コーヒー 静間安夫
秋の夜長
わたしのアパートの
小さな部屋で
所狭しと置かれた
書籍に囲まれながら
ひとり孤独に
愉しむコーヒーほど
精神のぜいたくを
味あわせてくれるものはない
毎晩
遠くの線路を走る
列車の音が
いっそうはっきりと
聞こえてくる時刻になると
わたしは
読書や書き物を
ひと休みして
お湯を沸かし
コーヒーを淹れる
ペーパーフィルターに
レギュラーコーヒーの粉を入れ
お湯を注ぐと
まもなく
部屋いっぱいに
馥郁たる香りが
広がっていく
サーバーの中に
コーヒーがしずくとなって
落ちていく様子も
また美しい―
光の加減で
ガーネットのような宝石が
煌めいているように
見えるから
いよいよ
サーバーに溜まったコーヒーを
お気に入りのカップに移して
ひと口含むと
芳醇な味わいが
身体全体を満たしていく
まるで
舌ではなくて
心臓で味わっているような
気がするのだ
こんな具合で
わたしは
若い頃から
今、この老境に至るまで
こころを落ち着かせ
孤独を慰め
静かに
もの思いにふけるとき
常に変わらず
コーヒーに
助けられてきた
けれども
コーヒーの
わたしに対する
付き合い方は
決して
押し付けがましくはない
いつも
つつましく
そっと、わたしに
寄り添ってくれる
そうなのだ―
コーヒーは、
付き合ったが最後
凶暴に
こころを酔わせ
虜にしてしまうような
そんな類のものではない
ためしに
比べてみればわかる、
人間を酔わせたあげく
無慈悲にも
最後の瞬間になって裏切る
数多くのものと―
酒、
賭け事、
麻薬はもちろん
恋愛も
理想も
宗教も
イデオロギーも
政治も
金も
果は神に至るまで
この世の中に満ち溢れている
数多くのものと
比べてみれば
明らかだ
何かに酔うことなしには
生きていくことが難しい
人間の本性につけこんで
こうしたものは
餌食となった人間に
さんざん甘美な夢を
見させた後で
破滅へと
導いていく
翻って
コーヒーはどうだろう?
決して
こころを
たかぶらせることもなく
乗っ取ることもない
裏切ることもないではないか?
むしろ
コーヒーは
酔わせるのではなく
覚めさせるのだ
愉しむ人の
こころに
バランスと
中庸の精神を演出し
この世界を
偏りのない眼差しで
見つめることができるように
助けてくれる
だからこそ、わたしは
詩作を志す以上
願わくは
コーヒー一杯の
美味しさと
愉しみ方を
語りつくせるような
詩を
いつの日か
書きたいと思うのだ