願いを込めて一生に一度だけ願いを届けるんだ。神さまの元へ。
夜が明けるのは誰かが地球をゆっくり動かそうとしているからだ。とてつもない大きさの巨人が一生懸命動かそうとしている。えらいことだ。動かすのを手伝ってあげなくちゃいけない。だから人間は涙を流す。自分のために泣いてくれる人間たちのために巨人は地球を動かす。
これはおとぎ話だ。誰かが戦争に行って帰らなかったときのために置いておくおとぎ話だ。だから月は輝くんだ。美しい月光の世界を絵本にして置いておこう。あの巨人さんのためにも。
朝になればみんなは目覚める。昨日のことを忘れたふりして、ずっと続く朝のことを思い出して笑う。人間は何も忘れない。いつまでも生き続ける、バトンリレーを繰り返しながら。思い出は次の人へ託す。
おかあさん。
あなたが最初に目覚める人だ、さあ、お父さんを起こしに行こう。
そのとき雪が頬をなでて涙の一粒へと変わった。
おかあさん。
泣かなくていいからね。
大丈夫だからね。
そして世界は目覚める。