珈琲豆 小林大鬼
仕事帰りにバスを降り
たまに立ち寄る
学園の森の珈琲店
硝子扉の奥を覗くと
小さな店内の厨房にいる
若き店主と目が合って
そこから会話が始まるのだ
営業は春から秋の週一二回
自分一人のためだけに
店主はいつも待っていた
濃い珈琲をブラックで
飲めるようになったのも
この店に出会ってからだった
店主の好きなジャズが流れる中
お気に入りの席に座り
硝子張りの窓の外を見ながら
あれやこれやとおしゃべりする
今日は何にしますかと言いながら
店主はその日のおすすめを勧めて来る
店主が淹れる珈琲は香り高く
黒く深みがある味わい
今日のは美味いですよ
これが店主の口癖だった
木目調の店内には
小さな木のテーブルと
椅子が並ぶだけで
余計なものは一切ない
今年に入って店主から
この夏で店を閉めると告げられて
初めて深煎りの珈琲豆を買った
店のシャッターが降りてから
その道はもう通らない
秋風が寂しく吹いていた
時々思い出したように
封を開けて珈琲豆を挽き
お湯を沸かして珈琲を淹れる
店主に習った珈琲の手順を
いつも思い出しながら
いつも優しく淹れていた
店主の顔を思い出しながら
冷蔵庫に眠ったままの珈琲豆
忘れられない珈琲店の思い出とともに