ライン(line) Ema
やさしい道が架かって
通勤時間が少し短くなった
自宅から西の方向に十数分歩くと
南北を流れる川がある
川幅は百メートルほど
その向こう岸とこちら側を繋ぐ
人道橋が開通した
道幅はちょうど四メートル
勾配のない十分な広さの歩道だ
雨の日でも 車椅子でも
四人が一列横並びになれる
歩いて二分ほどで渡り切れるが
数十秒で走り抜ける人もいれば
ゆっくりゆっくり歩を進める人もいる
その真新しい橋を渡って職場に向かう
前後に気兼ねなく自分のペースで歩いて
向こう岸に渡った頃には
今日の仕事の工程を考え始めている
小さな仕事場に着くと
クリーンルームに入る
私はここで路(みち)を作る
名刺ほどの大きさの
透明なシリコン素材のプレートに
始点と終点がある
その二点を繋ぐ
髪の毛一本が通れるか通れないかの
細く長い路を作る
この路を通るのは
肉眼では見ることができないものたち
細胞や微生物だ
人は
目に見えないものを生かしながら
目に見えないものに生かされている
そうやって共生しているにも関わらず
そのほとんどについては未知の領域だ
その小さきものたちは
たとえば難病を打ち消したり
人が地球に寄り添えるような
やさしい可能性を孕んでいる
あらゆる工程を重ねて
一週間ほどかけて完成させた
手のひらにのる路
肉眼でも確認できる
すーっと通った細い線を
顕微鏡でたどっていく
路のどこかに
障害物が落ちていないか
路がどこかで
途切れたり欠けたりしていないか
紛うことなく美しい路になっていたら
大学の研究室や
企業の研究所に納品する
研究が少しでも先に進むような
どこかにつながる路であってほしい
そんなことを思いながら梱包する
クリーンルームを出ると
上司が次の受注の話をもってくる
なかなかの確率で
製品として出荷できるかすら分からない
無理難題な案件だ
それらを脳内に背負って職場を出る
多くの人が家路につく時間帯
私も夕陽を背にして橋を渡る
今日完成させた路は
小さきものたちにとって
快適な路だろうか
うまく渡り切ってくれるだろうか
帰り道はたいてい
仕事のあれやこれやに
思考をとられがちだが
跨川橋を渡り終わる頃には
急務の課題、
晩ご飯の献立にシフトする